過去の思い出
1986年のサッカーワールドカップ中継を、オフサイドを知らないでテレビで観戦していた。一緒に観戦をしていた父もオフサイドを知らなかったけど、父が勤務先で部下からオフサイドを教えてもらったので2人ともオフサイドがわかった。同じ時期に高校の体…
僕が小学校6年生の時に、初めてサッカーの試合をスタジアムに観戦に行った時のことについて書いてみた。1980年当時はまだJリーグがなかったので、ヤンマー(今のセレッソ大阪)がミドルセックスワンダラーズというイギリスのチームと対戦する親善試合を…
僕は子供の頃に父が勤務する銀行の社宅アパートに住んでいたが、西宮の社宅に住んでいた時に3歳年下の不良小学生がいた。銀行の大阪支店では彼の行動を問題視して、彼の父を銀行の沖縄支店の支店長にして左遷した。子供の悪さのせいで、父は左遷されて家族…
僕は子供の頃は父が銀行員で転勤が多かったので、日本各地に住んだ。だから初詣も、名古屋の熱田神宮、東京の明治神宮、広島の厳島神社、神戸の湊川神社に行った。そのうちで最も思い出に残っているのは明治神宮に行った時であり、理由は迷子になって1人で帰…
12月29日は僕の父が亡くなった命日だが、「仕事納め」の後でみんなの仕事の邪魔にならないように亡くなったのが、「超エリートサラリーマン」の本領発揮だったと思う。父は大手銀行とゼネコン下請けの建設会社に勤務していたが、亡くなる日付まで家族よ…
西宮で小学校6年生だった時に、僕の家族は僕が小学校を卒業したら、両親の故郷である仙台に引っ越すことを決めていたのだが、同級生の友達は「私立中学を受験して関西に残れ」と勧めてきた。どこに住んでいても、「引っ越すことになった」と言うと、仲の良い…
転勤族の家族にとっては、特に高校と大学の入学試験は鬼門であり、圧倒的に不利な状況になる。たとえば、高校入試でせっかく進学校に入学しても。その後に父が転勤になると、進学校から転出して高校入試をもう一度受験しないといけないからである。転勤族の…
小学校6年生で西宮に住んでいた時に、父の銀行の社員旅行に同行して、京都の嵯峨嵐山に紅葉を見に行った。ところが、日本酒をちょっと飲んだ父がバスガイドのお姉さんを叱ったり、観光バスはひどい渋滞に巻き込まれてほとんど進めなかったりで、散々なツア…
僕はかつて西宮に住んでいたのだが、その時に、父と妹と一緒にお笑いの吉本興業のなんば花月に行ったことがある。花月の入り口はすごく混雑していたのだが、チケット売りのおばさんは「まだ座れますよ」と言っていた。それで中に入ってみると、どこも立ち見…