- 昨日のドラフト会議で横浜ベイスターズに元ヤクルト選手の渡会の息子が入団して、親子2代のプロ野球選手が誕生したが、アメリカのメジャーリーグには親子でプロ野球のスター選手という人たちがかなり多い。
- 日本では1961年の柳川事件など、プロ野球球団が高校大学社会人というアマチュア球界の選手を強引に引き抜く事件が何度か起こり、そのため、「プロアマ規定」というのが出来てプロ野球界とアマチュア球界の確執がひどかった。
- 1990年代に入ってプロサッカーリーグが出来て野球界が危機感を抱くまで「プロアマ規定は存在して、プロ野球選手とOBは自分の息子を指導することもできなかった。2013年にようやくこの規定はほぼ撤廃されて、プロ野球選手とOBがアマチュアチームと選手を指導できるようになった。
昨日のドラフト会議で横浜ベイスターズに元ヤクルト選手の渡会の息子が入団して、親子2代のプロ野球選手が誕生したが、アメリカのメジャーリーグには親子でプロ野球のスター選手という人たちがかなり多い。
昨日、10月26日にプロ野球ドラフト会議があって、注目の元ヤクルト渡会選手の息子の渡会隆輝(りゅうき)選手は3球団競合の結果、くじ引きで横浜ベイスターズが交渉権を獲得した。彼は喜んでいたからベイスターズで満足だったのだろう。
ところで、アメリカのメジャーリーグでは、ケン・グリフィーJrと父、カル・リプケンJrと父、日本の阪神でもプレイしたフィルダーと息子のプリンス・フィルダー、日本のロッテでもプレイしたレオン・リーと息子のデレク・リーというふうに、親子でスター選手という人たちがけっこういる。
日本では1961年の柳川事件など、プロ野球球団が高校大学社会人というアマチュア球界の選手を強引に引き抜く事件が何度か起こり、そのため、「プロアマ規定」というのが出来てプロ野球界とアマチュア球界の確執がひどかった。
一方で日本の場合だとスター選手だった長嶋茂雄の息子の一茂、同じくスター選手だった野村克也の息子の克則というふうに、スター選手の息子はあまり活躍していない。実は言うとこれには野球ファンならわかると思うが理由がある。
プロ野球界とアマチュア野球界が長年対立しており、プロ野球選手は例え息子であっても高校、大学、社会人というアマチュア球界の選手とは深い接触をしてはいけないという「プロアマ規定」が、10年ほど前まであったのである。「プロアマ規定」が出来た発端は柳川事件である。
以下、ウィキペディアの説明から抜粋する。
柳川事件(やながわじけん)は、1961年(昭和36年)に起こったプロ野球界と社会人野球界との間に起こったトラブルである。
日本野球機構は社会人野球協会(現日本野球連盟)との間で契約問題について毎年協定を締結していた。以前から社会人野球協会はプロ野球側に対し、3月1日から、産業対抗大会(現・社会人野球日本選手権大会)が終了する10月31日まで社会人野球の選手をスカウトしないよう要請し、プロ側はこれを遵守していた。
ところが、1960年の協定では新たに、
- プロ野球を退団した選手は、資格審査に合格した翌年秋の産業対抗大会終了後(=退団1年後)でなければ社会人野球チームに登録できない
- 加えて、その人数は1チームに付き3人までに限定する
と言う内容でプロ側に通告した[1]。これは公式戦出場経験がない二軍選手まで対象になった。
プロ側は退団選手の身分保障のため、退団者が翌年夏の都市対抗野球終了後から登録可能となるよう社会人側に要求した。しかし、社会人側がこれを拒否したため退団選手の死活問題になると考え、また当時西鉄ライオンズの球団社長だった西亦次郎が「目には目を」の論理を言い出したこともあり、プロ側は協定の破棄を通告した。
こうした無協定状態の中で1961年を迎え、中日ドラゴンズが4月20日に日本生命の柳川福三外野手と契約、入団を発表した。
社会人野球協会は同年5月13日に緊急理事会を開催して、プロ野球界との関係断絶とプロ野球退団者の社会人野球チーム入団拒否を表明した[2][3]。これに対し当時の鈴木龍二セ・リーグ会長は社会人野球選手は会社に野球をする契約で入社していないと言及し、さらに職業選択の自由を奪う社会人野球協会の決定はおかしいと反論した。中日はこの直後にも大分県立高田高等学校の門岡信行と第43回全国高等学校野球選手権大会の1回戦敗退直後に、まだ退部届けを提出していない段階で接触する行為を行った事から、高校野球や大学野球を傘下におく日本学生野球協会も社会人野球協会の決定に同調することとなり、学生野球憲章でもプロ野球関係者からの指導を禁じた。こうして、日本の野球界で長きに渡るプロとアマの確執が始まった[4]。
1990年代に入ってプロサッカーリーグが出来て野球界が危機感を抱くまで「プロアマ規定は存在して、プロ野球選手とOBは自分の息子を指導することもできなかった。2013年にようやくこの規定はほぼ撤廃されて、プロ野球選手とOBがアマチュアチームと選手を指導できるようになった。
この時に出来たプロアマ規定のせいで、プロ野球選手はアマチュア球界にいる選手を指導することができなくなり、長嶋も野村も自分の子供が高校野球連盟傘下の高校野球部に入部した時点で、全く指導することが出来なくなった。自宅の庭でキャッチボールをしたり、親子で喫茶店などで野球の話をすることすらダメになった。こういう状態だったから長嶋、野村を始めとするプロ野球選手と元プロ野球選手は自分の息子を指導できなかったから、息子は父から何も習うことができなかった。もちろん、アメリカなどの外国にはこんなバカげた協定は存在しない。
このプロ野球界とアマチュア野球界の和解が始まったのは、やはり、1993年にサッカープロリーグのJリーグが始まったことで野球界が危機感を抱いたのがきっかけだと思う。このプロアマ規定は2013年にようやく完全に撤廃されて、プロ、アマがそれぞれ設ける研修会を修了し、適性検査を経ることで元プロ野球選手がアマチュア選手を指導する資格を回復できるように緩和された。これで、元プロ野球選手が高校大学の野球部の監督、コーチとして指導できるようになり、プロ野球選手、元プロ野球選手の父が息子を指導することが出来るようになった。だから、これからは親子でプロ野球選手という人たちが増えるだろう。
これには、やはり、サッカー界からの圧力があり、サッカーJリーグは発足した当初から川淵三郎チェアマンの下、野球界のプロアマ規定のような関係にはならないように、全てのサッカー組織をJFA(日本サッカー協会)の監督の下に置いているのである。