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「ヒトラーのための虐殺会議」(ヴァンゼー会議)が起こったのは真珠湾攻撃が原因

 

映画「ヒトラーのための虐殺会議」のポスター。「ヒトラーのための虐殺会議」とは

1942年にベルリン郊外で開かれたヴァンゼー会議のことである。

 

 

 

ヒトラーのための虐殺会議」という映画が上映されているが、この会議はベルリン郊外のヴァンゼーで開かれた1942年1月20日に開かれた「ヴァンゼー会議」のことである。この会議でユダヤ人問題最終解決が話し合われた。

 

 

今、「ヒトラーのための虐殺会議」というドイツ映画が日本で約2~3週間ほど公開されいていて、ちょっと話題になってるらしい。僕のマイミクにはドイツ軍マニアが多いから、この会議が1942年1月20日にベルリン南西部にあるヴァンゼー湖畔で行われたヴァンゼー会議であることはよく知っているだろう。ヴァンゼーはベルリンからポツダムに向かう途中にあり、ポツダムに近いベルリン南西部にある。だから、ここと日本に無条件降伏を迫ったポツダム宣言が出されたポツダムのツェツィーリエンホーフ宮殿はかなり近い位置にある。

僕はツェツィーリエンホーフ宮殿には行ったことがあるが、ヴァンゼーの宮殿には行ったことがない。ベルリンには何度も行ったから行こうと思えば行けたのだが、既にダッハウ強制収容所跡、アムステルダムアンネ・フランクが隠れていた家などのホロコーストに関係ある建物にはかなり行っていたので、行くと鬱になるのはわかっていたから、行く気がしなかった。実は言うと僕の彼女だったポーランド人女性はまだアウシュヴィッツ収容所博物館には行ったことがなかった。「行った人の話を聞くと、気分がすごく鬱になる博物館だと聞いてるからまだ行ったことがない」と言っていた。まあ、やはり第二次大戦、ホロコースト関係の博物館、記念碑には行くべきと思っても行く勇気がない人が多くいるだろう。

 

「ヴァンゼー会議」が開かれた原因はドイツの同盟国の日本軍がアジアで米英と開戦したことにより、ドイツもアメリカと戦うことになってしまい、しかも日本は「日ソ中立条約」を理由にソ連とは戦わないので、ナチス首脳が「戦争に負ける可能性が出てきた」と考えたからである。

 

 

ところで、なぜこのヴァンゼー会議が1942年1月20日という日程で開かれたか、その理由を知ってる人はどれくらい日本人の中にいるだろうか?実は言うと、ユダヤ人問題の最終解決を話し合ったヴァンゼー会議が開かれた原因は真珠湾攻撃なのである。日本が真珠湾攻撃をして米英と開戦したことによって、日本の同盟国だったナチスドイツはイギリスソ連と戦争中なのに、超大国アメリカとも戦うことになってしまった。しかも、日本軍がアジア側からソ連を攻撃することをドイツ軍は期待していたが、日本は日ソ中立条約を理由としてソ連とは戦わないという、真珠湾攻撃によってナチスドイツがものすごく損をしたのだった。

イギリスソ連に対しては何とかナチスドイツはほんの少し優勢な状況だったが、これからは超大国アメリカが連合軍側として参戦することで、ナチスドイツに少し有利だった戦局がナチスドイツに凄く不利になる可能性が出てきた。つまり、ヒトラーゲッベルスゲーリングのようなナチス首脳にとっては「負ける可能性が出てきた」ということがわかったので、「収容所に隔離してあるユダヤ人たちをドイツ国民に気づかれないように、何とか処分しないといけない」という会議を開く必要性があったのである。

 

 

日本軍がアジア、太平洋で米英と開戦するまでは、ソ連とイギリスに勝ったらユダヤ人はアフリカのマダカスカル島かサバンナかシベリアの奥地に追放するつもりだった。ユダヤ人がヨーロッパからいなくなればいいのであって、別に殺すことまで考えていなかった。

 

 

日本海軍が真珠湾奇襲をするまでは、ソ連を2年以内に降伏させた後に、1943年春頃には再びイギリス本土上陸作戦を行って、イギリス海軍を全滅させて降伏させた後にユダヤ人どもはアフリカのマダカスカル島か同じくアフリカのサバンナ平原かソ連のシベリア奥地にユダヤ人国家を勝手に建設させて、とにかく、ヨーロッパからは離れた場所で勝手に暮らすようにさせるということを、ナチスドイツ首脳部は考えたらしい。だが、アメリカの思ったよりも早い参戦によって、大西洋の制海権と制空権を取るのが非常に困難になり、ユダヤ人をヨーロッパから遠くに追放するというプランはほぼ不可能になってしまった。


そこで、ナチスドイツ第3の男だったラインハルト・ハイドリヒを中心にユダヤ人問題の最終解決策をベルリン付近のヴァンゼーの宮殿で開くこととなった。そこで最も実用的で実現できる方法というのが、アウシュヴィッツ、マイダネックにような絶滅収容所を東ヨーロッパにたくさん作って、ユダヤ人をガス室で一辺に大量に殺害するという方法である。ユダヤ人を乗せた列車がドイツ帝国鉄道が運営している線路上をあちこちで運転させると、軍隊の移動の邪魔にもなるから、絶滅収容所に一度移送をしたらそこのガス室で殺すのが、一番お金がかからない素早い方法だという結論に達したのだった。

 

 

だから、「ヴァンゼー会議」が開かれた原因は日本が米英と開戦したことである。でも、僕が交流している右翼思想のドイツ人たちは、「日本もアメリカからハルノートを突き付けられてかなり追い詰められていたから、米英との開戦は仕方がなかったと思う」と理解を示してくれた。

 

 


だから、「ヒトラーのために虐殺会議」(ヴァンゼー会議)が開かれた背景には、日本の真珠湾攻撃マレー半島上陸という日本が米英と開戦したことが原因となってるのである。これについて、僕はフェイスブックで交流している右翼思想のドイツ人たちに、
日本が米英と開戦をしたことによって、ナチスドイツの勝利への道を潰してしまったと思う」というメッセージをドイツ語で書いて送ったことがある。それに対するあるドイツ人中年女性の答えはこうだった。「仕方がない。日本はノモンハン事件で1939年夏にソ連軍と戦ってコテンパに負けているし、それに、アメリカとはいずれは戦わなければならなかった。ドイツ人もアメリカがソ連に大量の武器と物資を送っていたというレンドリースくらいは知ってるから、遅かれ早かれドイツとアメリカは戦わなければならなかった。アメリカからハルノートを突き付けられていた日本が米英と開戦をしたのは、仕方がなかったことだと思う」

それで、僕はこの映画を見に行くつもりはあるのかというと今の所は全くない。だいたいヴァンゼー会議というのは、2001年に「謀議」(Conspiracy)という米英合作のテレビ映画で既に映画化されてるし、ドキュメントも何度もつくられてる。今回はドイツの大手映画会社がドイツでは有名は俳優を出演させたというだけで、別に見なくてもヴァンゼー会議がどういうものだったかはウィキペディアなどにも詳しく書いてある。

一つ疑問なのは、なんで、ヴァンゼー会議から80年ほど経った今になって、ドイツの映画会社がこんな映画を作ったのかということである。