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まとめ(18)第二次大戦と日本について

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今は8月中旬で8月15日が終戦記念日だったので、テレビの報道番組、ドキュメント番組でよく第二次世界大戦と日本という番組を放送している。だから、僕が過去にこの[Deutschland-Lab]に書いたブログ記事の中で、第二次大戦と日本に関する記事をまとめて紹介しようと思う。最近僕のブログの読者になったので、過去の記事を読んでない人もいると思うので。写真上は終戦直後の東京中心部。米軍の空襲で焼け野原になった様子。

 

 

「軍部と政府が国民を無理な戦争に駆り立てた」と戦後は報道されてるが、本当に軍部と政府だけが悪かったのだろうか?「無敵皇軍」と書いて国民を煽ったマスコミと、政府の方針に反対せずに追従した国民の責任を考察する。

 

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よく第二次大戦に関するテレビのドキュメントでは、「政府と軍部が国民を無理やりに米英との勝てない戦争に駆り立てた」などと結論づけているが、本当にそうだったのだろうか?国民1人1人には責任はなかったのだろうか?

 

この記事の要点をまとめると次のようになる。戦前に浜口雄幸、犬養毅首相、高橋是清大蔵大臣などは軍縮を進めていたので、右翼と陸海軍青年将校によって暗殺されてしまった。ところが、マスコミの報道では犯人の右翼と青年将校に同情する記事も多く、浜口首相と犬養首相の襲撃犯は短期間で出所して戦後まで生き延びて、2・26事件の青年将校に対する同情は今でもある。軍縮を進める努力をしていた有能な首相と蔵相を殺した乱暴な犯人に、国民が同情するというのはおかしい。政府だけでなくてマスコミと国民にも責任はあるという理由は、この点をよく調べればわかることだ。

 

また知識人も政府と軍部に同調しており、北原白秋は日独防共協定が結ばれてその後にヒトラーユーゲントが来日した時に、「万歳!ヒトラーユーゲント」という歌の歌詞を作詞しているし、与謝野晶子も海軍将校として出征する息子を激励する歌を詠んでいる。また、その他の多くの知識人も満州事変が起こっても、日中戦争が起こっても、最後には米英との戦争に拡大しても反対しなかった。

 

 

米英という大国と開戦をするよりも、ナチスドイツ軍の攻撃を受けて弱っていたソ連を攻撃した方が、日本には勝ち目があったのではないのだろうか?昭和16年に米英と開戦せずに、ソ連を攻撃する可能性を考えてみた。

 

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この記事ではタイトルを読めばすぐにわかるように、真珠湾攻撃とマレー半島上陸というふうに、大国である米英と無理な戦争をするよりも、ヒトラーのナチスドイツ軍による攻撃を受けて、既にふらふらになってるソ連軍と戦った方がまだ戦争に勝つ可能性はあったのではないのかということについて、説明をしている。

 

この記事の要点は次のとおり。米英との開戦の前に起こった非常に興味深い事実がある。日独伊三国軍事同盟が締結された後の1941年(昭和16年)3月にドイツを訪問してヒトラーと会談して、さらに、ドイツ軍の卓越した電撃戦理論、機甲部隊の強さを認識した松岡洋右外相は、ドイツ軍がバルバロッサ作戦を発動してソ連に侵攻した直後に天皇に対して、
「日本も早くソ連と開戦するべきです。そうすれば、アメリカも何も言えなくなります」
と進言した。だが、天皇は1939年(昭和14年)夏のノモンハン事件で日本軍がソ連軍に大敗して、その直後に陸軍幹部が、
「ソ連軍はスターリンの指導の下に強力な軍隊を作っているので、今後はソ連軍とは戦えません」
と発言したことをよく覚えており、松岡をきつく叱ったという。その後、ソ連との開戦という意見を言う者は日本政府内ではいなくなった。


しかし、その一方、ドイツ軍がソ連と開戦した直後に満州の関東軍は、「関東軍特種演習」という名目で多数の部隊をソ連国境に集結させていた。そして、スキがあらばソ連領内に攻め込むつもりだった。だが、ソ連軍の防御が堅かったので、断念したのだった。そして、日本国内には尾崎秀実とリヒャルト・ゾルゲなどのソ連共産党のスパイが暗躍していて、彼らが「日本軍はソ連を攻撃しない」という電報をスターリンに打って、知らせていたのだった。

 

 

戦後は大日本帝国時代の軍人は悪人が多かったと教育されてるが、よく調べると軍人首相の中にはけっこう優秀な人がいた。左翼新聞社の東京新聞が発行した本でも加藤友三郎、山本権兵衛、桂太郎という軍人首相を批判してない。

 

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この記事では、大日本帝国時代の軍人首相というのはけっこう優秀な人が多かったことを説明している。僕は今までの日本の歴代の首相の中で最も優秀だったのは、海軍大将の加藤友三郎だったと固く信じている。

 

この記事の要点は次のとおり。僕は加藤友三郎が軍縮を率先して行った海軍大将で首相だったことを、東京新聞が書いた「図解ー宰相列伝」という本で知った。ご存知のように、東京新聞とは朝日よりも左寄りの新聞社である。その東京新聞社が書いた本にも、加藤友三郎と山本権兵衛の批判はほとんど書かれてなかった。あと、日露戦争で日本を勝利に導いた時の首相だった桂太郎陸軍大将の批判もほとんど書かれてない。

 

結局、軍部というのは国を危ない方向に導く危険性があるので、その軍部を抑えられる人物は優秀な軍人ということになる。しかも、大日本帝国時代の陸海軍には「統帥権j」という特別な概念があり、文民である首相、大臣は軍の方針に直接に介入できなかったので、優秀な軍人が暴走しそうな軍部を抑える方法しかなかったのである。その例がここにあげた軍人たちであり、第二次大戦開戦の頃だと、海軍の山本五十六、米内光政、陸軍の宇垣一成のような軍人たちが挙げられる。