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映画「硫黄島からの手紙」の感想

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前の記事で元嵐のメンバーの二宮和也が出演していた「潜水艦カッペリーニ号の冒険」というブログ記事を書いたら、けっこう特に女性が読んでくれたようなので、同じく二宮和也が出演した有名なハリウッドの戦争映画である、「硫黄島からの手紙」の感想を書こうと思います。

 

 

「硫黄島からの手紙」に出演していた嵐の二宮和也は戦争映画に女性客を呼ぶために起用されたのだろうが、日本兵を良く演じていたと思う。あまり二宮を批判する人はいない。

 

 

まず、二宮和也が演じた日本兵の印象からいうと、ほとんど平成のチャラい男の雰囲気が出ておらず、子供の頃から軍事マニアであった僕が思うにもかなり良い演技だったと思う。当然ながら嵐の二宮をこの戦争映画に出演させた理由は、恋愛シーンがほとんどない残酷な戦争映画なので、特に日本人女性に興味を持ってもらうための起用だったと思う。監督だったC・イーストウッドも映画の興行成績を考えて、日本で人気がある嵐のメンバーに同意したのだろう。イケメンアイドル二宮の起用は見事に当たって、この映画は世界中でヒットして、この映画をキッカケとしてジャニーズの嵐が世界的に知られるようになったので、映画の興行的もジャニーズアイドルの知名度アップも上手くいったようだ。

 

しかし、僕は子供の頃から軍事マニアであり硫黄島の戦いにおいては日本陸軍はかなり善戦したということは知っていたので、映画を見ていた不満な点もいくつかあった。全体的には硫黄島の戦いをよく描いた優れた映画だと思うが、栗林中将の描き方、アメリカ軍が上陸した後も栗林中将の洞窟持久戦に反対する将校がいるなど、事実とはかなり違うふうに描かれてることもある。

 

 

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映画では渡辺謙が演ずる栗林中将は優しい将軍として描かれていて、中村獅童が演ずる海軍中尉が反抗したりするが、本当の栗林中将は部下の反抗を絶対に許さない性格だった。



例えば、上の写真は映画の中で米軍が上陸した時の栗林中将を中心とする日本軍司令部の様子だが、このように海軍陸戦隊司令官の市丸海軍少将、歩兵旅団長の千田少将が全部隊の指揮官の栗林と同じ位置にいることはあり得ない。実際は市丸と千田は自分の率いる部隊と共にいて、栗林がいた司令部豪とは離れた場所で自分の部隊を指揮していた。また、映画では歩兵旅団長の林少将が登場して、栗林の洞窟持久作戦に最後まで反対したとなっているが、事実では林ではなくて千田少将が歩兵旅団長であり、彼は栗林の洞窟持久戦に同意していて、米軍が上陸した時には栗林の洞窟持久戦に異論を唱える将校は誰もいなかった。

 

だから、中村獅童が演じたような海軍中尉という階級で、陸軍中将の栗林に反論してケンカを売るような変な将校はいなかった。仮に海軍中尉の階級で陸軍中将に背いたなら、「戦闘中に上官の命令に逆らうな」と厳しく注意されて、下手をすれば即銃殺である。

 

 

硫黄島の戦いでは、米軍との戦闘よりも硫黄が噴き出す島での洞窟陣地構築作業の方がすごく大変であり、兵の中には自傷行為をして島から脱出しようとする者もいた。だが、栗林中将はそのような兵を銃殺刑に処した。

 

 

また、渡辺謙が演じた栗林中将の性格だが、映画に描かれたような部下に優しくて温厚な人柄ではなかったようである。実際に映画で二宮が演じた西郷一等兵のように硫黄島の戦いに参加して生存した方々の証言では、「硫黄島では米軍との戦いよりも米軍が来る前に洞窟陣地を掘る作業の方がすごく辛かった。硫黄島は硫黄が噴き出す火山島であり、30分も洞窟を掘ると洞窟の中は硫黄で一杯になって、作業どころではなくなった。だから、30分交代で兵士たちは洞窟陣地を掘り進んだ。兵の中には洞窟陣地を掘ってる時に硫黄中毒で死んだ者もいた」と述べている。

 

これほど、辛い硫黄島での洞窟陣地建設だったので、栗林の部下の中には下士官兵と将校の中に自傷行為(銃か軍刀で故意に自分の身体を傷つけること)を行って負傷をして、内地に運ばれようとする者が何人かいた。しかし、栗林はこのような兵隊を絶対に許さずに兵でも将校でも自傷行為を行った者は、多くの兵隊が見ている前で銃殺刑に処した。一方で洞窟陣地建設が辛いことを栗林はよく自覚しており、自らバイクで硫黄島の各所を回って兵隊たちを激励して周り、「栗林中将は立派な指揮官だ」と思って栗林を慕う兵が多かったのが、日本軍の洞窟持久作戦が上手くいって米軍にかなりの損害を与えた要因である。そして、硫黄島の戦いがのちにハリウッド映画として映画化された要因でもある。

 

こちらが、ウィキペディアの栗林忠道の説明。硫黄島守備隊の指揮官として、自分の方針である洞窟持久作戦に逆らう者を絶対に許さなかったことが書かれている。だから、映画に描かれてるような硫黄島で戦闘中に栗林に反抗する者などは、事実では誰もいなかったのである。

 

ja.wikipedia.org

 

 

太平洋戦争最高の日本陸軍の将軍といえば栗林忠道で間違いないだろうが、映画「硫黄島からの手紙」によって栗林中将も硫黄島の戦いも世界中に知られるようになったので、この映画は大成功だったと思う。

 

 

最後に付け足すなら、太平洋戦争で海軍最高の指揮官は山本五十六でまず間違いないだろうが、陸軍最高の指揮官なら栗林忠道を選ぶ人が多い。日本軍の歴史に詳しくて著作がたくさんある児島襄も秦郁彦も、栗林忠道を太平洋戦争最高の日本陸軍の将軍として挙げている。僕も小学校高学年の頃から硫黄島の戦いでは日本軍がかなり米軍を苦しめたことは知っていたが、その有名な戦いがハリウッドで映画化されたので、この映画は封切りで映画館に見に行った。