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父と吉野に日帰り旅行をした時の思い出

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今日のブログ記事では、兵庫県西宮市に住んでいた時に父と吉野まで日帰り旅行をした思い出について書く。

 

 

いつもはドイツに関係ある記事をブログに書いてますが、これからは僕の過去のことなどについても記事に書こうと思います。既に僕の亡くなった父について記事に書いたことがありますが、僕の父は東北大学法学部を卒業して大手銀行に勤務していたので、2年半から3年に1度は転勤があったのです。だから、家族は父の転勤の度に全国を引っ越していたのでした。僕は愛媛県松山で生まれて、その後、名古屋、東京、広島、西宮、仙台と引っ越しました。最後に仙台に落ち着いたのは、両親共に宮城県出身で仙台に土地を持っていたので、仙台にマイホームを建てることは結婚した時から決めていたようです。それで、今回の記事では西宮に住んでいた時の思い出を書きます。父が大手銀行勤務だったと書いてるのは、日本全国に支店がある銀行といったら大手の銀行しかないからです。

 

 

小学校6年生の時、4月末の日曜日の朝に部屋にいると父が「どこかに出かけるか?」と言ったので、2人で行き先を決めずにぶらりと出かけたのでだった。

 

 

小学校6年生で小学校を卒業するまでは、阪急西宮北口駅の近くに住んでいたのだった。それで、西宮北口に住んでいた時に、父と一緒に近鉄電車に乗って南大阪線の終点の吉野に日帰り旅行をしたことがある。写真上は終点の吉野駅に入る近鉄南大阪線の特急電車。

小学6年生の4月末の日曜日の朝10時頃に部屋で絵を書いてるか何かをしていると、父が子供部屋に入ってきて、「お父さんは今日は接待ゴルフも何もないから、お前がよかったら一緒にどこかに行くか?」と言った。父はいかにも昭和の父であり仕事が大事という感じの人で、家族サービスをあまりしない性格だったから、僕は喜んで父と一緒に出掛けることにしたのだった。

それで、「どこかに出かける」と父は言ったものの、父は家族旅行に行くときも基本的に勤務先の銀行の保養寮(昭和時代には大手銀行と企業は軽井沢、箱根、京都などの観光地に社員向けの保養寮を持っていた)に行くことが多いので、自分で綿密なプランを練ったことがなかった。だから、まず、家を出て阪急の西宮北口に行くのか、国鉄(当時。今はJR西日本)の甲子園口駅に行くのかということでさえ、「お前が決めろよ。お父さんはお金を持ってるから、往復で5千円くらいの所ならどこでも行けるよ」と父は言ったので、僕は決めるのに迷うという有様だった。(苦笑)

「阪急の西宮北口駅なら大阪にも神戸にもアクセスがいいから、良い選択だろう」と僕は思って、西宮北口駅に歩いて行くことに決めた。それで、西北駅に着いても「神戸に行くか大阪に行くかどうしようか」と迷ったけど、「梅田行きの特急に乗れば十三で京都の河原町行きの特急に乗り換えることも出来る。父も僕も歴史好きだから京都のお寺巡りもいいだろう」と思って梅田行きの特急に乗った。

それで十三に近づいたら父が、「河原町行きに乗り換えるのかどうか決めなさい」と言ったので、ちょっと迷ってから「天王寺とかまだ行ったことないから、ミナミに行ってみたい」と僕は言って、終点の阪急梅田駅まで乗って、梅田で御堂筋線に乗り換えてミナミに行くことにした。

御堂筋線の車内でミナミの難波と天王寺が近づいたら、難波で近鉄か南海電車に乗り換えて奈良、和歌山の観光地に行くか、それとも難波の辺りを散策するかで迷った。そこはよく覚えてないけど、なぜか通り越して天王寺まで行った。天王寺に行ったことがなかったから、天王寺付近を散策しようと2人で決めたのかもしれない。

 

その後、阪急電車と地下鉄御堂筋線を乗り継いで天王寺まで来たが、まだ行き先が決まらなかった。天王寺駅構内を歩いてると近鉄阿倍野橋駅から吉野行きの準急電車が出るところだったので、吉野に行くことに決めた。

 

 

でも、天王寺駅に着くと国鉄阪和線の駅の改札口が見えたので、「阪和線に乗って和歌山城を見に行こう」と決めたのは覚えてる。ところが、父が阪和線の特急電車の時刻を駅員に尋ねると「特急は今行ったばかりだから、次は1時間後です」と言われたのであきらめたのだった。

それから、天王寺駅構内を2人で歩いてると近鉄南大阪線の阿倍野橋駅の改札口があり、その奥に南大阪線の電車が見えた。奈良県中部にあり、南北朝の戦いの時に南朝があったことで有名な吉野行きの準急電車が、数分後に出発すると駅に表示されていたので、なんか突発的に2人で「あの電車に乗って吉野に行こう」と決めたのだった。

吉野行きの準急の中は日曜日の昼なのに混雑していたが、南海電鉄河内長野方面行き電車の乗り換え駅の古市でかなりの客が降りたので、その後は空いていて橿原神宮を過ぎる頃には、4両編成電車の4両目車内の乗客はまばらになった。その時、電車の後部窓から後ろの景色を見ていたけど、その景色がすごく美しくてのどかな風景だったのは、今でもよく覚えている。飛鳥地区の景色だけど、やはり、あの景色こそが日本人の心の故郷の景色だと思う。大阪は電車で1時間弱でこういう風景が見れるのが良い点だと思う。東京首都圏には絶対にない風景だった。写真下は飛鳥地方ののどかな風景。

 

 


それで、終点の吉野駅に着く頃には4両目には、僕と父を含めて5人ほどしか乗ってなかったと記憶してる。大都会の大阪から1時間ほどの所にこんなにローカルな私鉄が走ってることは、僕にとってはとても新鮮な発見であり、この時に近鉄電車の大ファンになった。それで、小学校の卒業文集には「将来は近鉄グループに入社して、新しい特急電車を走らせる仕事をしたいです」と書いたのだった。僕は体力がなかったので肉体労働の鉄道員は向いてないが、新しい電車、特急電車を企画する仕事をしてみたいと思った。



でも、吉野に着いた時には帰りもまた準急か急行で帰るのは時間がかかってつらいので、帰りの特急券を買ったのだった。(苦笑)近鉄は昔も今も特急料金はそんなに高くない。

吉野を父と一緒に散策したことも書くとすごく長い文章になるので、そこは割愛する。

 

首都圏と関西というのは公共交通機関が発達してるので、行き先を決めずに最寄り駅から電車に乗ってぶらぶらと楽しい散策をすることができる。僕が今までに住んだ街でも一番楽しかったのは西宮で、その次が東京の目黒である。

 

「関西の人ってこんな風に行き先も決めずに、ぶらぶらと出かけることが多いのですか?」と疑問に思うかもしれないけど、関西地方はJR、私鉄の公共交通機関がかなり便利なので、僕の家族のように西宮市に住んでいれば北は鞍馬、南は和歌山、東は琵琶湖か伊賀上野、西は姫路城までぶらぶらと日帰りで遊びに行ける。だから、日本全国の高校の修学旅行先は圧倒的に関西地方が多い。

実は言うと、僕が通っていた仙台市内の公立男子高校は修学旅行がなくて、代わりに蔵王山にある高校所有の山小屋でクラスで一泊をしたのだった。でも、仙台市内のほとんどの高校の修学旅行先は京都、奈良、大阪という関西地方なので、かつて西宮に住んでいた僕にとっては修学旅行がなくても別に困りはしなかった。だいたい、高校生になると修学旅行なんかで学年全員でぞろぞろと行動をするよりも、仲の良い友達とグループ旅行をした方が楽しいに決まってるだろう。(苦笑)

写真は吉野駅に入る阿部野橋発の近鉄南大阪線特急と、奈良県の飛鳥地方の風景。福祉関係で働いている友達が言うには、京都府と奈良県というのは精神疾患と自殺者数がとても少ないのだという。こんなのどかな風景が毎日見れれば、仕事と勉強で疲れても癒される人が多いのだろう。