Deutschland-Lab

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まとめ記事(9)ドイツで聞いたナチスドイツに関するとても珍しい話

 

 

今日も過去に書いたブログ記事の中から「ドイツで聞いた特にナチスドイツに関する極めて珍しい話を紹介しようと思います。僕は2020年4月からこのはてなブログの[Deutschland Lab]を書いてますが、今から2年ほど前だとまだ読者が20人ほどしかおらず、2年以上前に書いた記事を読んだことのない人もいると思いますので。

 

よく見直したら2021年7月にまとめ記事を1度書いていたけど、最近1年ほどで新しく僕のブログを読むようになった人もいると思うから、やはりもう1度まとめ記事を書こうと思う。

 

deutschland-lab.hatenablog.com

 

「私のおばあさんは、杉原千畝氏さんにリトアニアの日本領事館で命のビザを貰った」というドイツ人女子大生と、ハノーファーで会った。でも、彼女の家族は戦後にユダヤ人が軍事国家イスラエルを中東に武力で建国して、アラブ人を虐待してることに嫌気が差して、彼女が子供の頃にキリスト教徒に改宗していた。

 

まず始めは、第二次世界大戦時に日本人のリトアニア大使だった杉原千畝さんに、おばあさんが日本入国許可の「命のビザ」を発行してもらって助けてもらったという、元ユダヤ人女子大生の話。彼女とはネットの出会い系サイトで知り合って、あらかじめメル友になっていて、それで彼女が住む家の近くのハノーファー駅前で待ち合わせをして会ったのだった。

 

彼女はの25才くらいの女子大生だった。彼女と会うと、当然、君のおばあさんは本当に杉原千畝から「命のビザ」を貰ったのかという話をした。
「おばあさんはリトアニアにいた時にナチスドイツに追われて、杉原千畝がいる日本領事館に保護を求めて、杉原にビザを貰った。でも、おばあさんは日本には行かずに、その後、ポーランドに行ってレジスタンスと接触をして、それで、彼らにドイツの同盟国の日本入国ビザを渡す代わりに、偽のドイツ人身分証明書を発行してもらった。ドイツ親衛隊の下っ端は厳しく検査をしなかったから、偽の証明書が見破られることはなかった」。

 

 

「今、イスラエルユダヤ人たちがアラブ人にやっていることは、ナチスドイツがユダヤ人にやったことと全く同じだ」と彼女は言って、イスラエルのことを厳しく非難していた。

 

 

しかし、彼女と彼女の家族は戦後にホロコーストを生き残ったユダヤ人たちが、イスラエルという国民皆兵の軍事国家をアメリカとイギリスの軍事力の支援を受けて中東に建国して、そこに千年以上住んでいたアラブ人を無理やり追い出して虐待して「中東戦争」を何度も繰り返している事実に呆れてしまって、彼女が子供のころにキリスト教徒に家族全員で改宗をして、今ではユダヤ人とは全く関係ない生活を送ってると言った。

「今、ユダヤ人が中東でやっていることはナチスドイツがやったホロコーストと全く一緒であり、ユダヤ人はイスラエル建国を断念してキリスト教徒と一緒に世界各地で共存するべきだ。ドイツ政府はナチスドイツの犯罪を何度も謝罪しているけど、イスラエル政府はアラブ人を虐殺したことを1度も謝罪してない。こんなことでは世界平和は実現bできない」

とまで彼女は言って、戦後のユダヤ人国家イスラエルの犯罪に怒っていた。

 

 

 

ベルヒテスガーデンにある「ホテル・ツムトゥルケン」のS夫人というおばあさんのオーナーとネットでやり取りをしたら、S夫人は僕の日本人のネット友達を知っていた。実際にホテルの玄関でS夫人と会ったら、「Gさんという日本人と長年友達ですが、彼はヒトラーの隠し子を日本に招待しようとしたのです」という驚くべき事実を教えてくれた。

 

 

 

次はヒトラー総統に隠し子がいたという事実を、ヒトラーの山荘があったベルヒテスガーデンで知った話である。

 

まとめ記事の丸写しを書いて説明します。(苦笑)

 

ベルヒテスガーデンに行く前に、現地のホテルとペンションを探していると、「ホテル・ツム・トゥルケン」というホテルのサイトを見てると、なぜかそのホテルサイトには日本語でホテルの歴史を説明しているサイトがあった。それで、そこのホテルを予約したのだが、「なんで、日本語の説明がサイトに書いてあるのですか?」とメールで質問してみると、こういう返事が返ってきた。「私には日本人の友達がたくさんいて、その中にはあなたと同じ家族名の日本人もいます。ですから、当ホテルの歴史のサイトを日本語に翻訳させました。」
僕と同じ家族名の日本人でドイツ軍の歴史に詳しい方を、僕は1人知っていた。その方は、ヒトラーナチス・ドイツの研究でとても有名な方で本も執筆されている方だった。当時はまだ会ったことはなかったが、ネット上で会話をしたことはあった。

それで、ベルヒテスガーデンに着いた時に、「ホテル・ツム・トゥルケン」に行ってドアのベルを鳴らして、
「日本人のヘル(英語のミスターの意味)Gです。あなたにメールを書きました。お話がしたいのですが」
と言うと、白髪の小柄なおばあさんが中から出てきた。この人がホテルのオーナーのS夫人だった。上のペンションの写真が「ホテル・ツム・トゥルケン」。

僕「あの、僕以外にもGという家族名の日本人を知っているそうですが、その方のフルネームは何と言うのですか?」
S夫人「彼はS・G(名前と家族名のイニシャル)といいます」
「S・Gさんですか!?僕はその人を知っています!まだ会ったことはなくてネット上で会話をしただけですが。S・Gさんはナチス・ドイツ研究で有名な方で、第二次大戦中に駐ドイツ大使を務めていた大島陸軍中将、アルベルト・シュペアーなどと知り合いだったそうです。」
「そうですね。彼はナチス・ドイツの関係者を多く知っていて、まだ50才を少し過ぎたぐらいの方です。彼はヒトラーの息子を日本に呼ぼうとしていたのです。」
ここまで話を聞いて、当然、僕はものすごい衝撃を受けた。

 

「あの、ヒトラー総統に息子がいたのですか?それは、エファ・ブラウンかゲリ・ラウバルとの間に生まれた息子ですか?」
S夫人はこう答えた。
第一次大戦が終わった頃に、ヒトラーには息子がいたのです。もちろん、ずっと秘密にされていて、ヒトラーと親しい側近、友人しか知らない事実です」
この答を聞いた時、しばらく、僕はポカンとしてS夫人の顔を眺めていた。S夫人は「やっぱり驚いた」というような感じで、微笑んでいた。

 

続きは上にアップしたブログ記事を読んでください。簡単にまとめると、ヒトラーの息子の可能性がある男性は既に亡くなっているが、フランスにヒトラーの孫である可能性が高い中年男性が生存している。