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ベルリン南部にあるドイツ陸軍総司令部の廃墟(2)

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ツオッセンにあったドイツ陸軍機甲連隊司令部を、日本陸軍の親善視察団が訪問したことがあった。その中には駐ドイツ日本大使になった大島浩陸軍少将、原乙末生陸軍大佐の姿もあった。

 

上の写真はツオッセン[Zossen]の近くのクンマースドルフ[Kummersdorf]にあったドイツ陸軍機甲連隊司令部を、日本陸軍の将校団が訪れた時の写真である。1935年なのでまだ日独防共協定が結ばれる前だが、前列中央が駐ドイツ日本大使になった大島浩陸軍少将で、それ以外にも「日本語戦車の父」と呼ばれた原乙末生大佐の姿も見える。大島浩の左隣にいる長身のドイツ軍将校は、後にスターリングラード戦で第6軍を指揮して降伏した「悲劇の将軍」のパウルス大佐である。階級は全て当時のもの。

 

ドイツ陸軍司令部では第二次世界大戦前から高級将校たちが電撃戦の研究をしており、その中にはグデーリアン、ネーリングなどの後に機甲部隊司令官として活躍した将軍の姿もあった。

 

 

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上の写真はツオッセンのツエッペリンブンカーの博物館に展示されていたもので、ここには多くのドイツ陸軍機甲部隊の将軍が勤務していた。左はヴァルター・ネーリング大将の書いた著書で、左はハインツ・グデーリアン上級大将が書いた著書である。2人の上には「戦車の父」という説明が書かれてあり、2人は戦車を中心とした「電撃戦」の研究を第二次世界大戦前に熱心に行っていた。

 

ツオッセン近郊のクンマースドルフではドイツ陸軍と空軍の新型兵器のテストが行われており、ここでナチスドイツ政府から承認された新兵器は正式に採用された。パンター、ティガーなどの戦車はここでテストをされて、戦争末期には超重戦車「マウス」もここでテストされた。

 

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写真上はツオッセン近郊のクンマースドルフにあった新兵器試験場で、1945年5月のナチスドイツ降伏後に破壊された姿の超重戦車「マウス」。クンマースドルフにはドイツ陸軍と空軍の新型兵器実験場と捕獲した連合軍兵器の実験場があり、それらをヒトラーを始めとするナチス党幹部たちと、ドイツ軍の高級将校たちが見学した。

 

ここでは、ドイツ陸軍のパンター、ティガーなどの新型戦車、ハインケル社のHe112型飛行機などがテストされて、ナチス政府が承認したものはドイツ軍の新型兵器として採用されることになった。捕獲されたアメリカ軍のM4シャーマン、ソ連軍のIS2スターリン戦車なども、ここでテストされた。

 

こちらが、英語版のクンマースドルフの説明。

 

en.wikipedia.org

僕も2006年7月にベルリンに旅行した時に、ツオッセンの「ツエッペリンブンカー」だけでなくて、クンマースドルフにあった新型兵器の試験場にも行こうと思ったが、現地には博物館も何らかの兵器の展示もなくて、当時使用されていた建物の廃墟が数棟あるだけのようなので、訪れるのをやめた記憶がある。