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終戦記念日は9月2日と主張する日本人がいる!

 

 

 

 

一部の左翼日本人が、「連合国側では太平洋戦争の終戦記念日は日本が降伏文書に調印をした9月2日になっているので、日本の終戦記念日も8月15日ではなくて9月2日にするべきだ」と主張している。

 

 

日本の終戦記念日は普通の日本人なら「8月15日が日本の終戦記念日だ」と認識していて、そのように答える人が多い。ところが一部の左翼日本人の中に、「日本の本当の終戦記念日は9月2日だ。なぜなら、日本政府と軍の代表がアメリカ軍の戦艦ミズーリ艦上で降伏文書に調印をしたのはこの日だから。8月15日は単に天皇陛下玉音放送があって、連合国が日本に降伏を促したポツダム宣言を日本政府が受諾をして戦争をやめるという決定を国民に伝えただけなので、国際法的には何の意味もない。だから、終戦記念日は8月15日から9月2日に移すべきだ。8月15日が終戦記念日と主張する人たちは、天皇陛下を異常に崇拝する極右主義者だけだ」などと主張している人たちがいる。

 

そしてさらに彼らは、「第二次大戦の連合国であるアメリカ、ロシア、中国などでは第二次大戦の対日本戦の戦勝記念日は9月2日か翌日の3日というふうに定めていて、その日に勝利のお祝いをしている。そういう世界の動きに合わせて、日本も終戦記念日を8月15日から9月2日に移すべきだ」などと主張もしている。

 

 

ドイツの場合はヒトラーが自殺してベルリンが陥落して降伏したので、その後にドイツ政府が降伏を受諾してすぐに連合軍と降伏文書に調印したが、日本の場合は東京が陥落してない状況で日本政府がポツダム宣言を受諾して降伏することを国民に知らせたので、降伏文書調印までに空白の期間が空いたのである。

 

 

 

 

なぜこのように日本国内と国外では第二次大戦の終戦記念日の認識が違っているのかというと、第二次大戦のもう一つの敗戦国であるドイツの場合はドイツ軍と連合軍がドイツ国内で戦っていて、お互いの軍隊が至近距離で戦っている状況でヒトラー総統が自殺をして首都のベルリンが陥落をして敗戦となったから、ドイツ側と連合国側も一致をしてヨーロッパにおける対ドイツ戦の終戦記念日は、5月8日か翌日の9日というふうに決まっている。一方で日本の場合は日本政府がポツダム宣言を受諾する旨を国民に天皇陛下玉音放送で伝えた時には、日本軍とアメリカ軍を始めとする連合軍が最前線で戦っていたのはフィリピン、ニューギニアビルマ(現ミャンマー)、中国国内などの限られた地域であり、まだ本土決戦をしていなかったので首都東京も陥落していなくて日本本土周辺では、軍艦と航空機が散発的に戦闘を行っているくらいで大きな戦いは行われていなかった。

 

写真上はベルリン東部のカールスホルストにあるロシアドイツ博物館に展示されている、1945年5月8日夜に行われたナチスドイツの降伏文書調印の写真。ナチスドイツ陸海軍の代表が降伏文書に調印をした。ドイツの場合はヒトラーが亡くなった後に後継者として総統になったデーニッツ海軍元帥が、無条件降伏を受け入れる命令を各部隊の指揮官に出して、その後すぐに降伏文書調印への手続きが行われた。

 

日本の場合は日本本土では戦いが行われていない状況で、天皇玉音放送があって政府は日本軍と国民に戦闘を停止して敗戦した旨を伝えたので、ドイツのように政府が敗戦を受けれた時とほぼ同時に降伏文書に調印することが出来なかったのである。ドイツとは違って日本の場合は降伏文書の調印までにややこしい手続きがあり、まず、まだ降伏文書に調印していない状況で連合軍総司令官のマッカーサー元帥が東京に近い厚木基地に降り立つというかなり危険な任務を行った。そして、アメリカ軍の部隊も次々と上陸用舟艇から神奈川県などの海岸に上陸をして、日本国内に基地を作って占領統治を開始した。そして、日本政府と米政府の交渉があって、9月2日に東京湾に浮かぶ戦艦ミズーリ艦上で日本政府は降伏文書に調印することが決まったのである。

 

 

しかし日本が降伏文書に調印したのは9月2日だが、日本政府が天皇陛下玉音放送で降伏する旨を国民に伝えたのは8月15日なので、やはり日本の終戦記念日は8月15日である。日本軍首脳も降伏を決めた時に、「武装解除に応じない部隊は反乱軍として処罰する」と通達を出している。

 

 

しかし、ここで「日本政府が降伏文書に調印したのは9月2日だから、8月15日から9月2日までの間に日本軍と連合軍の間でた戦闘が起こっても、国際法上は何の問題もなかった」と主張するような人たちは絶対におかしいという事実がある。それなら、マッカーサー元帥が厚木基地に降り立った時に、日本軍が優秀な狙撃兵を近くに配置をしてマッカーサーを狙撃して射殺をしても問題はなかったということになる。また、大量のアメリカ兵が上陸用舟艇で神奈川の湘南海岸などに上陸してきた時に、「天皇陛下万歳!」と叫んで、狂信的な日本兵たちが米兵を攻撃しても何の問題もなかったことになる。だが、既に大本営と日本軍の指導部は戦闘停止と武装解除を行う命令を各部隊に出していて、この命令に背く部隊は反乱軍として処罰するという旨を伝えていた。だから、アメリカ兵と戦う日本軍部隊はどこにもいなかった。

 

 

日本で終戦記念日を9月2日に出来ない最大の理由は、ロシアとの北方領土問題である。9月2日にすると旧ソ連軍が8月15日以後に樺太と千島列島を占領したのは合法的な戦闘行動になってしまい北方領土問題は存在しなくなる。

 

 

さらに終戦記念日を9月2日と決めてしまうと、ソ連軍が北方領土を占領したのは合法であり何の問題もないと認めることになってしまい、北方領土問題は存在しないことになってしまう。これが終戦記念日は8月15日でなけらばならない最大の理由である。ソ連軍は8月8日に「日ソ中立条約」を破って満州樺太、千島列島に侵攻したのだが、日本が敗戦を受け入れて武装解除を始めた8月15日以後も攻撃を続けて、「もう日本は敗戦を受け入れたから攻撃を止めてほしい」と白旗を掲げてソ連軍と交渉をした日本軍の軍使を射殺して、さらに攻撃を続けた。9月2日に終戦記念日を移して、こんなソ連軍の蛮行を認めるわけには絶対にいかないのだ。

 

 

「9月2日が本当の終戦記念日だ」などと主張をしている日本人は全員が反日左翼思想のバカであり、こんな連中の言うことは聞かなくてもいい。