
- 1996年末から翌年正月にドイツのベルリンに行った帰りに、アムステルダムで飛行機を乗り継ぐはずが、飛行機がエンジントラブルで遅れたのでアムステルダムに滞在することになり、それで、アムステルダムにあるアンネの隠れ家を訪れることにした。
- アンネの隠れ家はすごく人気のある場所なのですごく観光客で混雑しており、人混みに押されて僕と兄は駆け足でしか館内を見学できず、10分ほどしか見学できなかった。今はここを訪れるためには混雑を避けるために、事前にネットでチケットを予約して買う必要があるという。
1996年末から翌年正月にドイツのベルリンに行った帰りに、アムステルダムで飛行機を乗り継ぐはずが、飛行機がエンジントラブルで遅れたのでアムステルダムに滞在することになり、それで、アムステルダムにあるアンネの隠れ家を訪れることにした。
1996年年末から翌年の年始にかけてドイツのベルリンに兄と一緒に行った時に、1月3日の帰りのオランダ航空のベルリン発アムステルダム行の飛行機がエンジントラブルで飛べなくなったので、アムステルダムで乗継をして成田まで帰れなくなったので、1月3日の夜はアムステルダムに泊まり、翌日の日本航空の飛行機で成田に帰るというトラブルがあった。
それで、約半日ほどだがアムステルダム市内を観光できることになったので、ナチスドイツに興味があった僕としてはアンネ・フランクの隠れ家を見たいと思い、アムステルダム市内にある日本航空の事務所に行って成田行き飛行機の確認をした後は、まず、アンネ一家の隠れ家に行った。上の写真が隠れ家の写真。当時はまだデジタルカメラは出回っていなかったので、僕がフィルムのカメラで写した写真もあるがフィルムをスキャンするのが面倒なので、他のサイトの写真をコピーした。
こちらが「アンネ・フランクの家」のウィキペディアでの説明。
隠れ家は当時のままの姿で保存されていたが、中は博物館になっている。ただし、アンネとフランク家が使用していた部屋はほぼ当時のままの状態で保存されており、ハリウッド映画が大好きだったアンネが部屋に貼った、ハリウッドの映画俳優の小さなポスターなども当時のままで保存されている。
この建物の1階はアンネの父のオットー・フランクが経営する会社の倉庫、2階は事務所として使用されていて、3階と4階にフランク家とフランク家の親戚の家族と父オットーの知り合いの合計8人が生活していた。ダウンタウンの松本が海外で是非訪れたい場所としてアンネの隠れ家をあげていて、実際にNHKの番組の企画でこの隠れ家を訪れた時に、「けっこう広いやないか」と言っていた。だが、3階4階に8人が生活していて、しかも昼に行動すると周りの家の住民に「あの家に誰か隠れている」とバレてしまうので、夜間しか行動ができなかったという生活を約2年間送っていたことを考えると、「アンネの日記」に書かれているように、かなり心理的に辛い生活だったのは間違いない。
アンネの隠れ家はすごく人気のある場所なのですごく観光客で混雑しており、人混みに押されて僕と兄は駆け足でしか館内を見学できず、10分ほどしか見学できなかった。今はここを訪れるためには混雑を避けるために、事前にネットでチケットを予約して買う必要があるという。
それで、僕も兄も当然ながらゆっくりとこの隠れ家博物館を見物したかったのだが、とにかく、すごく人気のある場所なので世界中から観光客が押し寄せており、どんどんと後ろから人に押されるので、駆け足で見物して約10分ほどしか隠れ家博物館に滞在できなかった。調べてみると今は予約制でネットでチケットを買わないと中に入れないので、僕が行った当時よりはゆっくりと見学できるのだろう。
ただ、現在のユダヤ人がやっていることを見ると考えないといけないのは、戦後はホロコーストの生き残りのユダヤ人たちがイスラエルという軍事国家を建国して、パレスチナでアラブ人たちを軍事力で追い出しているということ。僕は祖父母がホロコーストを生き延びたという、元ユダヤ人だったというドイツ人女子大生にドイツで会って話をしたことがあるが、彼女の家族は戦後はユダヤ人が中東にイスラエルという国を武力で建国してアラブ人と戦争を始めたのを見て、「ユダヤ人もナチスドイツと同じことを始めてしまった」と落胆して、家族全員がユダヤ教からキリスト教に改宗したと言っていた。
今、イスラエル人(イスラエル人=ユダヤ人)が中東でアラブ人と戦争をしていて、その戦争の終わりが見えない事実を、アンネを始めとするホロコーストで亡くなったユダヤ人たちはどう見ているのだろうか?これが本当に疑問になる。