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僕の家で飼ったことがあるペットはインコだけだった(2)

セキセイインコ | ペットフォレスト

インコは通算すると僕が小学校5年生の時から10年ちょっと飼っていたが、10年間生きていたインコはいなくて、寿命で亡くなったインコ以外にも野良猫に襲われたり部屋で飛ばしていた時に逃げてしまったインコがいた。でも、インコのつがいが雛を産んだこともあった。

 

 

今日もまた前回に続いて、かつてインコを飼っていたことについてブログ記事に書きます。

 

僕の父が銀行員で転勤が多かったから、僕が小学校を卒業するまでは家族は銀行の社宅アパートに住んで日本全国を引っ越して生活をしていたのだが、広島に住んでいた時からインコを飼い始めて、西宮を経て両親の故郷である仙台に両親が建てたマイホームに家族で定住をするまでに3羽のインコを飼っていた。ところが、仙台に引っ越してきて引っ越しの荷物をほどいている時に、新居の中でインコを飛ばしていたら、荷物の搬入で混乱しているうちにインコはいつの間にか逃げてしまった。1羽のインコは広島で飼い始めて3か月後に窓に体を激しくぶつけて亡くなってしまい、1羽のインコは西宮に住んでいる時に逃げてしまったから、これで、インコはいなくなってしまった。インコは僕が見ることになっていたので、妹は泣いて僕を激しく罵った。

 

でも、インコが飼いたかったから仙台でまた新しいインコのつがいをペットショップで2羽買った。このつがいは仲が良くて確か半年後くらいに雛を4羽ほど産んだと記憶している。インコは飼育箱の中で雛を産むのだが、1羽は箱の中で糞まみれで死んでいた。残った3羽のうち家ではそんなに飼えないから2羽は妹の友達にあげて、1羽の雛だけを親鳥と一緒に飼うことにした。

 

インコというか鳥を飼う時の問題というのは、籠の掃除も大変なんだが、1日に1回ほど部屋の中を飛ばして遊ばせている時に、人間の肩にとまりにくるのだが、その時に糞をしたり耳を噛むことがあるのが一つの問題だ。それ以外にも本などの紙をかじることも問題だった。本をかじるというのは本のページの上部かじってしまうのである。ある時は両親の部屋の中で遊ばせていたら父の本までかじってしまい、「そんな汚いインコは捨ててきなさい!」と厳しい銀行員の父に叱られたことがあった。

 

もうインコの飼育を止めてから30年くらい経つからあまりよく覚えていないのだが、僕の家族はインコを10年ちょっと飼っていた。もちろん、10年間ずっと生きていたインコはいなくて、途中で逃げてしまったり、鳥籠を物干しざおを高い所にかけて外に出していた時に、野良猫が驚異のジャンプ力でその籠を叩きおとしてインコを殺してしまったこととかあった。そんなことがあった後でまたペットショップで買うか妹が友達から雛鳥を貰ってきて、新しく飼育を始めたのだった。結局、合計で10年ちょっとで7羽くらいは飼っていたと思う。

 

 

インコの飼育は楽しいことが多かったが、やはり家の3人の子供が就職して社会人になるか大学生になって家を離れるのが多くなった時に、もうペットの飼育は飽きたと思ってインコの飼育はやめることになった。

 

 

最後にインコを飼っていたのは平成初期だと思うが、そのインコは「おはよう」などのちょっとした言葉を覚えたのだが、電話の近くで飼っていたのでまだ携帯がない時代だから、家の唯一の電話だった固定電話の音を覚えてしまった。それで、深夜と早朝に「リリリリリ~ン、リリリリリ~ン」と電話の音でないて、元々、インコを飼うことに反対していた父を激怒させたことがあった。

 

インコを飼育するのをやめることにしたのは、やはり、3人の子供が成長して大学を卒業して就職をして忙しくなったので、動物の飼育に興味をなくしたからだろう。僕も20代半ばで就職した時に、最後のインコが鳥籠を外の物干しざおにかけて出していた時に、野良猫に籠を叩き落とされて逃げてしまったと母から聞いて、「もうインコの飼育は飽きたから、新しいインコはいらない」と言ったことを記憶している。妹は当時は東京にある短期大学に通っていて仙台に住んでいなかった。そういう事情で家ではインコの飼育は終わった。