- 学校の入学試験は転勤族の子供にとってはすごく不利である。親の転勤で転校しないといけない子供は、転校がない子供に比べると落ち着いて勉強できない。
- 僕の両親は兄が高校受験を控えた中学3年生になった時に仙台にマイホームを建てたが、父はその後も単身赴任をしていた。僕が中学と高校に通っていた時に父が仙台に住んだのは1年半だけだった。
- 転勤族の家族は中学校から子供を有名中学校に入れて父親が単身赴任をするとか、高校に入学した後に転校になって転入試験を受けるなどの苦労をしている。
- 東京大学に入学できた有名人は転校をしてないか、転校の回数が少ない人が多い。転勤族の子供は入学試験ですごく不利なので、入学が簡単で卒業が難しい学校制度に変えるべきだ。
学校の入学試験は転勤族の子供にとってはすごく不利である。親の転勤で転校しないといけない子供は、転校がない子供に比べると落ち着いて勉強できない。
今日のブログではまず結論から書いておこう。僕のような父が銀行員か大手企業勤務で2~3年に1回転勤がある”転勤族”の子供にとっては、私立有名中学、有名進学高校、有名大学の入学試験は鬼門であり、入学試験においては圧倒的に不利である。上の写真は日本の教育を監督している文部科学省のビル。
僕の両親が仙台市内に土地を持っていたので、仙台市内にマイホームを建てて定住した理由も兄が中学3年生になって高校受験が近くなったからである。その時、僕は小学校を卒業して中学校に入学した時だった。僕の父は宮城県北部の田舎町の出身であるが、大学は東北大学法学部卒であり、母は仙台市内の出身なので両親は結婚した時から、「将来、子供が成長して高校受験が近くなったら、仙台市内にマイホームを建てて定住しよう」と決めていた。これは、高校生になってから転勤で子供が転校ということになると、高校入学試験を2度受けるという極めて難しい事態になるからである。
それで、うちの場合は仙台にマイホームを建てた時点では父はまだ銀行の大阪支店勤務だったので、父は西宮の社宅アパートから千里中央にある独身寮に引っ越して、大阪支店で勤務を続けた。その後、「大阪はちょっと遠すぎるから、なるべく仙台の家族の近くに住みたい」と父は銀行に申し出て、僕が中学校2年生の秋の時に秋田支店に転勤になった。大阪支店に勤務していた時は春休み、ゴールデンウィーク、夏休み、年末年始の時しか父には会えなかったが、秋田支店に転勤してからは3連休の時も父に会えるようになった。その後、父が仙台支店の副支店長になって家族が一緒に住めるようになったのは、僕が高校1年生の秋のことだったと思う。でも、父は僕が高校3年生の7月の時には東京の農林水産省事務所に出向になったので、再び単身赴任になって東京の吉祥寺にある銀行の社宅住みになった。
僕の両親は兄が高校受験を控えた中学3年生になった時に仙台にマイホームを建てたが、父はその後も単身赴任をしていた。僕が中学と高校に通っていた時に父が仙台に住んだのは1年半だけだった。
このように回想してみると、僕が中学生、高校生という難しい時期に父が家にいたのはたったの1年半だけだった。当然、お父さんっ子だった僕は中学高校時代は精神的に非常に不安定だった。高校受験、大学受験の時にも父は家にいなかったから全くアドバイス、励ましはもらえなかった。このことについては父も僕が東北大学に合格できずに滑り止めで受けた東京の私立大学に入学して、それから大学を卒業して就職して仙台で働き始めた20代の時に、「お前は多分お父さんよりも頭が良かったかもしれないが、成績が伸び悩んだのはお父さんが転勤が多かったので、小学校卒業までに東京、名古屋、大阪に住んで、仙台に定住した後もお父さんは単身赴任をしてお前の悩みとか聞いてやれなかったから、それで精神的に辛かったから成績が伸び悩んだのだろう。それは、生まれてから東北大学卒業まで宮城県北の田舎町と仙台だけに住んだお父さんとは、完全に違う人生だったからな。それはお前の努力不足ではなくて、お父さんが転勤が多い銀行員という仕事をしてたから、どうしようもならなかった。それは大変だったと思う」と言っていたことがある。
転勤族の家族は中学校から子供を有名中学校に入れて父親が単身赴任をするとか、高校に入学した後に転校になって転入試験を受けるなどの苦労をしている。
また、父と同じ銀行に勤務していた他の家族でも、例えば、東京で同じ社宅アパートに住んでいた新藤さんという家族には、僕と同い年の女の子がいたが、新藤さんの両親は娘を東京都内の名門私立小学校に編入学させて、父親が東京から転勤になった後も家族は東京に住んで、父親が単身赴任することを考えていたようだ。だから、新藤さんは学校が終わった後も塾に通っていたと、母から聞いたことがある。その後、新藤さんの家庭がどうなったかは、僕の家族が広島に引っ越しになってしまったから詳しいことはわからない。
また、僕の中学高校時代の友達でも、僕は仙台市内の公立男子校の進学校に入学したのだが、せっかく進学校に入ったのに高校1年で父の転勤に伴って転校になって、高校入試を2回受けた同級生が2人いる。また、僕が進学校にいた時にも編入試験を受けて合格して転校してきた友達がいた。しかし、彼は三重県から転校してきたので、三重県の高校と仙台の高校の違いについていけずに不登校気味になり留年して、1年生を2回することになってしまった。
東京大学に入学できた有名人は転校をしてないか、転校の回数が少ない人が多い。転勤族の子供は入学試験ですごく不利なので、入学が簡単で卒業が難しい学校制度に変えるべきだ。
それで、東京大学卒業の有名なタレントを調べてみると、父が転勤が多くて大学入試までに何度も転校をしたという人はほとんどいない。田中万由子は生まれてから東大合格まで東京都内の実家で暮らしていたし、菊川怜はさいたま市内の実家から東京都内にある私立進学校に通学して東大に合格してる。ホリエモンこと堀江貴文も福岡県に生まれて転校をすることなく過ごして、久留米大学付属中学校高校で勉強をして東大に現役で合格している。一方で、デーモン小暮、西田ひかる、早見優のように父が転勤族なので海外で過ごして英語がペラペラの帰国子女は、得意の英語力を活かして有名大学に入学している。これは、日本国内だけを何度も転勤した僕の父とは違って恵まれた転勤族である。
まあ、とにかく、僕の父のように転勤が多い職場に勤務している方々にとっては、高校、大学の入学試験というのは鬼門であり、子供の入学試験をどうしようかと悩んでいる方はとても多い。だから、文部科学省は早いうちに入学は簡単にして卒業を難しくするという、欧米型の学校と同じように学校制度を変えてもらいたい。入学が簡単で卒業が難しいという学校制度なら父の転勤に伴って中学校と高校で転校をしても、転勤族の家族はそんなに子供の教育で悩む必要はなくなる。