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天然な性格だったセルビア人ジャーナリストのサーニャ

 

 

 

 

今日は今から20年ほど前の日韓ワールドカップ前に、スカパーのテレビ番組に出ていたサーニャというセルビア人(当時の国籍はユーゴスラビア)の天然ボケの性格を紹介します。白人の金髪美人の天然ぶりは日本人では理解できない点がありました。上の写真がサーニャです。

 

 

スカパーのサッカーチャンネルで「世界サッカーの旅」という番組があって、その番組にサーニャというセルビア人の金髪美人が国際ジャーナリストという肩書で出ていた。

 

 

日韓サッカーワールドカップがあと1年ちょっとに迫った2001年春にスカパーのサッカー番組を見ていたら、「世界サッカーの旅」という番組が始まった。日本人のサッカー専門アナウンサーの西岡さんと、驚いたのはサーニャというユーゴスラビア人の金髪美人が「国際ジャーナリスト」という肩書で出ていたことだった。彼女は年齢は既に30歳を過ぎていたが、横浜市立大学大学院に所属して日本の明治維新から日露戦争に至るまでの日本の政策に関する本を書きながら、サッカーを始めとする日本関係のジャーナリスト、通訳をして日本で生活をしていた。サーニャは国籍はユーゴスラビアだが、クロアチアセルビアのハーフという、内戦が終わった後の旧ユーゴスラビアではかなり微妙な人種だった。

 

 

東ヨーロッパの白人女性だから、やはり、夏になると水着みたいな肌の露出が多い服装で番組に出て、その服装を一緒に出ている西岡アナウンサーによくいじられていた。

 

 

初めてサーニャを見た日は革ジャンに革のズボンを履いていたので、西岡アナは「今日のサーニャはなんかハードボイルドですね」と言うとサーニャは、「SMクラブみたいな」と言った。「何を言ってるんだこの女は?」と僕は思った。これでかなりの天然だとわかった。その後も春から夏になると肌を露出する服を着て番組に出て、西岡アナが紹介の前に「もう夏ですからね、すごい恰好で登場します。サーニャです」と言ってサーニャを紹介した。「まあ、サービスなんですけど、ちょっと恥ずかしい」とサーニャは自分の身体を手で覆って笑って言っていた。

 

それから、サーニャは何か言う前に「そーですね」というのが口癖だったが、ある日、品川駅でオーストラリア人の白人男性に、「お前は『サッカー世界の旅』に出てる女だろ?もう『そーですね』と言うな!」と言われたというので、「今日は私は『そーですね』と一言もいいません」と言ったことがあった。「そーですね」と思わず言った時は口を覆って「しまった」という顔をしていた。それで、最後に西岡アナが「今日のサーニャは『そーですね』は1回だけでしたね」と言うと、サーニャは「ごめんね」みたいな仕草をしていた。

 

その後、番組がメールを受け取るようになったと西岡が番組の最後に紹介して、「メールアドレスは・・・ですので、どんどんと番組に関するメールを送ってください。2人のプライベートに関することでも、答えられる範囲でお答えします」と視聴者に伝えた。サーニャはちょっと驚いた顔をして、「わ、なんかちょっと怖いですね」と言って、その日は笑ったままで別れの挨拶を言わなかった。すると、数日後にはやはり「『サーニャさん、あなたが大好きです。あなたに惚れてます』というメールが届きました」と西岡が言うとサーニャは笑って、「面白いですね、生きてると色んな楽しいことがあって。それじゃ、私ももっと頑張ろうと思います」と余裕で笑って答えていた。やはり、彼女のような金髪美人は昔からモテたのだろう。

 

 

一番面白かったのは2002年日韓W杯で韓国対イタリア戦をサーニャがリポートした時で、サーニャは韓国ユニフォームカラーの赤一色に染まったスタジアムを、「真っ赤な別府温泉地獄」と例えて表現していた。西岡アナは爆笑していた。

 

 

それで一番面白かったのは日韓ワールドカップがあって、日本が決勝トーナメント1回戦でトルコと仙台の宮城スタジアムで戦って0-1で負けた頃に、サーニャは韓国に行って韓国対イタリアの試合をレポートしていた。試合は覚えてる人も多いと思うがエクアドル人レフェリーのモレノ氏の不可解なジャッジが何回かあって、イタリアは途中でトッティが退場になり、結局は韓国がゴールデンゴール(今はもう廃止になったけど、延長戦でゴールを決めたらその瞬間でゴールを決めたチームの勝ちだった)で韓国がイタリアに2-1で勝った。

 

もちろん、韓国のホームだからスタジアムは韓国チームのユニフォームカラーの真っ赤な色に染まっていたのだが、サーニャはその光景を見て「真っ赤な別府温泉地獄で」と例えて言って、かなり天然ボケなリポートしていた。それで、番組内でサーニャのリポートのVTRを見た後でサーニャは「はい、それでですね」と言ったけど、隣の西岡は爆笑していた。「どうして笑いますか?そんなに!?私ちゃんとリポートしてたじゃないですか!?」とサーニャも笑って西岡に詰め寄ると、「あなた、上手いこといいますね。真っ赤な別府温泉地獄で、イタリアの選手たちが自分たちのプレイが出来なくて負けてしまってということですか」と西岡が言うとサーニャは「はい、そうでございます。あの真っ赤な別府温泉地獄でイタリアが負けてしまって」と言っていた。

 

 

まあ、サーニャも日本語が完ぺきではないから「真っ赤な別府温泉血の池地獄のようなスタジアム」とか本当は言いたかったのだろうけど、サーニャの日本語はわかるけど、たまに助詞の「てにをはが」などがおかしな時があった。サーニャは2003年夏ごろに日本に帰ってしまって、セルビアベオグラード大学の大学院に所属しながた明治維新の本は本当に出版した。それはネットで確認できた。サーニャはインテリなセルビア人女性だったが、やはり金髪美人は学生時代からモテるようなのでサーニャはちょっと天然な面白い女性だった。