Deutschland-Lab

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1995年1月にドイツで初めて元ドイツ兵のおじいさんに出会った

有名な建物であるドイツのミュンヘンにある新市庁舎。この建物の近くで僕は元ドイツ兵のおじいさんに会った。

 

 

 

今日のブログではちょっと昔のことで、僕がまだ20代だった頃の出来事について書こうと思います。

 

 

1995年の正月にヴィーンに約1週間滞在するパッケージツアーに兄と参加して、オーストリアのヴィーンとドイツのミュンヘンに行った。パッケージツアーでもずっと添乗員に付いて回るツアーではなかったから。

 

 

1995年の1月1日にオーストリアのヴィーンに行くパッケージツアーに、兄と一緒に参加した。僕は英検準1級を持っていて兄も一般会話程度は英語がしゃべれたから、ヴィーンに行くと行ってもヴィーンに着いたら5日間はツアコンにずーっと付いていくのではなくて、現地での行動はかなり自由だった。でも、ヨーロッパでは大寒波が来ていてほぼ毎日雪が降るか、気温は0度以下の日々が続いていた。

 

それで、兄はクラシック音楽が大好きだったから、夕方になるヴィーン交響楽団のコンサートを聞きに行ったが、僕はクラシック音楽には興味がないからホテルの部屋でオーストリアのTV番組を見たりしていた。3日目にはクラシック音楽好きの要望を聞いてモーツァルトなどが活躍して、映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台にもなったオーストリア中央部のザルツブルクに行ったりした。

 

 

 

クラシック音楽マニアの兄が申し込んだツアーだったから、兄の行きたい所に行くことが多かったが、6日目はドイツ軍マニアの僕の要望を聞いてもらってドイツのミュンヘンに特急電車で行った。ミュンヘンのドイツ博物館にナチスドイツ軍の戦闘機が展示されてるのを知っていたから。

 

 

 

でも、一方で6日目はオーストリアよりもドイツが好きだった僕の強い要望を聞いてもらって、長距離特急電車に4時間ほど乗ってヴィーンからドイツのミュンヘンに行った。午前7時頃にヴィーンを出発して、ミュンヘンに着いたのは午前11時半頃だった。だから、帰りも特急電車は無理だったから帰りは飛行機だった。

 

僕がどうしてもミュンヘンに行きたかったのは僕が子供の頃からのナチスドイツ軍マニアであり、ティガー、パンター戦車、メッサーシュミット戦闘機などの模型を作るのが大好きだったからだった。ヒトラーの過激な政治思想などには全く興味はないが、子供の頃からドイツ軍の模型を作り、戦記を読むのが趣味だった。日独軍事同盟があったころもあり、そういう日本人はかなり日本に多い。本屋にはドイツ軍の戦記が売られているし、模型屋にはドイツ軍の戦車、戦闘機、軍艦の模型がたくさん並んでいる。僕はただ、そういう戦記と模型に興味があったのでドイツが大好きだった。

 

それで、ミュンヘンにあるドイツ博物館でメッサーシュミットBf109戦闘機、メッサーシュミットMe262ジェット戦闘機、V1ロケットなどのドイツ軍の本物の武器を見て僕はとても満足をした。「ドイツはナチスドイツ軍時代の兵器、軍関係のものはタブーと聞いていたが、日本よりも普通に街中の博物館に展示されてるんだな」と思ってちょっとびっくりした。

 

 

ミュンヘンのドイツ博物館を訪れた後にレストランで食事をしたが、隣にドイツ人の老夫婦が座っていた。まだ戦後50年だったからおじいさんは元ドイツ兵だと思って、僕が知っていたナチスドイツ軍関係のドイツ語を独り言で言ってたら、おじいさんは「日本人だ」と言って嬉しそうに微笑んだ。

 

 

 

その後、ミュンヘンで昼食を食べようと思って兄と一緒にミュンヘン中心部にあるドイツ料理のレストランに入った。すると、真ん中ほどに人生にちょっと疲れてるようなドイツ人の老夫婦が座っていた。2人共70歳以上に見えたので当時は1995年で第二次大戦終結から20年目の年だから、「この老夫婦はおじいさんがドイツ兵で、おばさんは兵隊だった夫の帰還を待っていたに違いない」と思った。それで僕は強引に兄を連れて老夫婦の隣に座った。

 

そして、バッグの中に第二次大戦の戦記が入っていたからそれが老夫婦に見えるように机に置いて、何度かおじいさんの顔を見ながら、当時はまだ僕はドイツ語がほとんど喋れなかったから戦記を読んで知っていたドイツ語の単語を独り言で言った。[Leibstandarte Adolf Hitler](後に第1武装SS機甲師団になった総統護衛連隊アドルフ・ヒトラー)、[Blitzkrieg](電撃作戦)、[Panzergruppe Guderian](グデーリアン機甲集団)、[Operation Barbarossa](バルバロッサ作戦)などというドイツ軍に関する単語をおじいさんをチラチラ見ながら言った。

 

絶対にこんなことをされるとアメリカ、イギリス、フランスなどの旧連合軍の老人だったら激怒するだろうが、そのおじいさんは僕の顔を見て嬉しそうに微笑んで、[Japaner](日本人だ)と言ったのだった。そして、隣に座っていた妻と急にドイツ語で何かを話し始めた。まだ僕はドイツ語がわからなかったから2人が何と言っていたのかはわからなかったが、絶対に第二次大戦の話をしていたのだろう。それ以外にはあり得ない。僕はこのドイツ人老夫婦とのやりとりを体験して、ドイツには同盟国だった日本人が大好きという老人、その他の人でも日本人が好きな人が多いんだとよくわかった。それに、この老夫婦以外にもミュンヘン市内には、日本人には親切なドイツ人が多かった。それで、ドイツ語も真剣に勉強しようと思ったし、これからは海外旅行は全部ドイツに行くことにしようと思った。

 

以上、これが僕がドイツ語を真剣に勉強しようと思い、ドイツに何度も行くことになったキッカケだったのでした。