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西宮から仙台に引っ越す時に友達に引き留められた

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西宮で小学校6年生の12月に、「小学校を卒業したら仙台に引っ越す」とクラスメイトに告げたら、みんなすごくびっくりしていた。担任の先生が「G君はお父さんが銀行員だから、転勤が多いのです」と教えた。

 

 

今日のブログでも僕の過去の思い出について書こうと思います。ドイツに関するブログはまだネタはありますが、もう少し後で書こうと思います。ドイツに関するブログを読みたい人は前のブログを読んでみてください。(苦笑)

 

僕の父が大手銀行勤務だったので、小学校卒業までに東京、名古屋、大阪などの大都市に住んだことはもう何度も書いたけど、父が大阪支店勤務の時に家族は銀行の社宅アパートがある西宮市内に住んでいた。それで、僕が小学校卒業と同時に両親の故郷である仙台にマイホームを完成させて、家族で仙台に引っ越すということはもう1年ほど前に決めていたので、小学校6年生の12月にクラスの担任のA先生に「仙台に引っ越します」ということを告げた。A先生は年齢が30代後半の美人女教師だった。息子が2人いて伊丹市に住んでいたが、たまに体育の授業に小学校4年生の長男が参加してることがあった。本当は規則違反なんだろうけど、そこは通っていた小学校は校長先生が規則に甘い人だったので許されていた。

 

それで、僕が仙台に引っ越すことを先生に告げたので、その日の授業後のホームルームでA先生は僕を前に呼び出して黒板の前に立たせて、

「G君(僕のこと)は、仙台に引っ越すことになりました。みんなと一緒にZ中学校(近所の中学校)には行きません。G君とは小学校卒業でお別れになります」

とクラスメイトに教えた。当然、みんなは

「エ~~ッ!」

と叫んで驚いた。5年生の時も同じクラスだった同級生は、

「Gは5年生の1月に広島から引っ越してきたばかりやろ?1年ちょっとでもう引っ越すんか?先生、Gのお父さんて何の仕事をしてるんですか?」

などと質問をした。

「G君のお父さんは全国に支店がある大手銀行に勤務しとるから、転勤が多いのです。先生が知ってる限りではG君の家族は2年半に1回は引っ越してます。ただし、今回はお父さんは単身赴任で大阪に残って、G君の家族だけが仙台に引っ越すそうです。G君のお兄さんがもう中学校2年生で高校受験が近いから、両親の故郷の仙台市にマイホームを建てて住むのです」

と先生が教えると、クラスメイトは納得した。

 

 

しかし数人の仲の良い友達は納得せずに、「何とか関西に残る方法はないんか?東北地方なんてロクな学校がないやろ?お父さんが単身赴任で大阪に残るなら、お前も私立中学を受験して関西に残ればええやろ?」と言って、関西地方に残ることを勧めてきた。

 

 

でも、数人の友達は納得しなかった。

「お前、東北の仙台なんかに引っ越したら人生が終わりやろ?仙台なんかに何があるねん?お前のお父さんは東北大学卒業やけど、大学は東北大学以外はロクな大学ないやろ?関西なら京大、阪大、神戸大以外にも私立も関関同立とかいい大学たくさんあるやろ?なんとか関西に残れへんのか?そうや、お前、私大の付属中学校を受験して関西に残れ。お父さんが単身赴任で千里中央にある銀行の寮に住むんやろ?そしたら、お前も西宮にある関西学院大学の付属中学を受験して残ればええねん。千里から西宮まで通学すればええやろ?俺らもお前の家にたまに遊びに行くから、関学の付属中学を受験して残ればええねん。関学の付属だったらお前の学力なら、そんなに受験勉強せんでも受かるやろ?なんとか関西に残れや」

ということをKという友達から言われて、Tという友達もこの意見に同意した。

 

 

それで友達のK君は、「冬休みにどこかに日帰りで旅行に行って、そこでGの将来について考えよう」と提案したので、僕と友達3人で明石に日帰りで出かけて、僕の進路について話し合うことになった。

 

 

さらに、Kはこういうことを提案した。

「俺とTとF(以前にも書いたが、同じ銀行の社宅アパートに住んでいた当時の僕の親友)とGで、冬休みにどこかに日帰りで旅行に行こうや。そこで俺たちでGの将来について考えよう。私立中学を受験して関西に残るか、それか仙台に引っ越すか。お前はどこに行きたい?」

僕はそんなことを言われても家族でもう仙台に引っ越すと決まってるからとか言ったが、Kはとにかく日帰り旅行に行こうと言ったので、

「明石にある日本標準時の天文台に行ってみたいな」

と僕は言った。それで、冬休みの休日に僕とKとTとFの4人で明石に行くことになった。だから、上には明石城の写真を掲載している。

 

1月上旬の関西地方にしては珍しく寒い日に4人で明石に行って、明石城とか日本標準時になってる明石市立天文科学館などを見た。Kは何度か僕に「どや、私立中学を受験して関西に残る気になったか?東北の仙台みたいな辺鄙な土地に行くより、関西に残った方がお前の人生にもプラスになるやろ?」と僕に質問したが、「それについては家族とも話し合ったけど、俺とお父さんが大阪に残ると家族がバラバラになるしな」と僕は答えたので、Kはガッカリしていた。「でも、気が変わったら俺らに教えてくれや」とKとTは言って、僕を説得することを諦めないようだった。

 

 

でも家族と話し合ったら、「お前だけがお父さんと大阪に残ると家族がバラバラになるから、お父さんだけが大阪で単身赴任して、家族は仙台のマイホームに住むことになってる」と言われた。

 

 

それでも僕は家族と話し合ったけど家族では、「元々両親が仙台のある宮城県の出身だし、親戚も宮城県に住んでる人が多いから、お前とお父さんが大阪に残ると家族がバラバラになるから、お父さんだけが大阪に単身赴任で残る方がいい」ということで、初めから結論は出ていた。2月から3月初めが過ぎて関西では私立中学の受験があったが、僕は結局私立中学は受験しなかった。友達のKとTは残念という顔をしていた。僕のいたクラスからはクラスで1番だったY君は灘中学校に合格して、2番だったN君は関西学院中学校に合格した。KとTは受験しなかったので公立中学校に進学したが、高校は進学校に入って阪大か京大を目指すと言っていた。

 

 

僕が仙台に引っ越すのでお世辞もあっただろうけど、「お前がもしも生まれも育ちも西宮で塾にも通っていたら学年でトップクラスの成績で、灘中学校にも合格してただろう」と友達に言われた。

 

 

それで、Y、N、K、Tと僕という6年生のクラスで優等生が集まって話すことがあったが、

「Gがもし転勤族の子供ではなくて生まれも育ちも西宮だったら、間違いなく学年で1番でYと一緒に灘中学校に受かっていたやろな。Gは転校生で中学受験をしないから浜学園(阪神地区では有名なスパルタ式の学習塾)に行ってへんけど、おれらは浜学園に行って、それでGより成績が上だからな。Gが俺たちと同じように浜学園に通って中学受験対策の勉強をしてたら、どれほど成績が上がっていたかな」

という話になった。まあ、これには仙台に引っ越していってもう会えないかもしれない僕に対するお世辞も入っていたと思うが、そう言われたのは嬉しかった。

 

 

その後、僕は仙台で仙台一高という公立進学校に入学したが、「仙台一高に入学できる学力があるなら西宮に残っていたら関西学院高校に入学できて、エスカレーター方式で関西学院大学に入れただろう」と厳しい父が言っていた。だからすごく後悔した。

 

 

その後、仙台に引っ越してから僕は仙台の市立中学校に通って、仙台市内ではトップクラスの進学校の仙台一高に入った。それで、高校2年生の終わりの頃で大学受験が迫ってきた時に、単身赴任が終わって仙台のマイホームに一緒に住んでいた父に、

「公立進学校の仙台一高で俺は成績が真ん中くらいだけど、ということは西宮に残って中学受験をして関西学院中学に入学していたら、今頃は関西学院付属高校の生徒で、あとはエスカレート方式で関西学院大学に入れたということかな?」

と質問したことがあった。父は子供の勉強については厳しくて辛口のことを言う人だったが、

「そうだな。仙台一高で真ん中くらいの成績なら、関西学院付属高校に入れるな。だから、西宮に残っていたらお前はエスカレーター方式で関西学院大学に入れただろう」

と頷いて言った。

「なんだ。だったら、高校受験と大学受験と2回も受験をするのは嫌だから、中学受験で関学の付属に入ればよかったな」

「確かにその道もあっただろうけど、元々、両親は宮城県の人だし、そんなことをすると家族がバラバラになっただろ?仕方がない」

こういう会話を父としたことがあった。

 

 

というわけで僕の小学校時代のちょっとした自慢話みたいなことを書きましたが、どこに住んでいても、「父が転勤になったので、転校することになった」と言うと、どこの友達も「お父さんだけが転勤して家族は残るとか、なんとか転校せずにここに残ることはできないのか?」と言って引き留めようとするものです。やはり、友達が転校していって別れるのはつらいから、そうなるのは当たり前でしょうね。