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ベトナム戦争帰還兵と日本プロ野球

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2005年夏にドイツに2カ月ほど滞在した時に、「サッカー大国のドイツで野球人気はどうなんだろうか?」と気になったので、カールスルーエカウガースという野球チームの練習に1日だけ参加した。

 

 

タイトルを見たら、何の関係があるのかさっぱりわからないと思います。ですが、これから書く僕の体験談でわかると思います。これも、かつて僕の他のブログにアップした記事です。写真上はドイツ西部にある街、カールスルーエの宮殿。カールスルーエはフランスとの国境沿いにあり、フランス人でこの街で働いている人もいるし、ドイツ人でカールスルーエに住んでいるけど、フランスで働いている人もいる。


僕は2005年6~8月にドイツを一人旅して、シュツットガルト近郊のドイツ人家族の家に1ヶ月ほど滞在した。そこの家には1999年春にも3ヶ月ほど滞在したことがあり、シュツットガルトなどは既に見飽きていたので、他の所を見ようと思った。


いつもドイツだとサッカーの話ばかりなので、たまには野球も見てみたいと思い、あらかじめネットで調べた近くの野球チームに電話してみた。シュツットガルトの野球チームとは連絡が取れなかったが、100キロほど離れたカールスルーエの野球チームの練習に参加できることになった。野球チームの名前は「カールスルーエ・カウガース」(カウガースはピューマなどの意味)といった。
「ドイツはサッカー王国だけど、野球人気はどうなんだろうか?」
というふうに、以前から気にはなっていた。

「平日の夕方6時から、軟式野球チームの練習があります」
と野球クラブの人に電話で教えられたので、昼間はカールスルーエ市内観光をして、午後4時過ぎに、電話で教えてもらった野球場に行ってみた。ヨーロッパ観光をしたことのある人ならわかると思うが、春から夏のヨーロッパは夏時間なので日没が午後10時頃であり、6時以降でも充分に練習時間はある。

 

カールスルーエカウガースのグラウンドに着くと、ヨッヘンという日本語が少ししゃべれるドイツ人の大学生院生がいた。彼は日本の企業で実習をしたことがあったので、僕にチームの紹介をしてくれた。

 


練習場に着くと数人のドイツ人が話をしており、僕もその輪に加わった。日本の新聞を持っていたので、
「日本では、一番人気のあるスポーツは野球です。僕は子供の頃は、野球ばかりしてました」
と言いながら紹介した。ドイツ人たちは、
「我々の新聞でも、このように野球が大きく取り上げられるべきだ!」
と笑いながら言った。メジャーの野球中継をいつも見ている人がほとんどで、
「それには、イチローのことも書いてあるのか?」
と質問してきた人もいた。


6時近くになるとたくさん人が集まってきて、その中の一人、ヨッヘンという大学院生の男が日本語で話しかけてきた。日本人の野球選手の名前もけっこう知っていた。
「どうして、君は日本語がそんなに上手で、日本人の野球選手の名前まで知っているんだ?」
と彼に聞くと、
「1年間ほど、東京の企業で実習をしたことがあるんだ。ドイツの総合大学では必ず外国で実習をしないと卒業できないし、俺は今は大学院生で博士号を取得したいんだ」
と彼は言った。どうも、日本にいた時に野球が好きになったらしい。

「今日だけ、軟式野球の練習に参加したいんだけど」
とヨッヘンに言うと、色々と教えてくれて、あるグループの練習に参加して、ヨッヘンと一緒にキャッチボール、ストレッチなどを始めた。ところが、使用しているボールは硬式であり、なんだか変だなと思った。しばらくするとヨッヘンが、
「ごめん、オレのミスだ。軟式の練習はあちらのグループだ。あちらに移るか?」
と言われたが、まあまあ楽しい雰囲気だったので、硬式の練習グループに残ることにした。(苦笑)

 

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ヨッヘンの勘違いで硬式野球の練習に参加することになったが、練習を指導していたアメリカ人のジョーさんというおじさんは少し日本語がしゃべれて、「昔、日本にいたことがあるんだ」と言った。

 


そこのグループの指導をしていたのは60才近いおじさんで、名前はジョーさんといった。おじさんは僕に、
「君は日本人か?」
と聞いてきたので、
「そうです」
と答えると、おじさんは、
「オレはアメリカ人で、昔、日本にいたことがあるんだ。日本語も少ししゃべれる。“こんにちは”、”東京ジャイアンツ”、・・・」
と言って、知っている日本語をしゃべった。さらに、僕の年齢を聞いてきたので、
「36才です」
と言うと、
「オレが日本にいたのは、君が生まれた頃だよ」
と笑いながら言った。


今までに、硬式のボールはほとんど使ったことがなかったので、僕にとってはかなりキツイ練習だった。さらに、その日は気温が夜の8時頃でも25℃以上もあり、すぐに喉がカラカラに渇いた。それでもリタイアせずに、守備練習、打撃練習などを合計3時間ほどやった。コーチのおじさんに、
「君はフライを取るときに、グローブの出し方が悪いから取れないんだよ」
「君は打つ時に頭を動かし過ぎるから、なかなかジャストミート出来ないんだよ」
などと指導してもらった。僕の野球のプレイスタイルはほとんどが我流なので、詳しい人に丁寧に指導してもらえるのは、ありがたかった。上の写真の左端に立っている日に焼けたおじさんがジョーさんだと思う。でも、この写真は10年以上前に「カールスルーエ・カウガース」のホームページに掲載されていたもので、ジョーさんはもうチームにはいないと思う。


ジョーさんは僕が生まれた頃にベトナム戦争で戦っており、負傷して日本にある米軍基地の病院に入院していたのだった。それで、病院にいた時にテレビで日本のプロ野球を観戦して、巨人戦を見るために後楽園球場に来たこともあった。

 

 

練習が終わった後に、かつて日本にいたことがあるという、アメリカ人コーチのジョーさんが気になったので、どうして日本にいたのか、ということを聞いてみた。ジョーさんの話はものすごく衝撃的だった。

「ワシはかつてベトナム戦争に行っていて、8ヶ月間ジャングルで戦闘をしていた。そして、負傷して、日本の米軍基地の病院に運ばれたんだ。初めは横須賀に、その後、神奈川の座間基地の陸軍病院で治療を受けたんだ。」
「・・・そうだったんですか。ということは、東京ジャイアンツを知ったのも、その時に病院でテレビ中継を見たんですか?1968年頃というと、巨人の王、長嶋の全盛期ですね」
「そうだね。ベトナムで酷い目に遭ったワシは、日本のプロ野球中継を見て、戦場での嫌な体験を忘れることが出来たよ。病院にいた他の負傷兵も、日本の野球中継を喜んで見ていたよ。アメリカの我が家に帰ったような気分になれたからね。東京の球場にも、何回か戦友と一緒に試合を見に行ったな。確かに、巨人の王と長嶋が大活躍していたので、ワシはすぐに巨人ファンになったよ」
周りにいたドイツ人も、ジョーさんがかつてベトナムで戦っていたことは知らなかったようで、びっくりしてその話を聞いていた。

別れ際にジョーさんとメルアドを交換したが、メルアドには、[giants](ジャイアンツ)という単語が入っていた。
「ジャイアンツというのは、メジャーリーグのサンフランシスコ・ジャイアンツのことですか?」
と僕が尋ねると、ジョーさんは、
「いや、王、長嶋のいた東京ジャイアンツのことだよ。ジャイアンツには、本当に感謝しているからね」
とジョーさんは言った。


この話は決してネタなどではありません。こんな上手なネタはとても僕には作れません。

僕がカールスルーエカウガースを訪れたのは2005年夏であり、その前年には「球界再編問題」で近鉄バファローズが消滅して、楽天ゴールデンイーグルスが仙台に誕生していた。巨人のフロントは球界再編では消極的な動きだったが、巨人のフロントが野球ファンの夢を壊すことはやめてほしい。



ジョーさんの話を聞いた後に、僕は巨人のフロントに本当に腹が立った。2005年というとご存知のように、その前の年に、巨人の某ワンマンオーナーの有名な暴言で球界再編が大問題になっていた年であり、巨人ファンが段々と減っていた年である。球界再編問題には巨人のフロントも選手もあまり協力的ではなく、それも大きな原因となり、なかなか上手く進んでいなかった。まあ、仙台人とすれば、2004年に起こったこの問題のお陰で、仙台に新球団が誕生したというメリットもあったのだが。(苦笑)

でも、ジョーさんが言っていたように、日本のプロ野球が、ベトナム帰還兵である多くのアメリカ人を勇気づけたということは事実なのだ。それだというのに、今では、多くの日本人がプロ野球から離れていってしまいつつある。メジャーに行く日本のスター選手が増えた、Jリーグが出来てサッカーにファンを奪われつつある、という厳しい現実もあるだろうが、今一度、70年以上の伝統を持つ日本プロ野球界には頑張ってもらいたいと思う。