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正月ドラマ「潜水艦カッペリーニ号の冒険」の感想

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ちょっと、新しいブログ記事を書くまでに間隔が空きました。色々と忙しかったのです。(苦笑)

 

「潜水艦カッペリーニ号の冒険」というテレビドラマは、第二次大戦中の1943年9月にイタリアが連合軍に降伏したので、日本領に滞在していたイタリア海軍の潜水艦と乗員が日本海軍に強制的に編入されるという話。

 

 

正月のテレビ番組は、最近はネットをしていることが多いのであまり見ないけど、フジテレビ系のドラマ「潜水艦カッペリーニ号の冒険」は、見ていてけっこう面白かった。去年の12月8日が太平洋戦争開戦の日だったというので、旧日本軍を非難するドラマ、ドキュメントが多かったけど、これはそういうステレオタイプの左翼系ドラマではなくて、二宮和也が演じる海軍将校が強くて優しい軍人だったので好感が持てた。写真上は、このドラマの主人公でもあるイタリア海軍の潜水艦「コマンダンテ・カッペリーニ号」。

 

物語はネタバレにもなるけど、イタリア海軍の潜水艦「コマンダンテ・カッペリーニ」は1943年7月初めに日本軍占領下のシンガポールに着き、2か月後にはイタリアへ向けて帰ろうとしたが、9月9日にイタリアが連合軍に降伏したために、そのまま今度は敵となった日本軍に接収されて、乗員は日本軍の捕虜となってしまい、潜水艦と乗員は日本に連れてこられる。

 

しかし、イタリア語が堪能でイタリア通であった二宮が演じる海軍将校が彼らをかばったので、潜水艦がそのまま日本軍の軍艦として使用されたように、乗員たちも日本海軍に編入されて新たな任務に就くことになる。その間にイタリア人を敵視する海軍の水兵たちとケンカになったり、イタリア人水兵が二宮の妹(有村架純)と恋に落ちたり、陽気なイタリア人水兵たちは「天皇陛下のために、国のために」と言う生真面目な日本軍人とは違って、「人生は歌うこと、楽しむこと、愛すること」などと言って、生真面目な日本軍人たちと楽しく交流する。最後は潜水艦「コマンダンテ・カッペリーニ」号は終戦直前に連合軍と戦うために出撃するのだが、潜水艦の故障で終戦後に日本に帰ってきてイタリア人水兵たちは日本に住むことに決めるのだった。

 

 

やはり、イタリア人男は生真面目な日本人男とは違って、人生と恋愛を楽しむステレオタイプの楽天的なイタリア人たちと描かれていた。しかし、現実でもそうだったのだろうか?

 

 

恐らく、漫画「ヘタリア」、アニメ映画「風立ちぬ」などに描かれてるように、イタリア人男性たちは海軍軍人でもマンドリンを演奏して恋の唄を歌い、人生を楽しむ陽気な人たちとして、このドラマでも描かれている。まあ、いつも日本人がイメージするステレオタイプのイタリア人というのは、こんな感じだろう。一方でドイツ海軍の軍人も戦争中に日本に滞在していたので、もしドイツ海軍の軍人が出てきたら、ヒトラー総統に忠誠を誓う怖くて冷たい人というイメージに描かれたのだろう。(苦笑)

 

 

だが、本当に実在したイタリア海軍の潜水艦「コマンダンテ・カッペリーニ」号の乗員たちは、そんなに陽気な軍人たちだったのだろうか?ウィキペディアには興味深いことが書いてある。下が実在した潜水艦「コマンダンテ・カッペリーニ」のウィキペディアの説明。日本に着く前に大西洋で通商破壊かなりの作戦に参加していて、かなりの連合軍商船を沈めており、また、ナチスドイツ海軍と共同作戦も行った戦歴が書かれている。

 

ウィキペディアの「コマンダンテ・カッペリーニ」の説明を見ると、イタリア王国が連合軍に降伏した後にナチスドイツの傀儡として樹立されたサロ政権の側についた軍人たちは、ムッソリーニに忠誠を誓ったファシスト思想の軍人たちと書かれている。

 

 

ja.wikipedia.org

 

日独への接収[編集]

1943年(昭和18年)9月のイタリア降伏後、日本海軍に接収された後にドイツ海軍に引き渡されUIT24と命名された。ドイツ海軍についたが、サロ政権側に着いたイタリア海軍兵が引き続き任務にあたった。

「UIT24」と「UIT25」(旧「ルイージ・トレッリ」)はヨーロッパへ向かおうとしたものの、途中での故障発生により断念された[10]。その後は日本とマレー間での輸送任務に従事した[11]

その後の1945年(昭和20年)5月、三菱神戸造船所で整備中にドイツの降伏により接収され、『伊号第五百三潜水艦』[2]と改名され、1945年7月15日に日本海軍に編入され、伊五百一型の3番艦[12]呉鎮守府籍の特殊警備潜水艦に定められ[13]、呉鎮守府部隊付属となった。

 

この説明の中のイタリアのサロ政権側についたという事実だが、1943年9月に当時のイタリア国王がムッソリーニを追放してイタリア王国は連合軍に降伏した後に、ナチスドイツの支援を受けて狂信的にムッソリーニに忠誠を誓う軍人と政治家だけが、北イタリアの都市サロにサロ政権を樹立して、公式には「イタリア社会共和国」という名称だった。

 

つまり、潜水艦「コマンダンテ・カッペリーニ」の乗員たちも、枢軸国側の日本に滞在していたからやむを得ない事情もあっただろうが、ある程度はファシスト独裁者のムッソリーニに忠誠を誓って任務を行っていたので、ドラマに描かれているようにマンドリンを演奏して、「人生は歌うこと、楽しむこと、愛すること」ということを笑って言うようないい加減な男たちではなかったと思われる。事実、サロ政権側のイタリア軍はイタリア本土で連合軍側に寝返った南イタリアの軍人、住民などを虐殺する事件まで起こしている。

 

 

戦後、日本とドイツに対しては厳しい戦争犯罪の追求が行われたが、イタリアに対してはほとんど行われなかったので、今でもムッソリーニの孫娘などがイタリアで極右の政治活動を行っている。

 

 

その後、イタリアに対しては日本、ドイツとは違って戦争犯罪人の裁判が行われなかったので、ムッソリーニの部下であった残党たちが堂々と戦後にイタリアの政治家となっている。政党「フォルツァ・イタリア」を率いていたベルルスコーニ元首相はドイツと日本ではあり得ないような右翼政治家であるし、ムッソリーニの孫娘であるアレッサンドラ・ムッソリーニなども極右政治家、上院議員として活動していて、イタリア国内でかなりの力を持ってる。アレッサンドラは政治家になる前の若い頃に歌手、俳優、モデルとしても活躍していて、かつての同盟国だった日本が大好きなので日本語歌詞の歌を歌って来日もしていて、「私はおじいさんのようなファシストで、大日本帝国時代の日本が好きだ」というとんでもない問題発言まで口にしている。

 

 

 

今回は正月ドラマの「潜水艦カッペリーニ号の冒険」から、第二次大戦時代のイタリアの状況、さらに今のイタリアの状況についてまで書いてみました。イタリアは実はいうと日本、ドイツに比べると、ほとんど第二次大戦の戦争犯罪追求が行われていないということを知ってもらいたいです。