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あなたは裁判員として死刑判決を下せますか?

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全世界的には死刑制度は廃止が進んでいる。南米、アフリカのような治安の悪い国でも死刑は廃止になっている。これは、キリスト教の聖書には「汝、殺すなかれ」という教えがあるかららしい。

 

すでに日本では裁判員制度が始まっていて、あなたもよっぽど仕事が忙しいなどの理由がない限り、刑事事件の裁判員に選ばれる可能性があります。特に、死刑判決が出るかもしれないような凶悪犯罪の審議は、裁判員になった方々にとってはとても重荷となるでしょう。今日は、このことについてちょっと書きます。また、長文ですが、興味のある方は読んでみてください。


「このような犯人には同情の余地などなし。絶対に犯人に死刑判決を下すべき。死刑以外では、あまりにも被害者と遺族がかわいそうすぎる」
などと、今まではマスコミが凶悪事件について書いて、国民感情を死刑支持の方向に動かしていたようにも思える。僕自身も被害者、遺族感情を考えれば、死刑が妥当かもしれないとも思っていた。

しかし、死刑評決は一般の人々から選ばれた裁判員が下すのだ。もし、自分が刑事事件の裁判員になったら、
「何人も人を殺したような悪い奴は死刑で当然だ」
などと、はっきりと主張できるだろうか?

 

上にアップした世界地図は世界全体での死刑制度廃止状況。青色は死刑を廃止にした国。茶色は死刑が存在する国。橙色は制度はあっても事実上は廃止となっている国。黄色は戦争時以外は廃止の国。

 

日本は日本人が嫌ってる国であるアメリカ、中国、イスラム教諸国と共に死刑が存在する国になっている。ただし、アメリカでは州によっては死刑を廃止している。ロシア、韓国などでは事実上、廃止となっている。キリスト教諸国は死刑制度を廃止にしている国がほとんどで、これは、「汝、殺すなかれ」というキリスト教の教えが影響しているらしい。

 

 

僕のドイツ人友達で弁護士のSは、「日本のような仏教と神道の宗教文化がある国で、死刑という野蛮な刑罰があるのはおかしい。ドイツはナチスドイツ時代に反ナチス的な人を殺した反省から、戦後すぐに死刑を廃止した」と言っていた。


ドイツ人弁護士のSがまだ東北大学法学部准教授をしていてヨーロッパ法を教えていた頃の2006年5月に、彼と山寺(山形県にある有名なお寺)に行ったことがあった。そして、昼飯を食べている時に、けっこう熱心なキリスト教徒の彼と次のような会話をした。その後、僕もちょっと死刑制度の是非について考えるようになった。ただし、会話の内容をそんなに正確に覚えていないので、ちょっと曖昧な部分もある。(苦笑)


S「今週は、死刑制度の是非についてオレの担当するゼミで討論をした。死刑反対派と賛成派に分かれてね。オレは死刑反対派だった。」
僕「君は、死刑反対なのか?オレは賛成しているけど。だって、被害者とその遺族が可哀相だろう、凶悪犯の犯人が生き続けることになると。君は犯罪被害者の感情を考慮して、死刑に反対しているのか?」
S「考慮しているよ。だが、法律的に考えると、死刑というのは国家による殺人なんだよ。こんな野蛮な制度が、日本のような高尚で穏やかな文化を持つ国で、未だに存続していることが全く理解できないね。西ドイツでは死刑は1949年にとっくの昔に廃止したよ。ナチスドイツの時はユダヤ人、反ヒトラー派の人たちをロクにまともな裁判もしないでどんどんと死刑にしたから、それの反省から死刑は廃止になったんだよ。オレもキリスト教の考えとして、死刑なんかには賛成できないよ。ドイツではどんな凶悪犯罪を犯した者でも、15年間刑務所にいて、そこで弁護士、法務官などと面接して審査をして、
“犯罪を十分に反省しており、更生の可能性あり”
と判断されたら、出所して人生をやり直せるんだよ」

僕「しかし、だったら、日本の最悪の凶悪犯、例えば、O真理教のAなどの連中も死刑にしてはダメなのか?」
S「ああいう連中こそ、単純に死刑にするべきではないんだよ。生きて罪を償わせ、そして、日本の社会全体で再発を防ぐことを考える必要があると思うよ」
僕「・・・、なんだか、君の考えはオレにはよくわからんが、やはり、キリスト教的発想のようだな。イスラムの教え、“目には目を、歯には歯を”というのを嫌っているような感じだ。それに、聖書には“カインとアベルの話”があるけど」
(注1;“目には目を”というのは正確にはハンムラビ法典の教え。これを、キリスト教徒はものすごく嫌っている)
(注2;“カインとアベルの話”というのは、カインは弟のアベルを殺したが、その後、そのことをずっと後悔して懺悔を続け、そして年老いて亡くなる直前にヤーヴェという神から、
「汝の罪は許された」
と告げられたという、聖書の中のお話)
S「そうかもね。キリスト教的な考えでは、死刑というのは単なる復讐であって、とても法律で合法とするなんてできないよ」

僕「だが、被害者とその遺族の感情はどうなるのだ?ドイツの犯罪被害者とその遺族は納得しているのか?君の家族が凶悪犯に理不尽に殺されたら、君は犯罪者を死刑にしたいとは思わないのか?」
S「納得していないよ。それでも、キリスト教の教えに従い、そして、文明国ということを考えると、死刑なんていう野蛮な制度はあってはならないんだよ。オレの家族が殺されたとしても、オレはなるべく犯人を憎まないように努力するよ。それは、オレの家族はけっこう熱心なキリスト教徒だから、子供の頃は親に連れられて必ず週に1回教会に行って、ミサに出席していたからね。そこで、神父から色々と聖書についての説教、キリスト教の教えを聞いたものだったよ。日本にだって、伝統的な素晴らしい仏教と神道の教えがあるだろ。こんな高度な文化を持つ国で、未だに死刑という野蛮な制度があるのは変だよ。いわゆる先進国で死刑が未だに合法なのは、日本とアメリカだけなんだよ。
“アメリカ人は銃の規制さえできないような乱暴な国民性だから、凶悪犯罪が多いので死刑が廃止できないのだ”
などと言って、多くのヨーロッパ人は嘲笑しているよ」

僕とSの会話はざっとこんな感じだった。僕の日本人の友達では、このように考えている人はあまりいないので、僕にとっては極めて新鮮で、色々と考えさせられた。


やはり、ヨーロッパで死刑を廃止している国が多いというのは、キリスト教的発想が大きな理由のようだ。キリスト教のような一神教では、イエス様が絶対な存在であり、それを越える人間は絶対にあり得ないと教えられる。自分の妻、夫、親、兄弟よりもキリストが大事だと教えられる。そして、全ての人間は愚かであり、いくら努力しても愚かな存在から抜け出ることはないらしい。さらに、全ての人間は罪深いという教えなので、熱心なキリスト教徒の中には、寝る前に必ず聖書を読み、懺悔をしてからでないと眠れないという人もいる。僕がドイツのホテルに泊まった時に、数件のホテルの部屋には、各国語の聖書が置いてあった。

 

日本では欧米のキリスト教国家に比べると宗教活動は活発ではないが、もし日本でも仏教、神道などの宗教の力が強かったら、死刑を否定する人は多いかもしれない。


今、日本では死刑制度を廃止しようという運動はそんなに盛んではないが、もし、日本でも週に1回必ずお寺か神社に行き、お坊さんか神主さんの仏教か神道の教えを聞くという習慣があったらどうなるだろうか?ヨーロッパのキリスト教国家と全く同じように。それでも、やはり、死刑賛成という人が多数派になるだろうか?Sが言っていたこと、
「日本のような仏教、神道の教えが国民により受け入れられている国で、死刑という野蛮な制度が合法なのは異常だ」
という考えは、一理あるかもしれない。

Sとその妻は、日本の宗教にとても興味があり、その長い歴史と伝統に彩られた教えをとても高く評価している。だが、多くの日本人は日本の真の宗教の意義、教えを知らない。その無知な日本人の中には、恥ずかしいことにこの僕も含まれる。僕も仏教と神道に関する本はあまり読んだことがないからだ。


それでは、犯罪被害者とその家族の感情はどうなのかというと、ヨーロッパは教会の力が強く活発なので、犯罪被害者とその家族の魂の救済というのは主に聖職者がやっているらしい。もちろん、聖職者というのは弱い人を助けるのが仕事なんだから、それは当然だろう。そして、そのような教会の活動資金というのは、大企業がバックアップしているようだ。多くの欧州各国には教会税という税金があり、企業は強制的に教会にお金を払うことになっている。さらに、教会以外にも犯罪被害者を援助するNPO団体がかなりたくさんあると聞いている。


日本では宗教というと、みなさんもご存知のように、
「天皇陛下、その御家族と靖国神社の英霊が日本の唯一の神である」
などと言っているネット右翼がいたり、国家神道を徹底的に糾弾している左翼ゲリラがいたりで、なかなか宗教というものが国民に定着していない。本当に残念な限りだ。僕はSを始めとする外国人にも、
「日本は1945年まで政府が主宰していた国家神道があったから、それが失敗に終わった後は、実は言うと宗教活動は盛んではないんだよ。日本で“宗教”というと、お金を騙し取る新興宗教を連想する人も多いからね」
などと、説明したことがある。日本人は仏教と神道を信仰する穏やかな国民だと、長年、信じていた人もいて、そのような人は、ものすごくショックを受けたようだった。


死刑、宗教について長々と書いてきましたが、僕も死刑を存続させるべきか廃止するべきかよくわかりません。だから、あまり細かいツッコミはしないでください。でも、もし自分が裁判員になった時に、例えば、今、裁判にかけられてる池袋で母子を車で轢き殺した飯塚幸三被告に対して、
「私は死刑を強く主張します」
と言える自信は、今のところありません。(苦笑)