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イタリアの悲しい恋愛映画「ひまわり」はありえない話

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「ひまわり」はとてもよくできたメロドラマだが、あちこち重要な部分が描かれておらず、不可解な点が多くある。

 

 

1970年にイタリア、ソ連合作で作られた「ひまわり」という恋愛映画がある。マルチェロ・マストロヤンニ、ソフィア・ローレン、さらにソ連の名女優であるリュドミラ・サベリーエワが出演している。上の写真は映画「ひまわり」のブルーレイDVD。僕もこの映画を見て感動したことがあったが、ソ連政府によるシベリア抑留の残酷な現実をウィキペディアの説明などでよく知った後では、この映画に騙されていたことに気が付いた。

ストーリーはこの映画を見た人は多いので既に知っていると思うのでネタバレになるが、マストロヤンニが演じるアントニオとローレンが演じるジョバンナは、第二次世界大戦下のイタリアで愛し合う恋人だったが、アントニオは徴兵されてロシア戦線で戦うことになり、アントニオの部隊はソ連軍の攻撃を受けて敗北。部隊はほぼ全滅してアントニオも負傷して倒れていたところを、美しいロシア人(あるいはウクライナ人?)女性のマーシャ(リュドミラ・サベリーエワ)に助けられた。その時、アントニオはひどい凍傷を負って記憶喪失をしており、傷の手当をしてくれたマーシャと結婚してしまう。

一方、戦後、イタリアでアントニオの帰りを待ち続けたジョバンナだが、戦後は東西冷戦もあってなかなかアントニオの行方を探すことが難航した。しかし、スターリンが1953年に死んだ後に、ようやくロシアへ行ってアントニオを探すことが出来るようになった。ジョバンナはロシアのあちこちを探して、遂にアントニオの住む家を見つけるが、アントニオは既にロシアでマーシャと結婚していて子供までいたので、ジョバンナは泣いてその場所を去ったのだった。

その後、ソ連からアントニオは何とかイタリアを訪れてジョバンナに再会するが、ジョバンナも既に結婚していて子供がおり、2人は駅で涙を流して永遠の別れをして、アントニオは再び列車に乗って妻のいるソ連へと帰っていくのだった。


主人公のマストロヤンニが演ずるアントニオはイタリア兵捕虜だが、厳しいスターリン体制のソ連時代なのに、自由にロシア人女性と恋愛をして結婚している。こんな幸せなイタリア兵捕虜がいたのだろうか?

 

非常によく出来たメロドラマでこの映画を見て僕も涙を流したが、旧枢軸国の兵隊たちが戦後、ソ連でどのような扱いを受けたかよく冷静になって考えてもらいたい。日本兵と日本人は約60万人がシベリア抑留でソ連に連行されたが、シベリア抑留はまさに生き地獄であり、そのうちの10%にあたる約6万人が死亡している。この場合、シベリア抑留とは必ずしもシベリアには限らず、ウクライナ、ベラルーシなどを含む、当時のソ連の領土全土に旧枢軸軍の兵士は抑留されていた。元イタリア兵へのソ連政府の扱いはどうだったかよく知らないが、同じ枢軸国である元ドイツ兵に対する扱いは極めて残酷であり、有名な実話を元にした映画「戦場のピアニスト」で、主人公のユダヤ人のシュピールマンを救ったドイツ軍将校のホーゼンフェルト大尉は、シベリア抑留で死亡している。それ以外にも撃墜王のハルトマンはソ連政府への協力をことごとく拒否したので、10年もシベリアに抑留されていた。日本軍の軍人でもソ連への協力を拒否したので、ソ連に長く抑留された人は多くいる。

これが、戦後のソ連政府のよるシベリア抑留の現実なのに、この映画ではイタリア軍捕虜がソ連で美しいロシア人女性と自由に恋愛して自由に生活している。スターリンがソ連を支配していた時代に、こんなに待遇が良かった旧枢軸軍の捕虜なんて本当にいたのだろうか?確かに、シベリア抑留時代に現地でロシア人娘と恋愛して結婚したという元日本兵は、数は少ないがいたらしい。だが、それは確立的にいうとかなり低いだろう。ソ連が崩壊して東西冷戦が終わった頃に、ロシア人女性と結婚していたけどようやく日本に帰って来たという老人はいることはいた。でもごくごく少数である。

それなのに、この映画ではマストロヤンニが演ずるアントニオは、やっと戦後数年経って共産主義国のソ連とは違って自由な国のイタリアに帰れたというのに、ラストではまたロシア人の妻と子供がいるソ連に帰ってしまう。果たして一度豊かで自由な西側陣営のイタリアに帰ってきたのに、また貧乏で自由のない共産主義のソ連に帰ったイタリア人、ドイツ人、日本人なんていたのだろうか?しかも、アントニオはイタリア人だから、敬虔なカトリック教徒のはずである。それが、信教の自由がない共産主義のソ連に帰っていくのは何ともおかしなラストシーンである。

 

この映画はドイツでは全くヒットしなかった。「スターリンの恐怖政治時代に元枢軸国の捕虜とロシア人女性が幸せな結婚生活を送るなんて、政治的に考えるとありえない」とドイツの雑誌は批判した。

 

ちなみにこの映画はドイツでは全くヒットしなかったらしい。理由は書くまでもないだろう。ソ連軍の戦後のドイツ市民への残酷な仕打ちを知っていれば、こんなソ連のプロパガンダのメロドラマなんてヒットするわけがない。この映画を監督したビットリオ・デ・シーカ監督が果たして共産主義びいきだったかどうかは知らないが、戦後の東西冷戦の融和のために、イタリアとソ連の合作でこういう嘘の話を作ったようだ。芸術家というのはたまにこういう芸術交流をやって、敵国の宣伝に協力してしまうことがある。(苦笑)

ドイツ語のこの映画のウィキペディアの説明では、「政治的に見ると絶対にあり得ない話だが、センチメンタルなメロドラマの作品としてはよく出来ている」というような、皮肉ぽい説明がなされている。

 

こちらが、ドイツ語のウィキペディアの説明。当然ながらドイツ語がわからないと読めない。

 

de.m.wikipedia.org