日本の中には「ウクライナのゼレンスキー大統領は抵抗をやめて和平交渉に応じるべき」という弱気な声があるが、今のプーチンの要求をウクライナ政府がのめるわけがない。それに和平交渉の時とその後に何が起こるかわからない。
ロシア軍がウクライナに2月24日朝に侵略してから既に5日間経った。全世界ではロシアのプーチン大統領の愚かな決断を厳しく非難しており、ウクライナのゼレンスキー大統領とウクライナ国民の味方をする人が多い。ゼレンスキー大統領は「ウクライナ人は最後の1人まで戦って時間を稼いで、ロシアへの経済制裁の効果が出てロシアが撤退するまで戦う」と言ってる。
日本人の中には、「ゼレンスキー大統領はロシアとの交渉に応じるべきだ。ロシアもそんなにひどい扱いはしないと思うから、けっこう良い条件で和平になるかもしれない。」などお花畑なことを言ってる人がいるが、僕はそんな愚かな意見には全く同意できない。ヒトラーは600万人のユダヤ人を殺したし、スターリンも自国の国民を「反共産主義的だ」と言って1千万人以上処刑したりシベリア送りにしている。北朝鮮だって多くの日本人を拉致して、「拉致問題はもう解決ずみ」と言って交渉に応じない。歴史を見れば、人間は信じられないほど残酷なことをするものである。
ロシアとウクライナの関係は兄弟のようだという報道があるが、本当にそうだろうか?歴史を見ればロシア革命があってソ連邦が成立した頃から、ロシアとウクライナは武力衝突をしている。
それで、「ロシアとウクライナは隣国同士なので、兄弟のような関係の仲の良い国だ」などという報道があるが、それは絶対におかしいと思う。少なくともロシア革命後の両国の関係を見ればそんなに仲が良いとは思えない。この2国は過去に何度も衝突して戦争までしている。ヨーロッパの隣国同士は仲が悪いことが多いが、特にロシアとウクライナの関係は悲しい衝突の繰り返しだった。ロシアとウクライナがけっこう仲良くなったのは、1991年にソ連邦が崩壊してウクライナがソ連邦から独立した後のことである。ウクライナがようやく悲願のソ連邦からの独立を達成してウクライナ共和国になれたので、ウクライナ人とロシア人が仲良く交流できるようになったのである。旧ソ連邦時代は、ウクライナは独立を望んでモスクワにあるソ連共産党政府に反抗していた。
僕の拙い文章で説明してもわかりづらいので、ウィキペディアの説明を引用しようと思う。
要約すると、1917年10月に起こったロシア革命の時にウクライナ人の指導者はウクライナ人民共和国のロシアからの独立を宣言したのだが、レーニンを指導者とするソ連軍の攻撃を受けて敗北が続いた。しかし、西からドイツ帝国軍とオーストリア・ハンガリー軍がソ連軍を攻撃したので、ウクライナは再び息を吹き返して1918年2月のブレスト・リトフスク条約で、ソ連政府はウクライナの独立を承認することを条件として、ドイツとオーストリア・ハンガリー軍と講和をした。
その後、1918年11月にドイツ帝国とオーストリア・ハンガリー帝国が敗北して第一次大戦が終わったので、ドイツ帝国とオーストリア。ハンガリー帝国は解体されてしまった。そこで、ブレスト・リトフスク条約は無意味になったので、再びソ連軍がウクライナ攻撃を開始した。すると、ウクライナ人民共和国は今度は敵だったはずのポーランドと同盟をしてソ連軍と戦うこととなった。ポーランドと同盟できたのは、ソ連邦はレーニンを指導者とする共産主義でキリスト教を否定してが、ポーランドとウクライナは資本主義でキリスト教を肯定していたので利害関係が一致したのである。それで、1920年11月まではウクライナ人民共和国は存在したが、レーニンの率いるソ連軍に敗れてウクライナ政府はパリに亡命した。
この3年間のウクライナ人民共和国という独立国は、帝政ロシアでロシア人の支配下だったウクライナ人にとっては夢だったのだろうが、最後はロシア帝国の後に成立したソ連邦の攻撃によって潰されてしまった。このように、ソ連成立の時からウクライナ人はモスクワにあるソ連共産主義政府に抵抗していた。
1932年にソ連政府が人工的に起こした飢餓「ホロドモール」によって、数百万人のウクライナ人が餓死した。ウクライナの農作物を強制的に徴収して輸出した目的は、外貨を稼いでソ連の工業化を進めて強国にすることだった。
ホロドモール(ウクライナ語: Голодомо́р[注 1];ロシア語: Голод на Украине;英語: Holodomor, Famine Genocide)は1932年から1933年にかけてウクライナ人が住んでいた各地域でおきた人工的な大飢饉である[1]。
ウクライナ人たちは強制移住により、家畜や農地を奪われ、400万人から1,450万人が死亡した[2][3]。また、600万人以上の出生が抑制された[3]。
この大惨事は、当時のソ連の最高指導者ヨシフ・スターリンによる計画的な飢餓ではないかとする議論が長年続いていた。2006年、ウクライナ議会は「ウクライナ人に対するジェノサイド」であると認定した[4]。また、米英など西側諸国においても同様の見解が示されており、ソビエト連邦による犯罪行為であるとしている[5]。
ホロドモールの主な地域は以下の通り
このウクライナにおける人工的飢餓であるホロドモールを実行したのは、ユダヤ人共産主義者であるラーザリ・カガーノヴィッチであり、ユダヤ人の彼は帝政時代にウクライナにおいてユダヤ人が虐待されていたのに怒りを感じており、それに対する復讐の目的もあったようである。ウクライナにおける農業収穫物が強制的に徴収されたのは、農作物を海外に売って外貨を獲得して、ソ連邦の工業化と強い軍隊を作るのが目的だった。ホロドモールによる犠牲者の数は400万人から1450万人と所説がある。もし、1450万人の犠牲者だとしたら、ナチスが行ったホロコースト以上の人類最大の悲劇となる。
今日はウクライナの過去の悲劇について書いてみたが、このように見てみるとロシアとウクライナは必ずしも兄弟のような仲の良い関係ではなくて、昔から紛争の火種はあったことがわかり、ウクライナは旧ソ連時代も独立を望んでいたとわかるだろう。ウクライナ人とロシア人が仲良く交流するようになったのは、ソ連崩壊でウクライナが独立した後のようである。