- 左翼新聞社が出版した大日本帝国時代の首相に関する本でも、軍人出身の首相を高く評価して、文民出身の首相を「小心者」と低く評価している。
- 実は言うと日露戦争の時も政府と軍部はロシアとの戦争に慎重であったが、マスコミが煽って国民が「ロシア打つべし!」と政府と軍に強く要求をした。同じように満州事変以後でも、不況に苦しむ日本国民はマスコミが日本軍の快進撃を書くと喜んだ。
- 軍縮を進めていた浜口、犬養首相と高橋大蔵大臣が右翼と青年将校に暗殺されたが、マスコミと国民は彼らを「憂国の志士」と呼んで同情した。今ですら彼らに同情する右翼思想の人たちがいる。
- ドイツの場合は日本にはいない独裁者のヒトラーがいたが、それ以外は日本と似たようなものだろう。
左翼新聞社が出版した大日本帝国時代の首相に関する本でも、軍人出身の首相を高く評価して、文民出身の首相を「小心者」と低く評価している。
日本では今でも、多くの満州事変から太平洋戦争敗北に至る戦争に関るドキュメントと映画がTVで放送されるが、その中でもマスコミのドキュメント特集などで気になるのは、「大日本帝国では特に軍が国民に強制して戦争に駆り立てた」という論調だ。これは、明らかに間違っていると思う。上にも書いたように、この15年間にわたる戦争での最悪の戦犯はマスコミと、政府と軍の要請に簡単に従った無学な国民だろう。写真上は焼け野原になった東京。
僕は東京新聞、毎日新聞などの極左新聞が書いた大日本帝国時代の首相に関する本を持っているが、その極左新聞社ですら高い評価をしている戦前、戦中の首相というと、海軍大将の山本権兵衛、加藤友三郎、米内光政、日露戦争を勝利に導いた陸軍大将の桂太郎くらいしかいない。また、実際の歴史では首相になれなかったが、もし首相になっていれば日本の歴史を変えたであろうという人物には、宇垣一成陸軍大将を挙げている。そして、一方で文官だった近衛、若槻、広田などには「重要な時期に首相だったけど、小心者だったので軍部の暴走を止めることができなかった」という辛口の評価をしている。
実は言うと日露戦争の時も政府と軍部はロシアとの戦争に慎重であったが、マスコミが煽って国民が「ロシア打つべし!」と政府と軍に強く要求をした。同じように満州事変以後でも、不況に苦しむ日本国民はマスコミが日本軍の快進撃を書くと喜んだ。
また、マスコミの大罪であるが、これは日露戦争の時にマスコミが主催して「打倒、ロシア、打ちてしやまん!」という集会を開いて、ロシアとの開戦に慎重だった政府と軍を「弱気だ!」と罵っていた。さらに、開戦した後も日本軍の戦いぶりを酷評していたこと、戦後のポーツマス条約締結後に「日比谷焼打ち事件」が起こったことなどを知っていれば、マスコミは日露戦争の頃からクソだったことがわかるだろう。
ロシアとの開戦後、旅順要塞がなかなか落ちない、ロシアのウラジオストック艦隊が日本近海に出没するという新聞報道を聞くと、民衆は陸軍の乃木大将、海軍の上村大将、東郷大将の家に投石したりして大騒ぎをした。ポーツマス条約で賠償金も取れなかったという報道を聞くと、民衆はまた大暴れして「日比谷焼打ち事件」を起こした。
満州事変から太平洋戦争敗戦までの期間でも、だいたい同じようなものだった。石原莞爾関東軍参謀などが中心となって「五族協和、王道楽土」という満州国を建国すると、宮沢賢治のような人までもが「満州国は日本人、朝鮮人、中国人が仲良く生活できる新天地だ」と言ってこれを歓迎した。マスコミも当然、「関東軍は素晴らしい大事業を始めた。貧困にあえぐ日本人は、新天地の満洲に移住して新しい生活を始めよう」などと新聞に書いてこれを褒めた。
満州国建国の後に「5・15事件」が起こって、軍縮を進めていた犬養毅首相が暗殺されて政党政治が終わるという転換期だった。だが、この事件の首謀者の海軍将校などを公開裁判で裁いて、「疲弊する地方の農村の貧困状況、大学を出ても就職できないという若者の現状を見て、クーデターを起こした。我々の目的は昭和維新を断行して国を救うことだ」という海軍将校の弁論を聞くと、傍聴席にいた民衆の数人は涙を流して「この人たちを無罪にしてください」と裁判官に訴えたという。その前にも、犬養首相と同じように軍縮を進めていた濱口雄幸首相が東京駅で暗殺されたが、犯人の右翼青年の佐郷屋とそのバックにあった右翼団体の愛国者には同情する国民が多くて、佐郷屋は短期間で刑務所から出所できた。
結局、マスコミというのは新聞が売れればなんでもいいという商売だから、その点は新聞王ハーストの生涯を描いている「市民ケーン」というハリウッド映画にも描かれている。この映画の中で新聞社社長のケーンが政治家の友達に、「戦争を起こしてくれないか?そうしたら新聞がすごく売れるから」と頼み、実際にアメリカ政府の陰謀で戦争(恐らく米西戦争のこと)が起こり新聞社はボロ儲けをするというシーンがある。
日本の新聞社が日露戦争以降に大会社に発展したのもこれと同じやり方だ。満州事変以来、陸軍と海軍の戦果の景気のいい戦果ばかりを報道して、新聞の売り上げを伸ばした。戦争となれば、どんな国民も国の行く末を心配して情報が欲しいので新聞、雑誌を買い漁るからだ。つまり、平和な時よりも何か大事件、戦争がある時の方がマスコミは儲かる。写真上は日中戦争での日本軍の勝利を報道する朝日新聞発行の「アサヒグラフ」。
今のマスコミは昔の罪滅ぼしのように「大日本帝国の犯したこれだけの罪」というドキュメントを作っているが、自分たちのいい加減な報道は取り上げずに、政府と軍隊をスケープゴートにしているとしか思えない。そんなドキュメントを見ても無駄だ。国営放送であるNHKが制作した「証言・兵士たちの戦争」でも、太平洋戦争末期の頃の負け戦ばかりを特集して、「軍の幹部はこのように下っ端の兵隊たちに戦死を強要した」というドキュメントばかりを作っている。
第一次大戦以後、軍事の専門家である海軍条約派の山本権兵衛、加藤友三郎、米内光政、山本五十六、陸軍軍縮派の宇垣一成などの意見をよく聞いていれば、恐らく、満州事変、日中戦争から太平洋戦争へと進まなかった可能性もあった。だが新聞に、「大日本帝国陸海軍は無敗だ!皇軍万歳!米英撃滅、打ちてしやまむ!」などという豪快な活字が躍ったので無学な国民たちは踊らされて軍国主義を選んでしまった。
軍縮を進めていた浜口、犬養首相と高橋大蔵大臣が右翼と青年将校に暗殺されたが、マスコミと国民は彼らを「憂国の志士」と呼んで同情した。今ですら彼らに同情する右翼思想の人たちがいる。
もう一度要点をまとめると、浜口雄幸、犬養毅首相、高橋是清大蔵大臣などは軍縮を進めていたので、右翼と陸海軍青年将校によって暗殺されてしまった。ところが、マスコミの報道では犯人の右翼と青年将校に同情する記事も多く、浜口首相と犬養首相の襲撃犯は短期間で出所して戦後まで生き延びて、2・26事件の青年将校に対する同情は今でもある。軍縮を進める努力をしていた有能な首相と蔵相を殺した乱暴な犯人に、国民が同情するというのはおかしい。政府だけでなくてマスコミと国民にも責任はあるという理由は、この点をよく調べればわかることだ。
元々、天皇陛下を現人神に祀り上げて強力な近代国家を作ろうとした明治維新から問題はあったが、今の憲法第9条を死んでも守ろうとする左翼日本人のように、当時は死んでも天皇と国のために尽くそうという右翼日本人が多かった。そういう日本人の極端なメンタリティに大問題があると台湾出身の金美齢女史は述べているし、欧米の政治家でも「『大日本帝国時代は天皇陛下万歳、戦後は憲法第九条万歳』という日本人と日本のマスコミの極端な主張の変化は、とても奇妙である」と批判している人が多い。
ドイツの場合は日本にはいない独裁者のヒトラーがいたが、それ以外は日本と似たようなものだろう。
一方でドイツの場合は、ナチス党党首ヒトラーと宣伝大臣ゲッベルスがマスメディアを上手く利用したと言われてるが、第一次大戦後のヴェルサイユ体制と不況に苦しむドイツ国民が、ヒトラーの演説と勇ましいマスコミの論調に喜んだのは日本国民と同じような感じだったのだろう。