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散々だった京都での紅葉狩り

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今日も僕が小学生だった時の思い出について書こうと思います。ドイツの話だけでなくて、こういう話もけっこううけがいいようなので。(笑)

 

 

両親共に仙台出身で今は僕は仙台に住んでるけど、僕の父が大手銀行勤務だったので、小学校卒業までは全国各地を引っ越していたことは僕のブログを読んだことがある人なら知ってるだろう。それで、小学校6年生で父が大阪支店勤務で銀行の社宅アパートがある西宮市に住んでいた時に、11月末に銀行職員と家族が参加できる紅葉狩りの日帰り旅行があって、京都の嵯峨嵐山方面に紅葉を見に行った。写真上は紅葉の時期の嵐山。

 

 

京都北西部の嵯峨に紅葉を見に行って北山杉も見物したのだが、お寺で日本酒を飲んだ父が美人バスガイドさんに「ガイドなら歌を歌え」と絡み出して、本当に恥ずかしい思いをした。

 

 

大阪の心斎橋にある銀行の支店から京都までは観光バスで行った。確か、京阪観光のバスだったと思う。美人の若い女性のバスガイドさんもいて、当然、京都市内から嵯峨に向かっている時に色々と京都の名所案内をしてくれた。京都北西部の北山杉を見に行くということも旅程のうちの一つだったので、北山にあるお寺で日本酒が出されて、僕と妹はまだ子供だったから酒は飲まなかったが、父も含めて大人はみんな少し日本酒を飲んだ。

 

ところが、この日本酒を少し飲んだことがこの後に厄介な事件を起こした。ちょっと酔っぱらった父が美人バスガイドさんに、「バスガイドさん、歌を歌ってください」、「バスガイドさん、歌を歌べきだろ?」「おい、バスガイド、なんで歌を歌わないんだ?!」というふうに、しつこくバスガイドのお姉さんに歌を歌うように絡み始めたのだった。他の銀行の職員の人たちはそんなことを誰も言ってないのに、父だけが「歌を歌え」と言っていたのだった。僕と妹は「酔っぱらって、キチガ〇になったのか?恥ずかしいかぎりだ」と思った。

 

それで、確か嵯峨にある有名な神護寺に着いてみんな降りて見物することになった時に、父は怒った顔をしてバスガイドさんに詰め寄った。父はまず名刺をお姉さんに渡して、「どうして歌を歌わないんだ?バスガイドなら、客を喜ばせるために歌くらい歌うのが常識だろ?このことをお前の上司に報告するぞ」と叱ったのだった。お姉さんは「なんやの、このおっさんは?変な人やな」みたいな感じで困った顔をしていた。周りの人も父をなだめていた。父は当時は課長であり父の上司がいたら叱ったのだろうが、どうやらそういう人はツアーに参加してないようだった。僕と妹は「お父さんは東北の田舎育ちのキチガ〇だから、相手にしなくていいよ」とお姉さんに言った。それでも父はお姉さんを睨んでいた。

 

 

父がこのように傲慢な理由は、父は宮城県のど田舎にある農家の生まれであり、田舎の高校から東北大学を卒業して大手銀行に入ったので、田舎育ちの本性がたまに出ることがあったから。

 

 

他の場合にも父がこういう傲慢な態度をとることがたまにあったが、大きな理由は大手銀行、大手企業に勤務してる高学歴の人というのは、都会の進学校から有名大学卒という人が多いのだが、他のブログにも書いたように父は宮城県県北のど田舎の普通高校を卒業して東北大学に入ったというちょっと変わった経歴であり、しかも実家は戦前までは小作人を雇っていたという地主だった。父の実家に何度か行ったことがあるが、横溝正史の「八つ墓村」に出てくるような感じの旧家であり、周りには大きな商店などは全くない「村社会」の小さな町だった。こういうど田舎育ちの人間の本性が、お酒を飲んだ時に出てしまったのだろう。(苦笑)

 

 

さらに困ったことはバスが嵐山付近でひどい渋滞に巻き込まれて、のろのろとしか進めなくなったこと。当時の関西人のマナーも悪くて、道路わきには弁当の空き箱、空き缶などが投げ捨ててあり、酔っぱらって道路わきを歩く人もいた。

 

 

父が酒を飲んでバスガイドに絡んだことでも困ったのだが、もう一つすごく嫌な思いをしたのは、嵯峨、北山から嵐山に移動する道路がすごく渋滞していて、1時間に5キロほどしか移動できなかったこと。確かに嵯峨嵐山の紅葉はすごく美しかったのだが、バスは10分ほど止まった後に数百メートルしか移動できない状態が何時間も続いた。この渋滞は僕にとっては生まれて初めて経験するレベルの渋滞であり、「もう紅葉なんて見飽きたから、早く家に帰りたい」と思うようになった。(苦笑)

 

しかし、これは京都にお花見、紅葉狩りに行くのならある程度予想はつくことであり、「京都の紅葉はきれいだから見に行きたい」と自分が思うということは、関西地方に住む他の人たちも同じことを考えてるのだから、混雑が予想される観光地に車で行けば渋滞に巻き込まれるのは当然のことである。それにしても、観光バスが時速5キロほどでしか進めないという事態は予測できなかったのだろうか?こんなひどい渋滞に巻き込まれてしまったので、「今度、京都に桜か紅葉を見にくる時は、電車に乗って歩いて見て回るのがベストだな。車で来ると絶対にこういう渋滞に巻き込まれる」と父は言っていた。

 

さらに、追い打ちをかけたのが当時の関西人のマナーの悪さである。ひどい渋滞になった原因の一つは関西人の運転マナーの悪さもあるが、渋滞している道路の周りには車から捨てられたお弁当の空き箱、空き缶などがたくさん転がっていた。渋滞で車が進まないので嵯峨から嵐山に向かう有料道路のわきで、ちょっとした宴会を始めるおじさんおばさんもいたし、トレイがないから子供に小便大便を道端でさせてそのままにしてる人もいた。とにかく、今はよくなってると思うが、昭和時代の関西人のマナーの悪さは最悪だった。

 

渋滞に巻き込まれたバスについてだが、嵐山の渡月橋付近まで着いたけど、それでもまだ時速5キロほどしか進めなかったので、ツアーに参加した人たちは嵐山で周りの博物館、名所などを訪れて時間をつぶした。僕と父と妹は当時嵐山にあった「京都嵐山美術館」という名前の軍事博物館を見学した。軍事マニアの僕にとっては嬉しいことに、旧日本軍の兵器がたくさん展示されていた。「こんな所に民間の軍事博物館があるのか」と思ってびっくりした。

 

 

最後には「渋滞がひどいから大阪まではバスで帰れない」ということで、阪急電鉄嵐山駅で解散になった。その後、バスが大阪の心斎橋にある銀行支店に着いたのは深夜11時頃だったという。

 

 

その後、京都から大阪までまだまだずーっと渋滞が続いてるという情報があったので、結局、予定を変更して阪急嵐山駅で紅葉ツアーは解散になった。その時で既に夜の7時頃だった。その後聞いた情報では京阪観光のバスが大阪心斎橋の銀行支店まで帰れたのは深夜11時頃だったらしい。運転手さん、バスガイドさん、ツアー責任者の銀行職員の方々にとっては、本当にとんでもない紅葉ツアーだっただろう。先にも書いたように、紅葉シーズンに紅葉の名所に行く時は電車で行って徒歩で見て回るのがベストである。(苦笑)