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ドイツ軍人が眠るベルリンのインヴァリデン墓地(1)

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インヴァリデンというのは翻訳すると「廃兵院」という意味であり、インヴァリデン墓地にはプロシア時代以来の有名なドイツ軍人のお墓がある。しかし、ナチスドイツが敗北した後に、ナチス色が強い軍人、政治家のお墓は連合国によって撤去された。ネオナチの聖地となることを恐れたからである。

 

 

2005年7月と2006年7月に、ベルリン中央にある「インヴァリデン墓地」を訪問した。この墓地には、プロシア軍以来からナチスドイツ軍に至るまでの有名な軍人のお墓がたくさんある。ドイツ語の[Invaliden]というのはフランス語にすると「アンヴァリッド」(廃兵院)という意味になる。フランスは戦勝国なので、パリのアンヴァリッドにはナポレオン、第二次世界大戦で活躍したルクレール将軍などのフランスの英雄のお墓がある。しかし、ドイツは第二次世界大戦の敗戦国なので、ナチスドイツ時代にはハイドリッヒ、フォン・ライヘナウ元帥などのナチス党に忠誠を誓って亡くなった政治家、軍人のお墓があったが、戦後は連合軍によってそのような人物のお墓は撤去されて、今では比較的ナチス色が薄い軍人のお墓だけが安置されている。ネオナチの聖地となることを恐れたからでる。

 

上の写真のフォン・ゼークト将軍は日中戦争中に蒋介石の国民党軍がナチスドイツに軍事援助を求めた時に、一度中国に派遣された将軍である。ゼークトは防共協定を結ぶ日本を刺激することを恐れて帰国したが、中国軍への支援は行われて、上海、南京戦では多くのドイツ製武器が日本軍を苦しめた。

 

上の写真は、第一次世界大戦後にワイマール共和国でのドイツ国防軍の基礎を作ったハンス・フォン・ゼークト将軍のお墓だが、彼はナチス党員でもなくて日独軍事同盟が結ばれる前に、ナチスドイツ政府が日本軍が戦っている蒋介石の中国国民党軍に接近して「中独合作」が行われた時に、中国に軍事顧問団の1人として派遣されている。だが、その後に防共協定を結んでいる日本を刺激することを恐れて、ドイツに帰国した。しかし、ナチスドイツ軍は国民党軍への援助を続けて、上海、南京戦ではドイツ軍の新型武器が使用されて、日本軍を苦しめた。つまり、ナチスドイツ軍は新型兵器のテストを日中戦争で行い、また、中国国民党から大量の資金を得たのだった。このようにゼークトは反ユダヤ的、ナチス的なことを行ってないので、インヴァリデン墓地にお墓が残っている。

 

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これは、「シュリーフェンプラン」で有名なシュリーフェン元帥のお墓である。「シュリーフェンプラン」は、第一次世界大戦でドイツ軍がフランス軍とロシア軍に挟み撃ちになった時に、この逆境を乗り切るために建てられた戦争計画だが、彼は第一次世界大戦が起こる前に亡くなったので、この計画の実現を見ることはなかった。「シュリーフェンプラン」は戦争で用いられたが、機関銃と塹壕で固められた陣地に阻まれて成功しなかった。

 

 

上の写真は第一次世界大戦の時にドイツ陸軍が用いた「シュリーフェンプラン」で有名なアルフレート・フォン・シュリーフェン元帥のお墓である。「シュリーフェンプラン」というのは、フランスとロシアに挟み撃ちとなったドイツ第二帝国がヨーロッパでの戦争に勝つために立てられた戦争計画で、ロシア軍の緩慢な動員態勢を予想して、まずは電撃的な攻撃でフランスの首都パリを短期間で占領して、ドイツの優秀な鉄道網を利用して素早く陸軍を東部戦線に移動させて、ロシア軍を東プロイセンで迎え撃つという計画だった。だが、この計画を立てたシュリーフェンは第一次世界大戦が始まる前の1913年に亡くなってしまった。

 

しかし、1914年に第一次世界大戦が勃発すると、ドイツ陸軍は「シュリーフェンプラン」を発動したが、フランス軍への攻撃は大量の機関銃と塹壕を用いたフランス軍の防御によってパリ前面で頓挫してしまった。また、東プロシアに侵攻してきたロシア軍は予想以上に弱く、ヒンデンブルク将軍の率いる15万の軍隊だけで40万のロシア軍を撃退してしまったので、結局「シュリーフェンプラン」は机上の空論となってしまった。

 

 

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これは、ナポレオン戦争時に活躍したシャルンホルスト将軍のお墓である。実に美しい彫刻作品である。

 

上の写真は、ナポレオン戦争時代のプロイセン陸軍の英雄であるゲルハルト・フォン・シャルンホルスト将軍のお墓。19世紀に建てられたお墓で、実に美しい彫刻作品である。ナチスドイツ時代の巡洋戦艦「シャルンホルスト」に命名されたことで有名になった将軍でもある。

 

ナポレオン戦争時代のプロシア軍のことはあまり詳しく知らないので、ウィキペディアの説明を読んでください。(苦笑)

 

ja.wikipedia.org

 

インヴァリデン墓地はベルリン中央駅から徒歩10分ほどの位置にあるので、ベルリン中央駅の情報センターで日本語の地図とガイドブックを買えば、すぐにわかると思う。

 

インヴァリデン墓地の位置だが、ベルリン中央駅のすぐ近くにある。ベルリン中央駅の情報センターでは日本語のガイドブックと地図も売られているが、中央駅から北に徒歩10分ほどの距離なので、別に電車にのる必要もない。不安だったらタクシーに乗って運転手に「インヴァリデン・フリードホフ(墓地)」と言えばすぐに着く。

 

インヴァリデン墓地のウィキペディアの英語説明を貼っておきます。

 

de.wikipedia.org

 

 

記事が長文になってので、(その2)に続きます。