- オーストリア人スキープレイヤーのトニー・ザイラーは冬季五輪で初めて3冠を達成したが、映画に主演したことからアマチュア資格を疑われて引退を余儀なくされた。
- ザイラーはアメリカからの招待は断って、第二次大戦の同盟国だった日本を何度も訪れて映画にも出演した。オーストリアは第二次大戦の時はナチスドイツの一部だったので、極右思想の人ではなかったがオーストリア人を歓迎してくれる国として日本を選んだのだろう。
- ザイラーが主演をして主題歌を歌ったドイツ映画に「白銀は招くよ」があるが、主題歌のドイツ語オリジナルと日本語訳の歌詞はかなり違う。オリジナルの歌詞はラブソングである。
今日は先日の記事でハーディ・クリューガーの追悼記事を書いてるうちに、同じようにドイツ映画によく出演していたオーストリア人のトニー・ザイラーについて興味深い事実を見つけたので、それについて記事に書こうと思います。トニー・ザイラーはオーストリアのアルペンスキー選手で、1956年のコルチナ・ダンペッツオ冬季五輪で3種目で金メダルを獲得するという偉業を達成しました。写真中央がトニー・ザイラーで、右が日本人で初めて冬季五輪で銀メダルを獲得した猪谷千春です。
オーストリア人スキープレイヤーのトニー・ザイラーは冬季五輪で初めて3冠を達成したが、映画に主演したことからアマチュア資格を疑われて引退を余儀なくされた。
トニー・ザイラーは上記のように1956年のコルチナ・ダンペッツオ冬季五輪で3種目を制した後に、1958年のアルペン世界選手権でも3種目を制したが、甘いマスクをかわれて西ドイツ映画に出演してギャラを貰ったので、当時はまだアマチュア規定が厳しかったこともあって、オリンピックには出れなくなった。そのため、ザイラーは1958年に22歳の若さでアルペンスキー競技からは引退を余儀なくされた。
トニー・ザイラーのウィキペディアの説明。その後は映画俳優活動を行い、何度も来日して日本映画にも出演したことが書かれている。
ザイラーはアメリカからの招待は断って、第二次大戦の同盟国だった日本を何度も訪れて映画にも出演した。オーストリアは第二次大戦の時はナチスドイツの一部だったので、極右思想の人ではなかったがオーストリア人を歓迎してくれる国として日本を選んだのだろう。
それから本格的に俳優に転向し、並行して歌手活動も行った[4]。日本の映画やCMにも出演したことがあり、1959年(昭和34年)には、11月25日から11月30日までの6日間にわたって東京で開催されたドイツ映画祭(俳優兼監督のベルンハルト・ヴィッキ、女優のリゼロッテ・プルファー、マルギット・ニュンケ達も出席。開会式の司会は俳優の三船敏郎が務めた。)と日本映画『銀嶺の王者』(翌1960年公開)出演の為、同11月14日、午後5時10分東京国際空港(羽田空港)着のノースウエスト航空機で訪日。それから約5ヶ月間滞在し、1960年4月11日午後7時30分羽田空港発の航空機で離日。ほか、1957年、1972年(札幌オリンピック)、1974年、1979年、1998年の長野オリンピックでも訪日。
何度も来日して日本映画にまで出演した一方で、ザイラーはアメリカのハリウッドからの映画出演依頼は断っている。これは、やはり、当時の他のドイツ語圏の男優を見ればわかるが、1950年代60年代のハリウッド映画に出演するドイツ、オーストリア人の男優といえばナチスドイツ軍の悪役軍人とか、東西ドイツの分裂を描いた映画のスパイ役とか、暗いイメージの役が多かったので、ザイラーはそれに嫌気が差してハリウッド映画には出演しなかったのだろう。
オーストリアというのは、第二次大戦中はナチスドイツの一部だったので、それでドイツ語をしゃべる自分を最も歓迎してくれる国を探したら、同じ歴史を歩んだ日本ということになったと思われる。もちろん、ザイラーがユダヤ人嫌いだった、ネオナチ思想だったなどということは、ウィキペディアの英語とドイツ語の説明にも書かれてない。さらに、ザイラーはIOC(国際オリンピック委員会)の委員もしていたので、1972年にアジアで初めて日本の札幌で冬季オリンピックが開かれたように、当時はアジアで唯一冬季オリンピックが開催できる国の日本をとても大切にしていたという見方もある。
ザイラーが主演をして主題歌を歌ったドイツ映画に「白銀は招くよ」があるが、主題歌のドイツ語オリジナルと日本語訳の歌詞はかなり違う。オリジナルの歌詞はラブソングである。
それから、ザイラーが主演したドイツ映画で1959年制作封切りの「白銀は招くよ」という映画があるが、この映画の原題は[Zwoelf Maedchen und ein Mann](12人の娘と1人の男)という。この映画の主題歌はザイラーが歌い、日本では映画の題名と同じく「白銀は招くよ」という題名でヒットした。
しかし、「白銀は招くよ」という歌の原題は[Ich bin der gluecklichste Mensch auf dieser Welt]であり、意味は「僕は世界で一番幸運な人だ」になる。歌詞も日本語の歌詞とはかなり違う。下が歌詞の一部と日本語訳。
Ich bin der glücklichste Mensch auf der Welt,
denn gute Laune ist mehr wert als Geld:
Heut liegt was
heut liegt was
was Schönes für mich in der Luft:
僕は世界で一番幸運な人だ。
気分がいいことはお金よりの価値がある。
今日は何かとてもいいことがありそうだと、空気の中に感じる。
die Liebe,
die lass' ich nie vorübergehn!
Ja die Liebe
macht erst das Leben schön
それは愛だ。
僕はそれを絶対に逃さない。
愛が人生を美しくする。
つまり、「白銀は招くよ」という映画はスキー場での恋愛映画なので、その主題歌の歌もラブソングなのである。それが、なぜか日本語訳では雪山でのスキーをたたえる歌になってる。まあ、これは西部劇映画「荒野の決闘」のテーマ曲の「愛しのクレメンタイン」が、なぜか日本語訳では「雪山賛歌」になってるように、向こうではラブソングでも、日本では違う歌詞になってることはよくある。(苦笑)
こちらが、トニー・ザイラーが映画「白銀は招くよ」のオープニングで主題歌を歌うシーン。とても60年以上前のスキーの滑降とは思えないザイラーの技術がすごい。
以上、今日は大の親日家だったオーストリア人のスキー選手で俳優のトニー・ザイラーについてブログ記事に書きました。北京で開かれる冬季オリンピックが近いので、過去の冬季オリンピックのスター選手について書きました。