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サッカー界におけるドイツの戦争犯罪と贖罪

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トルコ、クロアチア、イランなどの代表選手の中には、生まれも育ちもドイツという選手が何人かいる。彼らは移民の子供であり、ドイツのサッカークラブでサッカーの練習をしてプロの選手になったのである。

 

 

金曜日からヨーロッパサッカー選手権(ユーロ)が始まったので、今日はサッカーと戦後のドイツに関する話題を書きます。 写真上は2014年にブラジル開催のワールドカップで、4度目の世界王者になったドイツ代表。このドイツ代表の中にはクローゼ、エジル、ケディラなどの移民の子供がたくさんいた。
 

トルコ、クロアチアのような東ヨーロッパ、それに、イランなどのサッカー選手の中には、ドイツ生まれドイツ育ちなのにドイツ代表ではプレイせず、両親の国の代表選手になった選手が何人かいる。国際的に有名な選手では少し前の選手になるが、クロアチアのコヴァチ兄弟、シムニッチ、トルコのアルティントップ兄弟、バシュトゥルク、イルハン、イランのザンディなどがそうだ。このうちイルハンは、2002年に開催された日韓ワールドカップで“イルハン王子”と呼ばれて人気者となったから、覚えている人も多いだろう。
 
彼らは上にあげた国々から、両親が経済復興を遂げたドイツに移住して来て、その後、ドイツで生まれ、ドイツの学校とサッカークラブに通い、ドイツで成長した移民の子供である。日本人の感覚からすれば、
「ドイツ生まれでドイツ育ちなら、ドイツ代表でプレーするのが当然なのではないか
と思うだろうが、ドイツには発展途上国のサッカーを援助しなければならない理由がある。特に、東ヨーロッパの国は援助しなければならないのである。
 
 

第二次大戦の時に、ナチスドイツが戦争でヨーロッパサッカーを壊してしまった戦争犯罪に対する贖罪から、戦後の西ドイツは特に東ヨーロッパとイスラム諸国のサッカーを援助している。

 

第二次大戦中にナチス・ドイツは色んな罪を犯したが、そのうちの一つにヨーロッパサッカーをメチャクチャにしたというものがある。一つは戦争で侵略した国のリーグ戦を中断させてしまい、占領したヨーロッパの国のクラブチームを壊してしまったことである。
 
さらに、有名なサッカー選手を強制収容所に送って殺害したりもした。有名な話では、当時のオーストリア代表のスター選手、マティアス・シンデラーがユダヤ人だったので、彼を自殺に追い込んでしまったことだ。シンデラーは今のヨーロッパで言えば、C・ロナウドかアザールのようなスター選手だろう。
 
ナチス・ドイツ占領下のヨーロッパでも、一応、サッカーの試合はあった。国と国との対戦もリーグ戦もあった。ただし、当然、ナチス党が主催していたので、ドイツの強さが目立つような結果になったのは言うまでもないだろう。映画「Uボート」のワンシーンにはラジオを聴いていた水兵が、
「シャルケが負けた。0-4だ」
というセリフを言うシーンがある。
 
 
このように、ナチス・ドイツ時代、第二次大戦中にドイツはヨーロッパ各地を破壊し、さらに、ヨーロッパのサッカーまでも破壊してしまった。そのため、1954年のスイス大会で西ドイツがワールドカップで初優勝して、その後にドイツサッカーが世界のトップ水準になると、ドイツサッカー協会(DFB)は、戦争犯罪に対する贖罪(しょくざい)の意識から、多くのサッカー移民を受け入れて支援してきた。DFBはドイツ語がよくわからない移民のために、移民の子供がドイツ語学校に通うための助成金を出したりしてサポートした。
 
 
ドイツが受け入れているのは、サッカー移民だけではない。他のヨーロッパ諸国が嫌っているような、イスラム諸国からの選手も受け入れている。ホロコーストを否定していて、ヨーロッパ諸国とは仲が悪いイランからも選手を受け入れていて、イランの選手数人がドイツのブンデスリーガでプレーしている。ブンデスリーガの王者バイエルンで
はダエイ、カリミのような選手がプレイして、その他のチームでもマハダビキア、ハシェミアンのような選手がプレイしていて、イランをアジアの強国に押し上げた。 
 

西ドイツの経済復興が達成された1970年頃に、ドイツ国内には、トルコ人センター、クロアチア人センター、イラン人センター、ボスニア人センター、ギリシア人センターなどが組織され、東ヨーロッパ、西アジアからの移民を援助する機関が充実した。初めに挙げたサッカー選手たちは、その頃にドイツに両親が移住してきたのである。そして、移民の子供たちの中にはトルコ人のイルハン、アルティントップ兄弟のように「国籍はトルコだけど生まれも育ちもドイツだから、トルコでの生活は好きでない」と言ってる人たちまでいる。

 

写真下は元ドイツ代表選手のクローゼだが、彼もポーランドからの移民の息子であり、父はポーランド人の元サッカー選手で、母はポーランド人の元ハンドボール選手である。妻もポーランド人女性だが、クローゼは今はバイエルン・ミュンヘンのコーチをしているので、ミュンヘンに住んでいるようだ。

 

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イングランド、フランスなどもアフリカなどからの移民を受け入れてプロサッカー選手にしているが、これらの国は世界中に植民地を持っていたので、旧宗主国として移民を受け入れるのは当然の義務である。ドイツは第一次大戦で全ての植民地を失ったのに移民を受け入れてるのである。

 

 

このようなサッカー移民の子供を援助する組織はイングランド、フランス、オランダにもあるが、ドイツほど気前よくお金を出している国はないようだ。確かにイングランド、フランス、オランダなどには1980年代から黒人選手が代表にいて、一方の西ドイツには黒人の選手はいなかったが、イングランド、フランス、オランダというのは第二次大戦の戦勝国であり、フランスが戦後もアルジェリア、インドシナ紛争で戦ったように植民地をたくさん持っていた国として、アフリカ、アジアからの移民を受け入れる責任がある。一方でドイツは第一次大戦で負けて植民地を失ったのに、第二次大戦での戦争犯罪に対する反省から、多くのサッカー移民の受け入れを行っているのである。


 
これだけ、戦後のドイツは戦争犯罪の贖罪をしているというのに今でも、
「ドイツは、昔、ホロコーストをやったほどだから、ヨーロッパで最も人種差別がひどい国というイメージがある」
 「ドイツの大都市では、いつも、ネオナチが暴れているんだろう?」
などと不可解なことを言う人がいる。そういう人たちは、ドイツの現状をよく調べるべきだ。

 

 

以上、ドイツの第二次大戦でのサッカー界での戦争犯罪と、それに対する戦後のドイツサッカー界による贖罪行為について書いてみました。これには当然ながら、戦後のドイツでの移民の受け入れも関係しています。