- エリザベス女王の夫であるフィリップ殿下が亡くなったが、殿下は生まれはギリシア王国であり、イギリスに帰化した外国人だった。フィリップ殿下はかなり複雑な人生を歩まれていた。
- 今のイギリスのウィンザー王朝は、ドイツ貴族のハノーファー家から王子を迎えて成立した。だが、第一次大戦の時に敵国ドイツの貴族名を名乗ることを避けるために、「ウィンザー王朝」と改名した。
- 第一次大戦まではヨーロッパの王侯貴族はみんな政略結婚で親戚であり、当時の戦争は王侯貴族の王位継承などの争いに一般国民が駆り出されていたのだった。これは、戦国時代の日本の大名の戦とよく似ている。
エリザベス女王の夫であるフィリップ殿下が亡くなったが、殿下は生まれはギリシア王国であり、イギリスに帰化した外国人だった。フィリップ殿下はかなり複雑な人生を歩まれていた。
先日、4月9日にエリザベス女王の夫であるフィリップ殿下が亡くなった。ご冥福をお祈りします。
99歳という長寿だったので、第二に世界大戦にドイツ軍がロンドンを空襲したこと、イギリス軍と日本軍がアジアで戦ったこととか覚えていただろうけど、実は言うとフィリップ殿下は生まれた時はイギリス人ではなかったことはご存じだろうか?殿下の生まれはギリシア王国であり、ギリシア王国がクーデターで共和制になったので、イギリスに亡命してきたのである。下にウィキペディアの説明を貼っておく。
ギリシャおよびデンマーク、ノルウェーの王家であるグリュックスブルク家(正式には、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク家)出身。ギリシャ王国の第2代国王ゲオルギオス1世の四男アンドレアスとバッテンベルク家(英語名:マウントバッテン家)出身のアリキ(英語名:アリス)の長男として誕生。ギリシャ語名フィリッポス(Φίλιππος)。ヴィクトリア英女王の玄孫であり、連合王国王位継承権を持つ(2012年2月現在第485位)。
フィリップ殿下と王女時代のエリザベス女王についての恋愛については詳しく書かれていないが、恐らくは政略結婚に近かったのではないか?1997年に亡くなったダイアナ妃が1981年にチャールズ皇太子と恋愛結婚をしたので、世界中から「珍しい」と言って騒がれたので、恐らくチャールズ皇太子とダイアナ妃の結婚以前は、イギリスの貴族同士で家柄、血筋などから結婚相手を決めていたのだろう。日本でも平成天皇と美智子妃殿下の恋愛結婚以前は、家柄と血筋などから周りの華族の人たちが結婚相手を選ぶ習慣があった。
今のイギリスのウィンザー王朝は、ドイツ貴族のハノーファー家から王子を迎えて成立した。だが、第一次大戦の時に敵国ドイツの貴族名を名乗ることを避けるために、「ウィンザー王朝」と改名した。
写真上はドイツのハノーファー駅前に立つエルンスト・アウグスト(第4代ハノーファー王)の銅像であるが、彼はナポレオン戦争時代にハノーファー王国の国王であり、イギリスと軍事同盟を結んでナポレオンと戦ってハノーファー王国を戦勝国に導いた。また。だから、ハノーファー市内にはナポレオン戦争の勝利の塔もある。だが、王はイギリスの生まれであり、1714年にイギリスの王室がドイツのハノーファー家から王子を迎えてジョージ1世となってから、イギリスの王位継承権も持つイギリスの王族でもあった。
それで、1714年にドイツのハノーファー家から王子を迎えて以来、グレートブリテン連合王国(イギリスのこと)のt王室はハノーファー王朝を名乗っていたが、第一次世界大戦の中に敵国ドイツの貴族名を名乗るのは避けるべきという考えから、ウィンザー王朝に改名された。だが、ハノーファー家の血が途絶えてはいないので、今でもイギリスの王族にはドイツのハノーファー家の血が流れてることになる。
今のイギリスのウィンザー朝の説明。
第一次世界大戦中の1917年、ジョージ5世は敵国ドイツの領邦であるザクセン=コーブルク=ゴータ公国の名が冠された家名を避け、王宮のあるウィンザー城にちなんでウィンザー家と改称し、かつ、王家は姓を用いないとの先例を覆してウィンザーを同家の姓としても定めた。そのため、1917年以降は現在の女王エリザベス2世にいたるまでをウィンザー朝と称し、かつ、その構成員(ジョージ5世の直系および存命の叔父コノート公アーサーの系統)は(必要がある場合には)ウィンザーの姓を用いる。ただし、ヴィクトリア女王の血統が断絶したわけではないので、いずれもハノーヴァー朝の継続と見なされることがある。
第一次大戦まではヨーロッパの王侯貴族はみんな政略結婚で親戚であり、当時の戦争は王侯貴族の王位継承などの争いに一般国民が駆り出されていたのだった。これは、戦国時代の日本の大名の戦とよく似ている。
これ以外にも、有名なフランスのルイ16世の妻のマリー・アントワネットは、オーストリアのハプスブルグ家の出身であり、ロシアの最後の皇帝となったニコライ2世の妻は、ドイツ皇帝のヴィヘルム2世の親戚だった。つまり、第一次世界大戦までは、ヨーロッパの主要国家の王と皇帝はみんな親戚であり、大家族だったのである。
だから、第一次世界大戦まではヨーロッパの戦争というのは家族と親戚同士の王位継承権、あるいは領土問題の争いであり、貴族間の揉め事が戦争となっていてのであって、一般市民はそれに駆り出されていたのだった。この辺は日本の戦国大名の戦(いくさ)とよく似ている。だから、映画「戦場のアリア」に描かれているように、クリスマス休戦になると、ドイツ兵とイギリス兵が一緒にサッカーをプレイして遊んだりとか、一般国民たちはそんなに憎しみ合ってはいなかったのである。写真上は映画「戦場のアリア」のポスター。
このように書いてくると、約100年前までは多くの世界の人々はヨーロッパを始めとする先進国の貴族たちの財産争いで戦争をしていたことになるから、僕は別に共産主義者ではないが、日本の皇室にもヨーロッパの王室にもあまり興味がない。(苦笑)