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福島第一原発の廃炉がある富岡町に行ってきた。

写真は富岡町にある東京電力が建てた廃炉資料館。今は外装を工事しているのでこんな外観ではなかったが、僕はここに1月20日に行ってきた。

 

僕の仕事の都合と常磐線が2020年3月まで仙台~富岡間が繋がっていなかったこともあって、僕は今年まで原発事故があった福島県富岡町に行ったことがなかった。

 

 

僕が仙台市民だが、実は言うと原発事故が2011年3月11日に起こってから一度も爆発事故を起こした福島第1原発の近くに行ったことがなかったので、先週の金曜日、1月20日に原発事故が起こってから初めて富岡町に行ってみた。今までに行けなかった理由は色々とあり、僕の仕事の都合もあったが、2020年3月までは仙台~富岡間の常磐線が通っておらず、仙台~富岡間が開通して常磐線はやっと地震から9年後に全線開通したからなどが理由にある。

 

事故があった原発の最寄り駅である富岡駅に行ってみると、3年ほど前に完成した駅のはずだが、駅前にはコンビニもスーパーマーケットもなかった。特急ひたちも含めて全ての常磐線の電車が止まる駅なのに、この有様だった。すごくショックを受けた。

 

 

こちらが僕が富岡町で撮影してきてYOUTUBEにアップした動画である。すごく遠くにだが事故があった福島原発が映っているし、富岡駅は特急ひたちも含めて全ての常磐線の電車が止まるのに、まだ駅前は閑散とした様子が映ってる。

 

youtu.be

上の動画が僕が福島県富岡町で撮影してきた動画なので、是非、見てほしい。富岡駅の駅前にほとんど店は建っておらず、閑散としていることがよくわかる。また、富岡町の住民の方々も2DKくらいの小さな平屋建ての家屋か、小さなアパートに住んでる方が多い。首都圏、仙台市中心部に見られるような、10階建て以上のタワーマンションなんてどこにもなかった。やはり、多くの元富岡町民は津波原発事故のトラウマがあるから、他の地域へと引っ越してしまったのだろう。あるいは、富岡町が避難解除になったのは2017年春のことだから、避難生活をしていた6年間の間に避難先にマイホームを建てて移住してしまった方々もいるのだろう。避難生活が6年間ということは、小学生なら入学してから卒業するまでそこに住んでいたのだろうし、中学高校生なら、中学入学から高校入学までそこに住んでいたことになる。そんなに長い間避難をしていたら、もう富岡町に帰りたくない気分になるのも仕方がないと思う。

 

他の原発事故で全ての住民が避難をした自治体はどうなってるか知らないが、恐らく富岡町が最悪の状態で、事故があった原発から離れると段々と良い状態になるのだろう。でも、僕の住んでる仙台市の海沿い地区もやはり津波のトラウマがあるせいで、あまり住民は戻ってきていない。できるだけ仙台市の内陸部に住みたいという人が多いようである。

 

東京電力が建てた廃炉資料館も富岡町の歴史資料館も震災前からあった資料館だが、今ではいかに地震津波の後に東京電力富岡町が対応しているかということの展示がメインとなっている。当たり前のことだけど。東電の方は最終的には事故があった福島第1原発ウクライナチェルノブイリ原発のように大きな石棺を上から被せて、放射能が全く漏れないようにするつもりだと、説明をしてくれた東電の係員の方は言っていた。

 

僕がYOUTUBEにアップした動画を見ればわかるが、事故があった福島原発に近付けるのは許可を得ている東電社員と原発に詳しい科学者だけである。一般人は観光地のように原発に近付くことはできない。やはり、まだ事故があった原発付近は放射能度が高くて、白い放射能防護服を着用しないと近づけないようである。だが、一方で僕の動画の左側に映ってるような青くて軽い放射能防護服で入れる地域もかなり増えたようである。

 

 

僕に東電廃炉資料館を説明をした東電の係員の中年男性の方は、「放射能もすごく弱くなって放射能防護服を着なくても自由に被災地を歩けるようになっているので、これからは被災地を多くの人に訪れてもらって被災地にお金を落としてもらいたい。復興には大金が必要だから」と言っていた。

 

 

事故があった富岡町を訪れるべきかどうかについては東電の係員の人は、「富岡町に来る時はためらわずに来て、富岡町民がどのように頑張っているかよく見てください。富岡町にお客様がたくさん来れば富岡町にもお金が入りますし、他の被災地を訪れても福島県とその自治体にお金が入りますから、どんどんと復興しつつある被災地を訪れてほしいです」とほほ笑んで言っていた。まあ、被災地にあるホテルか旅館に宿泊すればそこにお金が入るわけだから、これからは被災地を訪れてそこでお金を使って復興の支援をするという方法もありだろう。とにかく、早い復興のためには大金が必要である。