Deutschland-Lab

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亡くなった父は厳しかったが少し天然だった

 

 

 

前のブログ記事で僕の父が宮城県北部にある瀬峰町(現栗原郡瀬峰)出身であることは書きました。そして、父の実家がある瀬峰に小学校2年の時に兄と一緒に東京から急行電車に乗って行ったこと、父の実家は戦前は広大な田畑を所有していた地主の家だったことも書きました。

 

 

父は東北大学卒で大手銀行に勤務していたが、宮城県北の田舎町の出身だったので東北地方と宮城県に対する愛着が強くて、新日鉄釜石ラグビーで日本王者だった頃は「東北人でもやればできる!」と言って喜んでいた。

 

 

それで、このブログにも前に何度も書いたけど、父は宮城県北部の田舎町出身者としては珍しく田舎の高校から東北大学法学部を卒業して、全国と海外にも支店がある大手銀行に入ったというちょっと珍しい経歴だった。そのため、他の大手企業勤務の人とはちょっと変わった「天然」な性格だった。

 

上は昭和50年代にラグビーの日本選手権で8連覇を果たした新日鉄釜石(現。釜石シーウェイブス)だけど、宮城県の田舎町出身で東北大学卒の父は東京、広島、大阪支店に勤務していた時、同じ東北代表のチームで日本一強かった釜石の優勝をすごく喜んでいた。当時、まだ小学生と中学生だった僕がびっくりするほど喜んでいた。「東北人だってやればできるんだ。松尾、森という明治大学卒のリーダーがいるけど、ほとんどは東北の男たちだ。東北地方はまだ高校野球で優勝したことがなくて、東北出身のプロ野球選手も少ないけど、東北人だってやればできる!」と言って大喜びしていた。今は東北出身のプロ野球選手もかなり大活躍しているけど、落合、大魔神佐々木などが出る前は東北地方出身のプロ野球選手はいなかった。

 

父は実家が農家だったから広島に住んでいた時に、お百姓さんに畑を分けてもらって家庭菜園を始めた。でも、都会育ちの僕を含めた子供3人は畑仕事が楽しいとは思わなかった。「農業が好きなら実家に戻って農業すればいいのでは?」と父に言った。

 

それから、父は広島支店に勤務していた時に、家族は広島の社宅アパートに住んでいたのだが、近所で近郊農業を営んでいたお百姓さんの方に頼んで家庭菜園を始めたのだった。僕がまだ小学校5年生だったある日曜日、その日は家族で日帰り旅行に出かけたのだが、家族は日曜日なのに午前7時に父に起こされて、旅行に出る前にお百姓さんが分けてくれた畑を家族全員で見に行って少し畑作業もした。やはり父は農家の生まれなので農作業をしてる時はとても楽しそうだった。

 

それで、秋になって畑の収穫物が実って茄子、カボチャなどが家の家庭菜園が獲れた。「うちの畑で獲れた茄子とカボチャだぞ。おいしいからみんな食べなさい」と父は笑いながら言っていたが、僕と兄と妹は少し食べて「うちの畑はやはり素人が作ったから、やっぱしスーパーで買う茄子の方がおいしいんじゃないの?」と言うと父は、「何を言ってるんだ!自分たちで作った野菜が一番おいしいに決まってるだろう?!」と言って、一人でたくさん食べた。

 

「そんなに畑仕事が好きだったら、何で実家のある瀬峰に残って百姓にならなかったの?何で銀行員になって日本中、家族を引っ越しさせてるの?今からでもお父さんが瀬峰で百姓になったら、家族はずーっと瀬峰で生活できるだろ?」と僕が父にキツイ一言を言ったら父は苦笑いしていた。「お父さんはな、昭和20年までは家が豊かな地主だったけど農地改革で貧しい農家になってしまったから、『お前は長男だから勉強をして有名大学から大手企業に入って、我が家を再び豊かにしてほしい』とおじいさんおばあさんに頼まれたから、大手銀行に入ったんだ。仕方がないだろ?」と父は言って苦笑いしていた。

 

 

父はあまり子供と一緒にバラエティ番組を見なかったが、「欽ドン」に出てくる気仙沼ちゃんだけは大笑いして見ていた。当然ながら理由は、同じ宮城県北の田舎出身だったからだった。

 

それから、父はお笑い番組、バラエティを子供と一緒に見て大笑いするタイプの人ではなかったが、僕が小学生の頃にテレビでやっていた「欽ちゃんのドンとやってみよう!」に出ていた、父と同じ宮城県北部出身の「気仙沼ちゃん」が出てくる時だけは喜んで見ていた。写真上が萩本欽一さんと気仙沼ちゃん気仙沼ちゃんが芸能界を引退して故郷の気仙沼で民宿をやってる時の写真。父は宮城県北の方言丸出しで、「気仙沼ちゃんはめんこいなや。気仙沼ちゃんが一番おもしろいべや」と言って、気仙沼ちゃんが出てる時だけはテレビの前で大笑いしていた。その様子は当時はまだ小学校3年生だった僕が、「いつもはお笑いを見ないのに、お父さんはおかしくなったのではないのか?」と思って引いてしまうほどだった。(笑)子供たちが当時はドリフターズの全盛期だったので、「志村けん加藤茶が一番面白い」と言っていても父は、「何を言ってるんだ?気仙沼ちゃんが一番面白いに決まってるべ。お父さんと同じ宮城県の田舎出身だからな」と父は断言していた。

 

 

要するに、父は宮城県北の田舎町出身で東北大学卒業なので、東北地方と宮城県に対する愛情がすごく強いのだった。