Deutschland-Lab

歴史や文化、スポーツなどドイツに関する情報まとめサイト

ドイツ人が日本人によくきく質問

f:id:novaluewriter:20210526132254j:plain

 

 

 

「ドイツ人が日本人によく聞く質問」という本を立ち読みしたことがあるが、その本には第二次大戦時の同盟については何も書かれてなかった。実際はドイツ人が日本人に最もよくきく質問は、第二次大戦以後は同じ歴史を歩んだことについてである。

 

 

かつて、このブログのタイトルと全く同じタイトルの本があった。
「ドイツ語学習者のため、ドイツ人とのコミュニケーションのため、ドイツ在住○○年のドイツ語教授が、自身の体験談をもとに執筆した本」
などと表紙に書いてあったので、ちょっと立ち読みした。ドイツ人は鯨、クロマグロなどの希少な魚を大量に捕獲する日本人に腹を立ててるとか、日本ではなぜ自殺者が多いのかとか、そういうことは書いてあったが、僕がドイツで一番よく質問された話題である、日独軍事同盟、第二次大戦時に関することが何も書いていなかった。
「本当に、ドイツ在住○○年のドイツ語教授が書いた本なんだろうか?あまり役に立たないようなトピックばかりが書いてある」
と不思議に思ったものだった。
 
 
こんな役に立たない本とは違い、僕の経験からすると、実際にドイツ人が日本人に最もよくする質問というのは、
「日本とドイツは第二次世界大戦で同盟していて敗戦国になりましたが、あなたの家族も戦争でさぞ苦労されたのでしょう?どなたか戦争で亡くなった方はいるんですか?」
「日本はドイツと同じように戦争で焼け野原になった後に、どのように奇跡の復興を遂げたのですか?」
などということ。写真上は米軍の空襲で焼け野原になった東京。
 

ドイツ人友達のWと初めて会って仙台城に行った時に、「この城はほとんど廃墟だが、いつ破壊されたのだ?」と彼は僕に質問をした。「明治維新と第二次大戦の空襲で破壊された」と僕は答えた。彼は戦前のように城が復興されなかったことを残念に思っていた。

 

たしか、2009年6月始めにアメリカのテキサス州の大学教授をしているが、夏季だけは東北大学理学部で研究活動をしているWと初めて会って、お互いの自己紹介をした後も、第二次大戦後の仙台市と仙台城の復興の話題について話した。なぜ、こういう話題になったのかというと、きっかけはWが、
「この仙台城はほとんど廃墟だが、いつ壊されてしまったんだ?」
という質問をしたからだ。
「明治維新の時にかなり壊されて、その後、第二次大戦の米軍の空襲でも破壊されたから、今、建っている隅櫓は戦後に新しく建てられたものだね。日本のお城というのは、ほとんどが第二次大戦中に空襲で壊されてしまったから、今建っている天守閣、櫓などは、ほとんどが戦後に建て直されたものだね」
と僕は答えた。だが、ひょっとしたら、違っているかもしれない。僕が知っている限りでは姫路城、犬山城、岐阜城、松本城と、あと当然、天皇が住んでいた江戸城などは破壊されなかったらしい。これらの城は連合軍の政治家たちが、
「日本が降伏するのは時間の問題だから、京都、奈良、鎌倉などの古都と伝統的で美しい建物は壊さないようにしよう」
ということで合意していたという。
 

 

同様にヨーロッパ戦線でも、ドイツの美しい旧市街、お城、宮殿などの破壊について、連合軍は頭を痛めていたという。共産主義のソ連軍は何の躊躇もなく、
「貴族とブルジョアの遺産は徹底的に破壊してやる!」
と叫びながら、古いお城、宮殿などを破壊し尽したというが。
 
それでも、ドレスデンを始め多くのドイツの旧市街は、連合軍の空襲で徹底的に破壊されてしまった。だが、多くのドイツの旧市街は、戦後、戦前と全く同じように建て直された。ドレスデン、ニュルンベルクなどに行けばこの事実はすぐにわかる。
 
そこでドイツ人が興味を持つのは、
「日本もドイツと同じように復興したけど、なぜ、日本は戦前と同じような旧市街を建て直さず、高層ビル、アメリカ風の建物などを建ててしまったのだろう?」
ということだ。でも、まあ、戦前の日本の建築物は木造のものが多かったから、17世紀の頃からレンガで建てられたドイツのように、戦前と同じようじ建て直すのはかなり困難だったのだろう。写真下は、第二次世界大戦中に空襲と地上戦で徹底的に破壊されたが、戦後は戦前と全く同じように復興されたニュルンベルクの旧市街。日本でいうと京都、奈良のような古い都である。

 

f:id:novaluewriter:20210526132714j:plain

 

Wは彼の父方の祖父が第二次大戦で北アフリカ戦線とイタリア戦線で戦って、その後、米軍の捕虜になったことを教えてくれた。僕は母方の祖父が中国戦線で日本軍の技師として働いていて、戦病死したことを教えた。


 
 あと、僕とWはお互いの家族の戦争体験についても話をした。僕(当時40才)とW(当時38才)くらいの年齢だと、両親は米軍の空襲を体験していて、おじいさんは第二次大戦の戦場に行っているから当然のことだろう。彼の父方のおじいさんは、北アフリカ戦線でロンメル元帥指揮下で戦い、その後、イタリア戦線のモンテ・カッシーノ戦線でも戦い、その後、米軍の捕虜となって、アメリカ本土の捕虜収容所で1年ほど過ごしたそうだ。
 
僕の両親の家族は、母方のおじいさんが戦争中に戦病死している。おじいさんは日本軍の技師だったので中国戦線で働いていて、そこで悪い病気にかかり、東京の陸軍病院で亡くなったのだった。
「だから、僕の母はお父さんをよく知らないんだ」
と言うと、今までに多くのドイツ人が同情してくれた。

 

2007年夏にヒトラーの総統大本営があったヴォルフスシャンツェに行った時も、リッベントロップ外相のブンカーの前で会ったドイツ人中年夫婦と、家族の第二次大戦時の様子について話をした。

 

2007年夏に、ヒトラーの大本営があったヴォルフスシャンツェに行った時に、リッベントロップ外務大臣のブンカーの前で、ドイツ人の中年夫婦に会った。その時に僕は
「リッベントロップ外相は、ナチス党政権の中でも最も日本びいきでした。日本との軍事同盟を強力に推進したのはリッベントロップ外相です」
ということを言った。夫婦はうなずいた後に、
「あなたの家族では、第二次大戦中に亡くなった方は誰かいるのですか?」
と、やはり、他のドイツ人のように第二次大戦に関することを、僕に質問したのだった。
 

さらにドイツでは、
「広島、長崎への原爆投下は、ドイツ、日本が行なった戦争犯罪と全く同じような犯罪行為です。どんな理由があっても、原爆投下を許してはなりません。原爆で亡くなった日本人は本当に可哀相です」
というふうに、ドイツの全ての学校では教えられている。「ヒロシマ通り」、「ヒロシマ公園」というのがドイツには数か所あり、ベルリンにある日本大使館は「ヒロシマ通り」にある。

まあ、今までも何回か似たようなことを書きましたが、そういうことで、日本とドイツにはやはり共通点が多いです。
 

 

 以上、今日は「ドイツがよく日本人によく質問すること」について記事に書いてみました。実際にドイツ人家庭にホームステイをして、その時に近所の人と話した会話でも、「日本とドイツは第二次大戦の同盟以来、同じ歴史を歩んでるね」と言う人がいました。特に、ドイツ人のお年寄りはそう言って日本人と仲良くしたい人が多いです。