今日はもしメジャーのワールドシリーズで大谷がいるドジャースが勝っていたら、ドジャースおめでとうという記事を書くつもりだったけど、負けているのでその記事は次の機会に書くことになるだろう。今日はナチスドイツ時代の裁かれない戦争犯罪、BMWを支配するクヴァント一家のスキャンダルについて、主にウィキペディアから引用しながら記事を書こうと思う。
ギュンター・クヴァント(Günther Quandt、1881年7月28日 - 1954年12月30日)は、ドイツの実業家である。
今日、自動車会社のBMW、製薬会社のアルタナ(Altana)、電池製造のファルタ(VARTA)などを所有・支配するクヴァント家を築いた。
1919年4月、ギュンターは当時17歳のマクダ・フリートレンダーと出会い、1921年に結婚する[4]。1921年11月1日、長男のハラルト・クヴァント(ドイツ語版)が生まれる[5]。しかし、ギュンターは家庭を省みず、仕事にかかりっきりであったため、マクダとはすぐに不和になる[6]。また、不和になったその他の原因としては、マクダとギュンターは元々相性が良くなく、マクダと仲が良かったギュンターの前妻の息子ヘルムートが死去したことも原因の一つであったとされる[7]。
マクダはその後、ナチス幹部のヨーゼフ・ゲッベルスと再婚した。クヴァントとマクダの間に生まれたハラルトはゲッベルスの養子となった[10]。後にナチ党が政権を掌握し、ゲッベルスが国民啓蒙・宣伝大臣に就任して国家の最高指導部に列したため、この「血縁関係」はクヴァントの事業に大いに資するところとなる。
独ソ戦勃発後、ギュンターが経営するDWMは武器製造によって、AFAは軍用バッテリーを製造し、繊維工場は軍服を作るなどして多額の利益を上げていた[15]。ギュンターの事業は拡大し、戦争捕虜やポズナンに住む住民などを強制労働に動員し、その人数は推定で5万7500人に上った[16]。彼ら強制労働者は、バッテリー工場で鉛を扱う部門では、防毒マスクを供与されずに働かされるなど、劣悪な環境で働かされた[17]。
ギュンターは1946年6月半ばに、CICに拘束され、ギュンターはニュルンベルク継続裁判の被告候補リストに名前を連ねていた[18]。ギュンターは関係各位を通じて、自身の身の潔白を証明する発言や書類を収集し、その中には、アメリカへの渡航費用を工面したゲオルク・サックスもいた[18]。また、ギュンターは拘束中に、回想録を執筆し、自身をナチスの犠牲者と仕立て上げ、強制労働については一切触れなかった[19]。これら、ギュンターの根回しが功を奏し、ニュルンベルク継続裁判の被告から外された[20]。その後、ギュンターには非ナチ化裁判が控えていた[21]。この時も、ギュンターは、武器製造はナチスの命令によるものであり、ナチス入党はゲッベルスに強制されたものである、などと言った虚偽証言と、虚偽証言の裏付けを予め取っておくなどの根回しが功を奏した[22]。結局、判決は、(ギュンターは)ナチスに扇動され、ナチス入党も強制されたものであるとされた[22]。
こうして、自由の身となったギュンターであったが、1950年には軽い脳卒中に見舞われ、1954年12月30日、旅行先のエジプト・カイロで死去した[23]。
クヴァント家
ナチス・ドイツの敗戦後、所有する会社は一時没収されたものの後に取り戻し、一族は次男であるヘルベルト・クヴァントを中心として再び富を築くことに成功した。ギュンターの遺産は、5550万マルクに上り、これは2024年時点の通貨では、1億3500万ドルに相当する[24]。
現在、ドイツの長者番付100位に名を連ねる同家の人物は8名にも達し、ヘルベルトの妻ヨハンナ・クヴァント、その息子シュテファン・クヴァントと娘ズザンネ・クラッテンは経済誌フォーブスが発表する世界長者番付の常連でもある。
他方、一部のメディアから同家はナチス時代の強制徴用と強制労働の事実を認めず、生存している被害者からの賠償請求も受け付けなかったと批判されている[25]。
ナチス時代の真実
ドイツ公共放送は2007年10月1日、クヴァント家が過去に行った上述の悪行とナチスへの政権援助を暴き、その後の責任逃れを追及するドキュメンタリー番組を放送した。放送は予告なしに行われ(同家による妨害を避けるためと思われている)、大きな反響を呼んだ[25]。
つまり、ギュンター・クヴァントは一度ゲッベルスの妻であるマグダ・フリートレンダーと結婚していたことがあり、マグダがクヴァントと離婚をしてゲッベルスと結婚した後も2人の関係は続いており、クヴァントはマグダを通じてナチスドイツの宣伝大臣のゲッベルスと深い関係となった。この関係を利用して、第二次大戦中に大量の強制労働者を調達して、ギュンター・クヴァントが社長を務めるBMWは巨額の利益を得た。
戦後はゲーリングなどの大物戦犯が死刑になった後の、ニュルンベルク継続裁判で起訴されたが、ナチス時代に1人のユダヤ人を救ったこと、自分はゲッベルスの指示に従って強制労働をさせただけだなどの自己弁論をして、巧みな法廷戦術で死刑にはならずに数年間の禁固刑だけですんだ。
しかし、ギュンター・クヴァントにの死後に出てきた本当の事実によると、積極的にナチス党員になり、強制労働で兵器を大量生産して巨額の富を築いたというのも、クヴァントは誰にも強制されずに行ったことが明らかになったようだ。