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ナチスドイツ時代に生まれた映画と俳優たち

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ナチスドイツ時代の1944年には、最高のコメディ映画が作られていた

ナチスドイツ時代の映画というと、戦争遂行のための宣伝映画、戦意高揚映画、反ユダヤ的映画が多かったが、そうではない映画もあった。別にここでは、ナチスドイツ時代の映画を弁護しているのではない。

2006年から2012年までドイツ人弁護士のSが、東北大学法学部准教授として仙台で働いており、妻のMも一緒に生活していたことは既に何度も書いた。ただし、妻のMは2011年の大震災の後にドイツ政府が用意した車と飛行機でドイツに避難して、それ以後は帰って来れなかったけど。

それで、2006年の11月に彼らの家に招待されて、そこで彼らのお勧めのドイツ映画を見て家に一泊したことがあった。Sが用意したお勧めのドイツ映画は、「Die Feuerzangenbowle]「ディ フォイアーツァンゲンボウレ」というタイトルの映画だった。「フォイアーツァンゲンボウレ」というのは、冬のクリスマス時期にドイツ人が必ず飲むグリューワインのような温かいワインの一種であり、これはアルコール度がなかり高いので飲むととても気分がハイになって、体が温かくなって気持ちがよくなる。これを飲みながら、ドイツ人は家族と友達とクリスマスパーティを祝うようだ。

それでこの映画について驚いたのは、この映画はドイツ映画史上とても面白いコメディ映画として人気があるのだが、公開された年がなんと1944年なのである。歴史に詳しい人ならわかると思うが、ナチスドイツが降伏する前年に作られた映画であり、最前線ではドイツ軍が苦戦をしており、強制収容所ではどんどんとユダヤ人が殺されていた年である。
「1944年制作の映画ということはナチスドイツ政権の末期で、ゲッベルスの宣伝啓発省の検閲の下で作られた映画なんだろ?そんな映画が面白いのか?ナチスの宣伝、戦意高揚とかの内容ではないのか?」
というふうに、当然ながら僕は質問をした。Sはこう答えた。
「ナチスドイツ時代にもコメディ映画、恋愛映画とかを作るのは問題なかったんだよ。戦争で苦しむ国民の娯楽のために、ゲッベルスもそういう映画を作るのを許可していたんだ。もちろん、反ナチス的、ユダヤ的な映画を作るのは禁止されていたけどね。この映画はナチズムとも戦争とも関係がない娯楽のコメディ映画だよ」
Tの答えを聞いて「まあ、日本の場合も戦争中の国民の娯楽のために、落語の寄席、歌舞伎の興行などは行われていて、ミヤコ蝶々、桂春団治のような芸人たちは『わら鷲隊』とかを組んで、中国戦線の最前線に慰問に行ったというからな」と思った。

 

それで、「フォイアーツァンゲンボウレ」という映画のシナリオはこうだ。初老の紳士たち数人がクリスマスの時期にフォイアーツァンゲンボウレを飲みながら、学生時代の楽しかった思い出を話していた。そのうちの1人のハンス・プファイファーは独学で勉強して成功したキャリアを歩んだため、自分には楽しい学生時代がないことをとても後悔した。そこで彼は変装をして近所の高校に新入生として入学することに決めて、彼の企みは上手くいって先生にいたずらをしたり面白い話で高校の人気者となった。女性教師、女生徒と交際までして楽しい学生生活を過ごすが、ラストでは全ての高校での楽しい出来事は、フォイアーツァンゲンボウレを飲んだために彼が見たデイドリームだったというオチになる。

この映画に主演していたドイツ映画史上でも有名なコメディ男優のハインツ・リューマンというのは、ホロコーストで亡くなったアンネ・フランクが大好きな俳優であり、アンネは隠れ家に彼の写真を貼っていたほど好きだった。しかし、一方でヒトラー総統とゲッベルス大臣を始めとするナチス党幹部のお気に入りでもあり、1944年には宣伝啓発省によって「神に与えられた才能のある芸術家」の1人にまで選ばれている。僕が2003年にメール交換をしていた若いドイツ人女性もリューマンのことを、「私の最もお気に入りの男優」と書いて、リューマンの写真をメールに添付して紹介していた。

ナチスドイツ時代にドイツ映画に関わった人たちは戦後は厳しい人生を送った

このようにとても才能があったにもかかわらず、リューマンはナチスドイツ時代にドイツで映画出演していたことから、戦後は1994年まで生きていたが不遇で難しい生活を送った。これは、ナチス党の指示に従って宣伝映画を数本作った、レニ・リーフェンシュタール女史などについても当てはまることである。リューマンもとても才能のある俳優だったが、当然ながら、ユダヤ人の力が強い映画の都ハリウッドへの進出などは絶対にかなわないことで、ドイツとドイツ語圏の国々だけで封切られるようなコメディ映画だけの出演にとどまった。だから、ドイツ語圏ではとても有名な俳優なのに、日本ではほとんど知られてない。これは、日本の俳優も三船敏郎、高倉健、渡辺謙、北野武などの一部のハリウッド映画に出演した俳優以外は、国際的にはあまり知られてないのとよく似ているだろう。


ドイツ人の友達と一緒にドイツのコメディ映画を見た話を書いただけだけど、ナチスドイツ時代にも言及するようなちょっと難しい日記になってしまった。しかし、ドイツ映画について語り出すと必ずと言っていいほど、「その俳優はナチスドイツ時代はどうしていたのだ?ドイツに残ったのか?なんで、マレーネ・ディートリッヒや他の映画人みたいにドイツを脱出しなかったのだ?」という重い話になってしまう。ドイツに詳しい人ならわかると思うが、ドイツの音楽、映画、スポーツなどの大衆娯楽について語ると、必ずナチスドイツ時代の大衆娯楽についても語る必要が出てくる。まあ、これは日本とドイツの場合は必ず付きまとうことだろう。

 

写真上は「Die Feuerzangenbowle]「ディ フォイアーツァンゲンボウレ」に主演していたハインツ・リューマン。このブログに書いたように、とても才能があった俳優にもかかわらず、第二次大戦後は不遇な人生を送った。