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僕が中学1年生の時にクラスであったいじめ

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今日も僕の過去の出来事のことをテーマにします。今日は僕が中学生時代に実際にクラスであったいじめについて書きます。いじめ問題なんて思い出したくないし嫌なことだけど、昭和時代後期からずーっと問題になってますから。

 

写真上は仙台市教育委員会が入っている仙台市役所の建物。公立学校でいじめがあると、自治体の教育委員会とトップの責任が問われている。

 

 

僕が中学校1年生だった時にZさんという女子生徒がすごくいじめられていて、学校に来なくなった。学級崩壊状態になって、担任のA先生はノイローゼ状態になった。

 

 

これは、1980年代に僕の中学校のクラスでいじめがあった時の話。僕が中学1年の時にシャレにならないほどにひどいいじめがクラスで行われていたので、学年担任の先生全員に叱られて、校長先生もクラスを見に来たことがあったのだった。


僕がいた中学1年生のクラスで、Zさんという女子がひどく虐められていることが先生たちの間で問題視された。担任の中年女性のA先生(美術の先生)は、この虐めの件で頭を痛めてノイローゼ状態になって学校に来なくなった。

 

すると、ある日、授業後のホームルームの時にA先生ではなくて、学年の担任先生全員がクラスに怖い顔をしてやって来て学年主任のB先生が教壇に立って、
「Zさんはこのクラスでひどく虐められているので学校に来ていない。お前らの中にいじめをしている生徒がいるのはわかっている。いじめている生徒が名乗り出るまで今日はみんな帰れないぞ」
と言った。前後の入口に先生たちが仁王立ちしていた。

すると、学年の中で一番怖い数学のC先生(40才くらいの男性教師)が遅れて入ってきて、
「おい、Y(不良ぽい男子)、ちょっと前に出てこい!」
と怒鳴った。Y君が前に出ていくと先生はいきなり彼をバチーン!と平手で殴った。Y君はビックリして頬を抑えて、
「何をするんですか!?」
「お前がやったんだろう?!」
「違いますよ、俺じゃないっすよ!」
「ウソを言え!お前のこの赤いセーターはなんだ!?こんな校則に違反してるもんを着てる奴の言うことなんか信用できん!」
それで、また、平手でバチーン!
「俺はZさんはいじめてないです!」
「黙れ!」
また、平手でバチーン!
「だったら、誰がいじめているんだ!?正直に言え!」
「知らないです!」
胸ぐらをつかんで引きずり回して、また、平手でバチーン!
「嘘を言え!本当は知っているんだろ!?」

このメチャクチャなシーンを見て教室中の生徒全員に戦慄が走ったようで女子生徒の中には泣き出した生徒もいたようだけど、僕は戦争映画が好きでナチス・ドイツのゲシュタポ、日本軍の憲兵隊の拷問シーンなどをよく見ていたので、
「C先生のこのやり方は教育指導ではなくて、見せしめの拷問だ。戦争中に行われていた憲兵隊の拷問と全く同じだ」
と思って、C先生のやり方にものすごく腹が立った。

その後、B先生を始めとする学年担任の先生はクラスの生徒全員を睨みつけながら数分間説教をして、最後にB先生は
「担任のA先生はしばらく学校には来ないので、代わりに音楽のD先生(中年の怖い先生)がこのクラスの担任をしてホームルームまで指導する」
と言った。

 

 

学年の先生全員がZさんへのいじめの犯人を見つけるためにクラスに来たが、その中でもC先生はいきなり不良ぽい生徒のY君の胸ぐらを掴んで何度も平手打ちをした。僕はこの野蛮な方法が戦前の憲兵の拷問みたいで間違ってると思った。

 

 


先生たちが帰った後にほとんどの生徒、特に女子生徒は涙ぐんで
「怖かった~、Y君みたいに殴られるかと思った」
とか言っていた。でも、僕はC先生の「見せしめの拷問」というやり方に腹が立ったので、
「C先生はキ○ガイだ!あんなことを学校の先生がしていいのか?!先生があんな暴力を振るうから生徒もイジメをするんだ。いきなりY君をみせしめで殴ったのは、軍国主義時代に日本軍人がやっていた拷問だ。民主主義時代の教育でこんなことをやっていいはずがない!俺の親父が中学の先生はバカばかりと言っているけど、全くそのとおりだ」
と僕が大声で言うと、他の生徒たちも
「そうだ、G(僕のこと)の言うとおりだ!あの方法は乱暴すぎる!民主主義の学校で許されるはずがない!」
と叫んで同意した。


何度も書いてるが僕は父が銀行員で転勤族だったから転校が多くて、小学校から中学校に上がる時に関西地方の西宮市から中学校のある仙台市へと引っ越してきたので、なぜZさんをそんなに虐めるのかよくわからなかった。中学校では大人しくて友達が少ない優等生タイプだったけど、この事件の後では不良グループにもあまりいじめられなくなった。その後もこの事件の話になると、
「あの不条理な体罰に関してはGの言うとおりだよ」
と友達に言われた。そして、生徒たちの間ではC先生による不条理な体罰は笑い話となった。

その後、クラスの4分の1くらいの生徒とその親が呼び出しを受けて先生たちと面接をすることになったが、僕と親は呼ばれなかった。臨時の担任になった音楽のD先生に
「僕と僕の親は面接をしなくていいのですか?」
と質問したら、
「Zさんがお前については何も言ってないからしなくていい」
とD先生は言った。

 

 

昭和時代から平成初期の中学校の教育指導方法はこんな感じが多かった。先生と上級生が暴力で学校を支配していて、反抗するとすぐに叱られた。不良生徒が校内暴力をふるってる学校もあったらしいが、うちの学校ではなかった。

 

 

まあ、昭和時代の中学校なんてこんな感じだった。いきなり先生が不条理に体罰を振るっても生徒は誰も文句は言えなかった。Zさんへのいじめはその後は少しは改善されてZさんも学校に来るようになった。でも、この先生たちの対処法は間違っていたと思う。この事件があった1980年代はまだ体罰、「お前なんか、学校に来なくていい!今すぐに窓から飛び降りて死んでしまえ!」などという先生から生徒への暴言も当たり前の時代だったから、こういう指導法もよくあった。でも、今の時代にこんな乱暴な指導をしたら、すぐにネットに書き込みがあって全国ニュースになるかもしれない。


それで、中学校を卒業するまでにいじめをしていた連中はZさんに謝ったのかというと、他の学校でいじめをしていた生徒と同じように謝っていない。それどころか、Zさんが私立女子高に進学してその後に大学受験のために予備校で浪人していた時も、
「中学校の時にいじめられていたZが俺と同じ予備校にいるけど、俺のような中学時代の同級生とは話そうとしないんだ」
と僕と同じ公立の進学校に進んだ友達が言っていた。


それで、最後にスカッとする事実を書くけど、20代になって仙台で仕事を始めた時に同じく仙台で仕事をしていた中学高校と同じ学校に通ったXと会って喫茶店で会話をして、いじめられていたZさんのことをきいたら、

「Zはね、東北大学文学部に浪人して入って大学院まで卒業して、今は東北大学文学部大学院で研究活動をしてるよ。彼女は中学校の中でも頭が良かったんだよ」

と言っていた。

「じゃあ、Zがいじめられていたのは、頭が良い女子だからその才能をねたんで悪い生徒がいじめていたのか?極めて悪質じゃないか?それで、俺とお前はZへのいじめとは関係なかったけど、彼女は中学校の同級生なんかとは会いたくないだろうな」

「まあ、そうだろうね。俺もZへのいじめには関係ないけど、悪いことをしたと思ってるよ。もちろん、中学校の同級生とは会わないだろうね」

 

 

 

地方都市、田舎というのは東京、大阪のような優秀な大学が多い大都会よりも教育方法が遅れていて先生の質も低いので、安易に暴力で指導する先生が多い。だから都会よりもいじめが多い。

 

 

僕の中学校時代の極めて後味の悪い思い出を今日は書きましたが、仙台市は今でもいじめが多いです。「仙台 いじめ」で検索すると過去の仙台市内でのいじめ事件が見つかります。今の仙台市長である郡和子市長も、いじめ対策を市政の中心の一つにしてます。僕は大阪の近くの西宮市の小学校から仙台市の中学校に転校してきたからわかりますが、基本的に首都圏、関西のような大都市圏の学校に比べると、地方都市と田舎の学校は20年くらい教育方法が遅れていて、教員の質も低いです。特に公立学校の教員は質が低いです。これは、大都市には優秀な大学がたくさんあるから教育方法、生徒へのカウンセリングも進んでるし教員の質も高いけど、地方はまず教員を養成する大学が少ないし教育方法、カウンセリングが遅れていて、まだ安易に暴力をふるう先生が多いからだと思います。