- バプティスト派のキリスト教というのは、暗殺されたマーチン・ルーサー・キング牧師も所属していた宗派で、伝統的なキリスト教の宗派である。僕が会話をした神父さん夫妻は決して怪しい宗教の方々ではない。
- ノルウェー出身の妻のIさんとナチスドイツ軍のノルウェー侵攻作戦について、僕がドイツ海軍記念館で撮影した写真を見せながら会話をした。奥さんは「私の両親はノルウェー軍とドイツ軍が戦う中を逃げたので、こういう写真を見るとゾッとするでしょうね」と言っていた。
- 僕が「ノルウェー軍は実は言うとけっこう強かったですね。ドイツ軍はかなりの損害を出しました」と言うと、奥さんは大きく頷いて「そうです!」と言った。そして、「キリスト教神父の妻ですが、かつての敵だったドイツ兵とか、敵を許すというのは難しいことです」とも言っていた。
- 神父夫妻は日本人が宗教に無関心なことに心を痛めていた。夫妻はキリスト教の日曜学校で不登校、引きこもりの若者たちと話し合いをしていたが、本来ならば日本では仏教のお坊さんがすることだと思う。
バプティスト派のキリスト教というのは、暗殺されたマーチン・ルーサー・キング牧師も所属していた宗派で、伝統的なキリスト教の宗派である。僕が会話をした神父さん夫妻は決して怪しい宗教の方々ではない。
これは今から20年ほど前(1990年代後半)に、僕が友達に誘われてある教会の神父さんの家に行った時の話です。神父さんはバプティスト派(暗殺されたアメリカのキング牧師もこの宗派の神父)の教会に所属していて、いわゆる変な宗教ではなかったのでした。僕も別にクリスチャンではないですが、英語がある程度しゃべれるので、ぜひ、英語で話がしてみたいと思い、その神父さんの家に行ってみたのでした。
その神父さんは○○センという、北欧風の名前を持つアメリカ人であり、夫婦で20年ほど前から仙台に派遣されて伝道活動を行なっていた。神父さんはファーストネームがNさんで、奥さんはIさんといった。家族構成はNさん、Iさん夫婦と女の子2人、男の子1人だった。一番年上の女の子は18才で、一番下の男の子は14才で、子供はみんな日本生まれだった。
平日の夕方に初めて神父夫婦と会って、自己紹介をして僕が英語とドイツ語が少ししゃべれることを知ると、2人とも喜んでくれた。さらに僕が、
「○○センというのは、北欧風の名前ですが、やはり、北欧出身なんですか?」
と聞くと神父さんは、
「私はデンマーク系で、妻はノルウェー系なんだよ」
と答えた。そこで、僕は半年ほど前にドイツのキールにあるドイツ海軍記念館に行った時に買った、Uボートの帽子を被って見せて、
「たぶん、あなた方には気に入らないかもしれませんが、日本人とドイツ人は仲が良いのですよ。その理由もわかると思いますけどね。これも、ドイツ北部の軍港町のキールにあるドイツ海軍記念館で買ったんです」
と2人に言った。ノルウェー出身の奥さんはちょっとこわばった顔をして、
[Yes, it’s very important!]
「そうね、それはとても重要なことですね!」
と言ったのだった。僕は、
「怒らせてしまったかな。マズイことを言ってしまったかな?」
と思ってちょっと後悔した。写真上はドイツ北部の軍港町キールにあるドイツ海軍記念館の大きな記念碑。
ノルウェー出身の妻のIさんとナチスドイツ軍のノルウェー侵攻作戦について、僕がドイツ海軍記念館で撮影した写真を見せながら会話をした。奥さんは「私の両親はノルウェー軍とドイツ軍が戦う中を逃げたので、こういう写真を見るとゾッとするでしょうね」と言っていた。
次の日曜日にその教会の集まりがあり、さらに、その後は神父さんの家で聖書の勉強会と集まりがあったので、僕はそれにも参加してみた。神父さんと奥さんに挨拶して、少し話してみたけど、全然、怒っていないようだったので安心した。
教会から神父さんの家まで車で移動する時に、ノルウェー出身の奥さんのIさんと一緒に座ったので、次のような話をした。
僕「1940年の4月にオスロ、トロンヘイム、ベルゲン、スタバンゲル、クリスチャンザン、ナルヴィクというふうに、ノルウェーはドイツ軍に、突然、奇襲されましたよね」
I「あの時は戦線布告もなく、突然、ドイツ軍はノルウェーを攻撃しましたからね」
「でも、ノルウェー人の中にもドイツ軍に協力した人が何人かいましたね。国民党のクヴィスリンクみたいに。あと、武装SSの部隊にも、ノルウェー人とデンマーク人志願兵で編成された『ヴィーキング』、『ノルトラント』みたいなのがありましたね。ドイツのナチス党の方法というのは、ヨーロッパのゲルマン系民族に、『共産主義と共に戦おう。ゲルマン民族の危機を救おう』と呼びかけて、傀儡政権を作るという方法でしたね」
「はい、そうですね。クヴィスリンクなんかは、戦後、捕鯨砲で射殺されましたね。ノルウェーの恥ですね。イギリスに亡命した王室と多くのノルウェー人はナチス政権と戦いましたが、確かに、裏切り者もいました」
僕「それからですね、もう、既に気付いていると思いますが、日本ではヒトラーとナチス・ドイツに寛容な国なんですよ。特に年輩の日本人は、『ナチス・ドイツとイタリアは友達だ』と信じて、戦争を戦った人ばかりですから。学校の歴史教育でも、ドイツに対して同情的なんですよ」
I「そのようですね。でも、日本とドイツの特別な関係は、第二次大戦の時だけではないみたいですね。長野オリンピックの時も、ドイツチームだけは選手村ではなくて日本のお寺に泊まったようですから」
「そうですね、明治時代から、ドイツと日本はけっこう繋がりがありますね。日本の憲法、民法、刑法などはドイツ第二帝国のものを参考にして制定されました」
それから、神父さんの家に着いたが、そこでも僕とIさんの話は続いた。神父の旦那さんは聖書の日曜学校の準備が忙しいようだったので、なかなか雑談が出来なかったのだった。
僕(ドイツ海軍記念館に行った時の資料を見せながら)「ここには1940年4月のノルウェー作戦のことがドイツ語で書いてあるんですが、どう思いますか?」(ノルウェーのオスロ生まれのIさんは、ドイツ語もしゃべれた)
I「私は別に何とも思いませんが、私の両親はゾッとするでしょうね。ドイツ海軍の軍艦と、ノルウェー軍の砲台が撃ち合っているのを見たと言ってますから」
「そうですか。実は言うと、僕がノルウェーの地理に詳しいのは、『ナルヴィク強襲』というウォーゲームをよくプレイしていたからなんですよ。高校時代によくそのゲームを友達としていて、それで、ノルウェーの地理にはものすごく詳しくなったんですよ」
写真下はドイツ海軍記念館に展示されていた戦艦「ビスマルク」の模型。「ビスマルク」は1940年4月に始まったノルウェー作戦には参加してないが、1941年5月にノルウェーのフィヨルドに移動してから「ライン演習作戦」を始めた。ノルウェーを占領したことで、ドイツ海軍が北海の制海権でイギリス海軍よりも優位に立ち、ヒトラーのナチスドイツに対して宥和政策を行っていたチェンバレン政権は崩壊して、チャーチルの率いる本格的な戦時内閣が誕生した。
僕が「ノルウェー軍は実は言うとけっこう強かったですね。ドイツ軍はかなりの損害を出しました」と言うと、奥さんは大きく頷いて「そうです!」と言った。そして、「キリスト教神父の妻ですが、かつての敵だったドイツ兵とか、敵を許すというのは難しいことです」とも言っていた。
僕「それで、ゲームをしていて気付いたんですが、日本ではあまりよく知られていませんが、ノルウェー軍はけっこう強かったんですよね。ドイツ海軍は、ノルウェー軍の海岸砲台からの砲撃でかなりの損害を出して、ヒトラーはカンカンに怒りました」
I(大きく頷きながら)「そう、そうです!あと、イギリスに亡命した王室も、本国でのレジスタンス活動を支援し続けて・・・」
僕は、ここで、ちょっと宗教の限界のようなものを感じた。なぜなら、僕が「ノルウェー軍はけっこう強かった」と言うと、Iさんは素早く反応したからだった。
「やっぱし、キリスト教神父の家族でも、愛国心などの本能は捨てられないのかな?」
などと思った。
そこで、僕は次のような質問をしてみた。
僕「元ドイツ兵、日本兵だった人達にも、キリスト教のイエス様の救いの手は差し伸べられるのでしょうか?そういう方々も、救われるのでしょうか?」
I「聖書には、『汝の敵を愛せ』、『憎しみを捨てよ』などと書いてありますが、これは、本当に難しいです。私どももキリスト教神父の家族ですが、やはり、好きな人、嫌いな人というのはあります。敵を愛するというのは本当に難しいです」
神父夫妻は日本人が宗教に無関心なことに心を痛めていた。夫妻はキリスト教の日曜学校で不登校、引きこもりの若者たちと話し合いをしていたが、本来ならば日本では仏教のお坊さんがすることだと思う。
さらに、こういう会話もした。
僕「恐らくあなた方夫婦も、教会から日本に派遣されると決まった時に喜んだかもしれませんが、実際に日本に来てみて失望しませんでしたか?日本で、『イエス様は偉大で・・・』とか言って、宗教の布教活動をすると無関心な人が多いですよね?『オ○ム真理教のような変な団体ではないのか?』とか誤解する日本人が多いですよね。それで、年寄りは国家神道を今でも信じている人が多いですから。『こんなに宗教のアレルギーの強い日本人は困ったもんだ』と思ったことはないですか?」
I「確かに、日本人は宗教の話を聞きたがらない人は多いです。頭の良い人が多くて、平和で裕福な生活をしているのに本当に残念ですね」
それ以上、Iさんと神父のNさんは、日本人と日本の宗教文化を否定しなかったが、やはり、日本人の宗教への信仰心の無さと貧しさに心を痛めていたと思う。その証拠に、神父さんの家で開かれていた日曜学校には、不登校、引き篭もりなどの若者も何人か参加していたし、仕事でつまずいている人も何人か相談に訪れていた。神父さんの家族では毎週日曜日にホームパーティを開いて、このような、人生の悩みを抱える人達の相談をしていた。
デンマーク系、ノルウェー系のキリスト教神父夫妻と第二次大戦のことについて話をしたことから、かなり話題が飛んできたが、やはり、日本のお寺などもこのような日曜学校のようなものを開くべきだと、僕は個人的に思う。今の日本のお寺は「葬式仏教」などと皮肉を言われているが、そもそも、弱い人間の魂を救うのが宗教の務めではないのか?僕はクリスチャンにはなっていないが、このキリスト教神父夫妻は、本当に立派だと思う。10年ほど前のこの時期はこの2人の人柄に惹かれて、本気で、キリスト教の洗礼を受けようかなと考えたのだった。