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ウクライナでの恋愛を描いた映画「ひまわり」について

 

 

 

 

ウクライナで戦争が行われてるというので、第二次大戦中のウクライナを舞台にした悲しい恋愛映画の「ひまわり」が最近上映されてるようだが、果たして現実にあり得た話なのだろうか?

 

 

今はウクライナで戦争が行われているので、イタリアと旧ソ連合作の恋愛映画「ひまわり」が注目されている。この映画はウクライナ地方でのイタリア人男女とウクライナ人女性(ただし、映画が作られた時はウクライナという国はなかったのでソ連人)女性との悲しい恋愛の三角関係を描いた話である。こちらが、映画「ひまわり」のウィキペディアでの説明。

 

ja.wikipedia.org

 

この映画で不可解なのは、重傷を負ったイタリア兵とソ連人(当時はウクライナという国はなかったので)の女性が戦争中に知り合って、戦後も2人で結婚して生活してる点である。

 

 

僕はこの映画については過去にもこのブログに書いたことがあるが、以前はこの映画が好きでとても感動していたが、ドイツ語のウィキペディアの説明を読んでからこの映画はまずあり得ない話だということがわかった。ドイツ語のウィキペディアには、「とてもロマンチックでセンチメンタルなよく出来た映画ではあるが、現実にはほとんどあり得ない話である。特に政治的宗教的に考えるとまずあり得ない」。

 

この映画では戦闘で負傷して凍傷を負って記憶喪失になったマルチェロ・マストロヤンニが演ずるイタリア兵が、リュドミラ・サベーリエワが演じるウクライナ人女性に救われるのだが、そこから2人が事実婚をして生活を始めるところがほとんど描かれていない。本来ならば枢軸軍側のイタリア兵はソ連に攻め込んできた侵入者だから、2人で密かに生活を始めることはほぼ不可能に近く、まだ戦争中だからソ連軍の政治将校などがイタリア兵を探して各家を回って捜査をするはずである。そして、ソ連軍に見つかれば当然ながら、日本兵、ドイツ兵と同じようにシベリア抑留で強制労働である。だが、映画では2人は何の問題もなく事実婚生活を送っている。

 

 

映画「ひまわり」の背景として、イタリア軍捕虜は本当は強制労働で虐待されて多くが死んでおり、撮影地はウクライナ地方だったが、この映画はソ連政府の意向でソ連崩壊までソ連国内では上映されなかったことがわかった。

 

 

さらに、ウクライナ戦争が始まった後にNHKがこの映画について詳しく調査をしてたら、残酷な事実がわかった。

 

名作映画「ひまわり」に隠された”国家のうそ”

 

リンクを貼れなかったので、映画「ひまわり、嘘で検索してみてください。NHKの取材によってわかったこの映画の嘘を、サイトの説明から抜粋して紹介します。

 

これまで日本では、映画が撮影されたのは、今まさに激しい戦闘が続いているウクライナ南部のヘルソン州だとされていました。
実際、在ウクライナ日本大使館のウェブサイトには今も「首都キエフから南へ500kmほど行ったヘルソン州と言われている」と記載されています。

 

ところが、私がモスクワに駐在していた2年前、キーウ在住のリサーチャーに現地の新聞記事などを調べてもらったところ、撮影がヘルソン州で行われたという事実は確認できませんでした。

その一方で、ウクライナ中部のある村で撮影が行われたという記事がいくつか見つかり、すぐに現地に向かってもらいました。それが、中部の都市ポルタワ近くにあるチェルニチー・ヤールという村です。

 

さらに、この村で生まれ育ったニーナさんに話を聞くと、ソフィア・ローレンと撮影隊はこの村にやってきて、当時9歳だった息子と一緒にロケの様子を眺めていたと証言しました。

 

不都合な歴史を隠そうとしたソビエト指導部

それにしても、なぜ今にいたるまで撮影場所がはっきりしなかったのか?。

確たることはわかりませんが、取材を進めると、自国にとって不都合な歴史を覆い隠そうとしたソビエト指導部の思惑が見えてきました。

それを裏付ける新聞記事があります。2005年にロシアの有力紙「コメルサント」に掲載された記事です。発掘されたソビエト共産党中央委員会の記録をもとに書かれたものです。

「第2次世界大戦当時、ソビエトで捕虜になったイタリアの将兵のうち4分の3が飢えと病で犠牲になったが、戦後ソビエトの指導者たちは、この事実を認めることはなかった」

「祖国に戻らぬ兵士の行方を質すイタリアからの問い合わせに回答することなく、イタリア人捕虜の墓地も破壊された」

映画では、ヒロインが前述の墓地をさまようシーンがありますが、これについて記事では次のように記しています。

「映画の公開直前にこのシーンの存在を知ったソビエト側は、完成したフィルムからこの部分をカットするよう要求した」

つまり、ソビエト指導部は、歴史をねじ曲げ、捕虜の犠牲など存在しないと主張したわけです。

東部戦線で実際にイタリアが派兵したのは、映画が撮影されたポルタワ州から現在のロシアにかかるエリアです。
犠牲者が埋葬されているとすればこのあたりになるはずです。
しかし、撮影場所が明らかになって遺族などが現地を訪れ、遺骨の返還などを求められると、ソビエトにとって非常に都合が悪いわけです。
そこであえて、イタリア兵の主戦場ではなかった南部ヘルソン州を撮影場所に仕立て上げたとも考えられます。

 

映画「ひまわり」とウクライナ侵攻

 

結局、映画「ひまわり」は、ソビエト国内で上映されることすらありませんでした。
撮影現場となったチェルニチー・ヤール村の人々も、ソビエト崩壊まで作品を目にすることはなかったと言います。

 

ゾーヤさん

KGBが上映を禁じたのかもしれませんが、映画が話題にならなければいつか忘れ去られるという作戦だったのかもしれません」

 

 

映画「ひまわり」を見て感動している方々に残酷な現実を知らせてしまって申し訳ないが、つまり、やはりソ連軍に捕まったイタリア兵捕虜はソ連軍によってかなり過酷な強制労働を強いられており、日本兵の多くがシベリア抑留で亡くなったように、イタリア兵もまた多くが亡くなっている。そのソ連にとっての不都合な事実を隠しながら、このロマンチックな映画はソ連プロパガンダとしてイタリアと共に制作された。「ファシストのイタリア兵たちを、共産主義ソ連人とウクライナ人はかくも暖かく迎えいれて、ウクライナ人女性と結婚して生活することまで許した」というようなメッセージが、映画から伝わってくる。でも、映画を見たウクライナ人が不満を言わないように、1991年のソ連崩壊までこの映画はソ連の国内では上映されなかった。

 

 

しかも奇妙なことに、この映画はテーマ音楽がアカデミー賞でノミネートされた以外は、アカデミー賞を始めとして多くの映画祭で何の賞も受賞してない。やはりソ連政府のプロパガンダであることが嫌われたようだ。

 

 

しかも、奇妙なことにこの映画はとても人気があるにも関わらず、なぜかアメリカのアカデミー賞ではヘンリー・マンシーニのテーマ音楽が音楽賞にノミネートされただけで、アカデミー賞では何の賞にもノミネートすらされてない。それどことか、カンヌ、ベネチアなどの他の映画祭でも何の賞も受賞してない。「ソ連政府によるプロパガンダ映画」ということが、多くの映画評論家に見抜かれていたのかもしれない。

 

 

ウクライナ戦争という過酷な現実の時に、さらに映画「ひまわり」までもがソ連政府によるプロパガンダ映画ということがわかってしまった。今のプーチン大統領によるウクライナ戦争も恐ろしいが、映画「ひまわり」までもがソ連共産党によるプロパガンダだったということがわかってしまって、本当に共産主義は残酷で残念な政治である。