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ドイツでマンシュタイン元帥のお墓を訪れた

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マンシュタイン元帥のお墓はドイツのドルフマルクというかなり小さな町の町営墓地にあるので、英語とドイツ語サイトを見てしっかりと下調べをしないと訪れることはできないだろう。

 

今回のブログ記事はフリッツ・エーリッヒ・フォン・レヴィンスキー・ゲナント・フォン・マンシュタイン元帥のお墓を訪問した時の話。

2006年7月、サッカーワールドカップドイツ大会が終わった直後に、ドイツ北部のリューネブルガーハイデ(リューネブルク草原)のど真ん中にあるドルフマルクという小さな町の町営墓地にあるマンシュタイン家のお墓を訪れたのだが、ここを訪れるのはかなり難しかった。サッカーワールドカップが終わった直後にドイツに行くことにしたのは、ワールドカップ期間中はホテルの値段が高いだろうと判断したから。(苦笑)

ムンスター戦車博物館があるムンスター市のホテルに泊まったのだが、ホテルの主人もムンスター戦車博物館の係員もマンシュタイン将軍のお墓を知らなかった。だから、とりあえずはホテルからタクシーでドルフマルクの町の中心部まで行ってもらった。この時にタクシーの料金が5千円ほどかかった。

当然、マンシュタイン元帥のお墓というのはガイドブックにも載っておらず、ドルフマルクの町民に質問してもマンシュタインの名前すら知らない人ばかりだった。だから、
「恐らく、町営墓地にあるだろう」
という勘を頼りに町営墓地に行き、そこで一つ一つの墓石を見て探すというものすごく地道な作業をして、20分くらいで見つけた。町営墓地のお墓の数が、そんなに多くなかったのが幸いだった。ナチスドイツ陸軍の元帥として数々の輝かしい業績がある偉大な軍人なのに、お墓は家族が建てた普通のお墓だった。これはやはり負けた国の軍隊の軍人だからだろう。でも、そのように簡素なお墓だったから、見つけた時の喜びはすごく大きかった。

 

日本でドイツ軍マニアのオフ会に出席すると、「マンシュタイン元帥のお墓を訪れた日本人は君だけかもしれない」と言われた。

 

日本に帰って来てドイツ軍の戦記を執筆している方が主宰するオフ会に参加をして、マンシュタイン元帥のお墓を訪れたことを知らせると、
「よく見つけたね。日本にマンシュタイン元帥のお墓が紹介されるのは、恐らく、これが初めてじゃないかな。君がマンシュタイン元帥のお墓を訪れた唯一の日本人かもしれない」
と参加者の方々に言われて褒められた時は、当然ながらとても嬉しかった。

 

マンシュタイン元帥のお墓を訪ねるには、まず、日本で色々とドイツ語と英語のサイトを見て下調べをする必要があるので、かなりの英語力とドイツ語力が必要だろう。マンシュタイン元帥のお墓があるドルフマルク長の町民ですら、恐らく、マンシュタイン元帥のお墓がドルフマルク町営墓地にあることを知らないので、インターネットのサイトをたくさん見て、あらかじめ下調べをする必要がある。

 

下の2枚の写真がマンシュタイン夫妻のお墓。2人のお墓の近くには1942年10月に戦死した息子のゲーロ・マンシュタイン中尉のお墓もあったマンシュタインは息子の戦死を悲しむ暇もなく、スターリングラードに包囲された第6軍を救出する「冬の嵐作戦」の準備に取り掛かったことになる。

 

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