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ウクライナのナチス化とは何のことか?

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ロシアが2月24日にウクライナに侵攻してからもう1週間以上が経ったが、停戦交渉も両国ともい平行線であり出口が見えない。プーチンウクライナの非武装化を求めており、ゼレンスキーはロシア軍の撤退を求めているのでこのままでは長期化しそうである。でも、僕が最近のブログに書いたように、ロシア革命の時にウクライナソ連邦から独立したかったのだが、それをレーニンの率いるソ連軍が無理やりに武力でソ連の一部にしたのだから、元々ロシア人とウクライナ人は仲が悪かったので仕方がないかもしれない。

 

 

プーチンが戦争を始めた理由に「ウクライナのナチ化を止める」ということがあるが、これは「アゾフ大隊」というウクライナ政府管轄下の義勇兵部隊が旧ナチスドイツ軍親衛隊の部隊章を使用していて、部隊はロシア支持の住民が多いウクライナ東部で弾圧を行ってるのである。

 

ところで、ロシアのプーチン大統領ウクライナ政府への要求の一つに、「ウクライナナチス化を止める」というものがあるが、これは一体何なのだろうか?調べていたら、「アゾフ大隊」というウクライナ内務省管轄の軍事組織が見つかった。上の写真は「アゾフ大隊」の部隊の写真。ウクライナ国旗と第二次大戦時のナチスドイツのスワチカ旗を掲げてるのがわかる。ウィキペディアの説明を引用する。

 

ja.wikipedia.org

 

アゾフ連隊(ウクライナ語Полк Азов)は、ウクライナ内務省管轄の準軍事組織である国家親衛隊に所属する部隊である[1]。もとはアゾフ大隊であったが、後に連隊に昇格した。2014年5月の創設当初は義勇兵部隊であったものの、ドンバス危機以降の11月からは、国家警備隊として機能するようになった[2]義勇兵は黒い制服を着用することがあり、それ故「メン・イン・ブラック」(ロシア連邦側の武装集団「リトル・グリーンメン」に対抗したもの)という異名を持つ。 ロゴマーク武装親衛隊の 第2SS装甲師団がモデルと思われる。

 

 

2014年3月にロシアがクリミア半島を併合した後、ロシア系住民が多いドンバス地域でも反ウクライナ政府の独立運動が起こり、これを鎮圧するために「アゾフ大隊」が組織された。ロシアと対立するアメリカはこの部隊を支援したが、ナチス親衛隊のマークを部隊章として使ってるのを知って支援を止めた。

 

 

2014年3月にロシアが強引にウクライナ領のクリミア半島をロシア領とした後に、ウクライナ東部のドンバス地方でもロシア系住民が多いので、これらの住民たちはロシアに帰属することを希望して武装して独立運動を始めた。そこで、この独立運動を鎮圧するためにウクライナ内務省が組織したのが「アゾフ大隊」であり、この部隊は第二次大戦時のナチスドイツ軍武装SS第2機甲師団「ダス・ライヒ」のロゴマークをモデルとした部隊章を使用している。そして、ドンバス地方で独立運動を行うロシア系武装組織とロシア系住民に対して弾圧を行ってきた。

 

当然、ウクライナNATO側に取り込みたいアメリカなどは武器の供給と訓練を「アゾフ大隊」に行ってきたが、彼らがナチスドイツ軍親衛隊をモデルとした部隊章を使っていることから、「過激なネオナチ思想を持つ暴力部隊」と認識して武器と訓練の供給を停止した。しかし、アゾフ大隊側は「我々はあくまでも反ロシアの武装組織であって、人種差別、外国人排斥は行ってない」と主張している。だが、実際に取材をしてみると今までにドンバス地域で3000人ほどの親ロシア派の民兵と市民を殺害している。

 

 

ウクライナ人部隊がナチスドイツ軍親衛隊の部隊章を使う理由は、ドイツ軍に「第14SS武装擲弾兵師団ガリーツィェン」というウクライナ人部隊が存在して、第二次大戦でウクライナ共産主義ソ連から解放するために戦ったからである。

 

 

それでは、なぜ、ウクライナ武装組織がナチスドイツ軍武装親衛隊のマークを部隊章として使うのかというと、第二次大戦時に一部のウクライナ人が、ナチスドイツ軍武装親衛隊義勇兵として参加をしたことがあった。1999年春に僕がシュツットガルト近郊に住むドイツ人家庭のH家にホームステイをした時にも、ドイツのバイエルンミュンヘンウクライナディナモ・キエフのサッカー試合をテレビで見ていたら、H家の主人は「ナチスドイツ政府とウクライナ人は第二次大戦時に同盟していた」と言っていた。

 

武装親衛隊ウクライナ人部隊の説明をウィキペディアから引用する。

 

ja.wikipedia.org

 

第14SS武装擲弾兵師団『ガリーツィエン』(ウクライナ第1)(:14. Waffen-Grenadier-Division der SS (galizische Nr. 1))は、武装親衛隊師団である。1943年ウクライナ西部のガリツィア(ドイツ語名:ガリーツィエン、ウクライナ語名:ハルィチナー)からの義勇兵で編成され、ブロディをめぐる戦闘で大損害を受けた後、再編成されてウクライナ国民軍英語版ロシア語版ウクライナ語版第1師団と改名、連合軍に降伏するまで、スロバキアユーゴスラビアオーストリアで作戦任務に就いていた。

 

編成

 

ドイツ人以外の将兵で構成された師団の編成は、共産主義と戦うという旗の下、以前より行われており、フランスオランダラトビアエストニアクロアチア義勇兵が参加していた。ウクライナでの師団編成においては、ウクライナ独立へのステップであるとドイツが認めていたため、義勇兵を募ることに支障はなかった。1943年4月28日ガリツィアで登録された80,000名のウクライナ人で師団を編成することが発表され、1943年12月にはすでに活動可能であったが、1944年5月までは訓練を続けていた。

 

つまり、第二次大戦後半に敗色が濃くなったナチスドイツ軍は、劣等民族と見なしていたスラブ民族であるウクライナ人のソ連からの独立運動を戦争に利用することなり、「ウクライナ独立、スターリン共産主義と戦う、キリスト教信仰の自由」を約束すると、簡単にウクライナ人の中から8万人の志願兵を集めることに成功したのである。そして、その中から第14SS武装擲弾兵師団「ガリーツィエン」が編成されたのだった。「ガリーツィエン」師団のウクライナ兵は、戦後にソ連が勝利したウクライナへと帰されると間違いなく国家反逆罪で死刑かシベリア抑留が待っていたので、彼らはカトリックの総本山であるバチカンの介入もあって、戦後はイギリスとカナダへの移住が認められた。

 

ウクライナ東部の親ロシア派を掃討するための「アゾフ大隊」のウクライナ兵たちが、ナチスドイツ軍武装親衛隊ロゴマークを使用しているのは、このような歴史的な背景があるからであろう。ウクライナ人は旧ソ連邦からの独立を目指した先祖と、ロシアからの完全な独立を目指す今の自分たちを重ね合わせているのだと思う。

 

 

最近はウクライナで戦争をしているので、ウクライナとロシアの過去の対立の歴史について主にブログに書いているが、ウクライナ第一次大戦中のロシア革命以後、旧ソ連邦からの独立をずーっと求めていたことがよくわかると思う。