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映画「ナチス大虐殺・炎628」はソ連によるプロパガンダ映画だった!?

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この記事はナチスドイツの戦争犯罪を擁護する歴史修正の記事ではなくて、ナチスの戦争犯罪を描いた映画「炎628」は、ソ連政府が作ったプロパガンダ映画だった可能性があるという事実を指摘するもの。

 

このブログ記事は、ナチスドイツの戦争犯罪を擁護する歴史修正の内容ではありません。ナチスドイツが第二次世界大戦中に多くの戦争犯罪を行ったのは、動かしがたい事実です。ですが、ナチスの戦争犯罪を戦後にプロパガンダ、ビジネスに利用する動きが世界の一部にはあり、それを批判する内容です。写真上はベラルーシ(第二次大戦中は旧ソ連)で1943年3月に起こった、ハティニ虐殺を描いた映画として有名な「ナチス大虐殺・炎628」のスチール写真。今回の記事は、この映画に隠された意外な事実について書く。

 

 

「ナチス大虐殺 炎628」という、ドイツ軍親衛隊アインザッツグルペン(行動部隊)によるベラルーシのの村で虐殺事件を描いた有名な戦争映画がある。この映画を見て「ナチスドイツはなんて残酷なことをしたんだ!ホロコースト以外にもこんな残酷なことをしたのか。絶対に許せない!」などと正義感を燃やした日本人もいるだろう。ところが、映画というのは嘘の話が多いということを忘れていないだろうか?「サウンド・オブ・ミュージック」「ひまわり」などはほとんどが嘘の話だし、「シンドラーのリスト」も半分近くは嘘である。映画に描かれていないシンドラーの事実を書くと、シンドラーの妻は第二次世界大戦直後に遊び人で浮気が絶えないシンドラーと離婚をしており、映画が1994年に公開された時も、「私の夫は私にとっては善良な人ではなかった」と言って、夫が多くのユダヤ人を救う一方で、すごいプレイボーイで女遊びがひどかったことを告白をしている。

 

「炎628」はベラルーシで1943年3月に起こった「ハティニ虐殺事件」を描いた作品だが、ウィキペディアの説明を読むと、ソ連の映画会社が当時のソ連人民の惨状を映画にして訴えるために作った可能性がある。



そこで映画「炎628」に描かれた虐殺事件である、1943年3月22日にベラルーシで起こった「ハティニ虐殺事件」の日本語版と英語版ウィキペディアを調べていたら、こんな興味深い事実が書いてあった。

関連作品
戦争文学で知られる作家アレシ・アダモヴィチ(英語版)は1971年、小説『ハティニ物語』を発表した[8][注釈 3]。また、1977年にはヤンカ・ブルイリ、ウラジミル・カレスニクとの共著で『燃える村から来た私』を発表した[8]。これはベラルーシ全土の戦争被害者の証言を集めて1冊にまとめたものだった[8]。1985年には映画監督エレム・クリモフによる『ハティニ物語』を原作とした映画『炎628』が公開された[8]。2008年、歴史家イーゴリ・クズネツォフが監修した記録映画『ハティニの真実』が公開され、ソ連時代に確立されたハティニ虐殺の公的記録に疑問を呈した[5]。

仮説
ハティニ村がベラルーシにおける虐殺の代表例とされた理由について、ソ連軍がポーランド軍将校を虐殺したカティンの森事件と地名が似ているからではないかという仮説がある。この仮説では、カティン(ロシア語:カティニ)と発音が類似しているハティニを大々的に取り上げることで「カティンの森事件」の印象を操作しようとしていたのではないかと推測しているが、証拠は見つかっていない。この仮説は前述の記録映画『ハティニの真実』でも採り上げられた[5]。

 

こちらがハティニ虐殺のウィキペディアの説明。できれば、英語版の説明を読めばもっと詳しい事実がわかると思う。

 

ja.wikipedia.org

 

「炎628」はナチス親衛隊による「ハティニ虐殺」を描いているが、一方でソ連政府の命令でソ連軍がポーランド軍将校を大量に虐殺した「カチンの森事件」が、ハティニの近くで起こっている。ハティニは英語では[Khatyn]と綴り、カチンは英語では[Katyn]と綴るのである。hが抜けているだけで、ほとんど同じスペルなのである。これが単なる偶然とは思えない。



「炎628」が描いた虐殺事件が起こったベラルーシの村は、英語では[Khatyn]と綴る。そして、ソ連の政治将校によって約22.000人のポーランド軍将校が虐殺されたロシアの村(カチンの森事件が起こった場所)は、英語では[Katyn]と綴る。つまり、「炎628」の原作本が作られて映画化された旧ソ連時代に、「ソ連人民はこのようにナチスドイツによって痛めつけられた」ということを強調するために、ソ連共産党政府が起こした戦争犯罪である「カティン事件」に名前が近い「ハティニ事件」を映画化して、人々の視線をカティン事件を始めとするソ連政府の犯罪行為からそらす意図があったようだ。このような意図があったのだとしたら、この映画は制作開始の時点から、ソ連政府によるプロパガンダ映画の一つということになる。


さらに興味深い事実は、「炎628」で虐殺行為を行う[Schutzmannschaft Battalion 118](警察補助隊の第118大隊と日本語では翻訳されている)は、元はソ連軍の軍人でドイツ軍の捕虜となり、ナチスに寝返ったウクライナ人、ロシア人によって主に構成されており、後に1944年8月には第30SS武装擲弾兵師団 (ロシア第2)という武装親衛隊の師団に組み込まれている。だから、確かにハティニ虐殺事件の現場にいは数人のドイツ人親衛隊将校は指揮官としていただろうけど、ほとんどはロシア人とウクライナ人の親衛隊員だったらしいことが、ソ連崩壊後の歴史家の調査で明らかになっている。

ハティニ虐殺の記念碑と博物館は今もベラルーシにあり、毎年多くの観光客が訪れているというが、果たしてその記念碑と博物館の説明はどこまでが本当なのだろうか?もちろん、ナチスドイツが東部戦線の戦場でアインザッツグルッペンを投入して、パルチザン活動を行ったり支持したりした人々を虐殺したという事実は消えないが、そのシンボルとしてハティニ村というカティンと混同しそうな村の名前を持ってきて、さらに「ソ連人はこんなに被害を受けた」というような、プロパガンダに使う必要はなかったのは間違いない。

 

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写真上は、「炎628」を見て感動したという人がネット上にアップした感想。でも、この映画はソ連政府のプロパガンダに利用されてるかもしれないという、映画制作の裏事情については何も知らないようだ。そこに見出しの言葉があるが、それに付け加えるなら「ソ連政府がプロパガンダのために、世界を騙した身も蓋もない映画」ということになるだろう。

僕のロシア人の女友達は「ソ連共産主義時代に作られた戦争映画なんて、国策プロパガンダ映画ばかりだから興味がない」と言っていた。また、歴史上の出来事を描いた映画は、嘘の脚色をされてるものばかりである。

 

それで、僕にはロシア人の友達とロシア人の彼女もいたことがあるが、ソ連時代をあまりよく知らない今の30代くらいの若いロシア人は、
「旧ソ連は確かに第二次世界大戦には勝ったけど、レーニンもスターリンもその後のソ連共産党の指導者たちも、アメリカ相手に無理な軍国主義と軍拡を行って、ロシア経済を無茶苦茶にしてしまった。ロシア人の若者は過去の旧ソ連の栄光にはあまり興味がなくて、ロシアがアメリカや日本のような資本主義国として豊かな国になることを、何よりも一番に望んでいる」
と言っていた。そして、共産主義時代の旧ソ連時代に作られた戦争映画については、「あんな映画は共産党が作ったプロパガンダで、嘘ばかりだから興味ない」とも言っていた。

 

 

この映画から学べることは、これは他の歴史的事実をもとにして描かれた映画全てに言えることだが、映画に描かれた事実を全部鵜呑みにして信じてはいけないということだ。日本人なら侍の歴史を描いたハリウッド映画の「ショーグン」「ラストサムライ」などが日本人にとっては滑稽な作り話だとわかるけど、外国人の中にはあの映画に描かれたことは事実だと信じている人がけっこういる。(笑)