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中学生の時に寝台急行に乗って大阪まで行った思い出

 

中学校2年生の時に仙台の自宅から銀行員の父が単身赴任で勤務している大阪まで一人旅をした。普通に新幹線で行くのではつまらないので、寝台急行「きたぐに」に乗って日本海側を通って大阪まで行くことにした。

 

 

今日3月28日から日本のプロ野球とメジャーリーグのシーズンも始まったけど、これらのニュースについてはまた後日に書くとして、今日は中学生の時の思い出について書こうと思う。

 

昭和57年(1982年)の夏休みの時は中学校2年生だったが、前年の僕が中学校入学の時に両親が生まれ故郷の仙台にマイホームを建てて定住して、銀行員の父は銀行の大阪支店で単身赴任をしていた。それで、高校1年生の兄と小学校6年生の妹は吹奏楽部で活動をしていたので、僕は1人で父が単身赴任をしている大阪に旅行することになった。

 

大阪まで行くといっても僕は鉄道マニアだったから、仙台から大阪まで普通に新幹線を乗り継ぐだけでは面白くなかったので、仙台から山形県を通って日本海側に出て、山形県の余目駅から寝台急行「きたぐに」に乗って日本海側を通って大阪駅まで行くことにした。国鉄(当時)の仙台駅に行って、そのための特別の乗車券もみどりの窓口で作ってもらった。写真は東海道線を走る「きたぐに」。

 

仙台を出発してまず仙山線で北山形駅まで行った時は以前にも来たことがあるから不安ではなかったが、北山形から奥羽本線の急行列車に乗った時から、まだ13歳だったから初めての一人旅ですごく不安になってきた。「乱暴な乗客から金を出せとか言われたらどうしよう」などと心配するようになった。それでも、羽越本線の余目駅に着いて、そこから大阪行きの寝台急行「きたぐに」に乗った。でも、「きたぐに」に寝台車が連結されるのは新潟駅からだったから、まずは座席車に座った。

 

 

羽越本線の余目駅から新潟駅までは「きたぐに」の座席車に座ったが、その時に隣に座ったおばさんが色々と話しかけてきたので会話をした。でも、今は日本国内は新幹線か飛行機での旅がメインになっているので、あまり隣に座った人と会話することはなくなっている。

 

 

夏休みだったから座席車はけっこう混んでいて、4人掛けの座席で40代のおばさんと30代の母親と小さな子供の3人が座っている座席に座った。座席に座ると隣に座っていたおばさんが、「私は日本国内をあちこち旅をしていて、この列車で大阪まで行くのですけど、あなたはどこまで行くのですか?大阪で単身赴任をしているお父さんの所まで行くのですか。まだ中学生なのに一人旅なんて偉いですね」「今、ニュースで中学校の校内暴力とか報道されてますが、あなたの中学校でも校内暴力とかありますか?」などと色々と話しかけてきた。

 

平成初期までは今のJRグループである旧国鉄の寝台列車、長距離列車が全国各地で走っていたから目的地まで数時間かかったので、このように隣に座った人、周りに座った人たちと色々と会話をすることがあった。今では北海道から九州まで新幹線が走っていて、さらに、格安航空券で乗れる飛行機も飛んでいるから、すぐに目的地に着くので列車で隣に座った人と色々と会話をするという旅情は失われてしまった。

 

その後、新潟駅から連結された10系寝台車のA寝台のベッドで寝ることとなった。この昭和30年代に製造された旧式寝台車は翌年に廃車になったそうなので、乗れたのはとても幸運だったと思う。でも、A寝台でもあまり寝心地が良くなかったので眠れたのは数時間だった。終点の大阪駅に着いたのは朝の9時ころだったと思う。

 

先にも書いたように、今は北海道の函館から九州の鹿児島まで新幹線が通っているから、日本国内では新幹線か普通列車しか通っていない地域が多いので、このような在来線の列車を乗り継ぐ鉄道旅というのはすることができない。そして、客車の中で知り合った乗客と仲良く会話をするという旅情も失われた。新幹線と飛行機の旅が便利になった一方で、長い鉄道旅を楽しむことが失われたのは本当に残念である。