ホームステイ先では、ホスト家族に必ず自分と自分の家族の詳しい情報を伝えないといけない。ホスト家族には長期間お世話になるのだから。
前回の日記ではシュツットガルト近郊のファイヒンゲン・アン・デア・エンツ(エンツ川沿いのファイヒンゲンという意味)という町に住むドイツ人家庭のH家にホームステイを始めてから、家族と初めて会った時のことを書いたけど、今日は自分と自分の家族について自己紹介をしたことを書く。当然ながら、ホームステイ先の家族に滞在するには自分のことを教えないといけない。
僕「僕は英語でいうとPreparatory School(英語で進学校の意味。ドイツには大学進学を目指して勉強するGymnasiumというのはあるが、大学は入るのが簡単で出るのが難しいので日本の進学校という概念がないから、日本と学校制度が似ているアメリカ英語で説明をした)を卒業して、東京都内のまあまあの大学を卒業しました。僕の卒業した高校も大学も日本国内ではまあまあ有名な学校で、『君は高校も大学も優秀な学校を卒業したんだな』と他の日本人に言われるんです」
主人と奥さん「それは、君とドイツ語で少し話をしてすぐにわかったよ。この日本人は頭が良いと思った」
「でも、頭はいいかもしれないけど、運動は苦手でシャイな性格だから友達は子供の頃から少ないんです」
主人と奥さんは心配な顔をして、「そうだね。君と話をしていて、頭はいいかもしれないけど、ちょっと神経質で大人しいという感じがしたんだ。うちの長男のJに性格が似ていると思った」
「でも、それにはやむを得ない理由があるんです」
と僕は言って、父が大手銀行に勤務していたので、子供の頃は何度も日本国内を引っ越して転校が多かったから、友達が少なくてシャイな性格になった理由を話した。主人と奥さんは「それでは、仕方がないね」と言って納得していた。
次に僕は父の仕事について説明をした。H家に3か月ホームステイした時の費用の半分は父に出してもらっていたから、お金の心配はないことを伝える必要があった。
「僕の父は会社員ではなくて、政府系銀行で働いていたんです。今は50歳過ぎの頃に仙台に本社がある建設会社に転職をして、そこの重役をしてますが。その政府系銀行というのはドイツでいうとドイッチェバンク、ドレスデナーバンクのような大銀行なんです。Rさん(主人のこと)はベンツ社の部長ですが、恐らく父が銀行の部長だった時はあなたよりも給料は多かったと思います。やはり、ドイツで3か月ホームステイをして語学留学するには、国費留学生ではなくて私費で留学できる家庭というと、ある程度は収入のある家庭の人が多いですから、これからH家にホームステイしに来る日本人は、ある程度経済的に余裕がある日本人が多いと思います」
このように説明したら、2人とも納得していた。でも、日本のエリートサラリーマンというのは、仕事ばかりしていて家庭のことをあまり顧みない人が多いということを知っていたようで、
「でも、君のお父さんは大手銀行に勤務していて収入が多いことを自慢に思っているようだけど、本当は小心者なんだろ?それで、君のお母さんは夫が多少は乱暴なことを言っても、あまり夫には逆らわないんだろ?典型的な日本の夫婦だと思うね」
奥さんもこう言った。
「我々、ドイツの女性はEmanzipierte Frauen(解放された女性たち)だから、夫がどんなにエリートで金持ちでも、あなたの父みたいに家庭と妻の面倒をあまり見ないなら離婚する。あなたの父みたいにいくら銀行員で経済的に安定していても、何度も転勤をしたり単身赴任とかして働いて、仕事一筋という男はドイツでは嫌われる。そんなに転勤が多い仕事の男よりは、多少は収入が下がっても転勤が少ない仕事の男の方がいい」
主人と奥さんはこういうことを言って、「昭和のサラリーマンとその妻」である僕の両親のことを批判した。僕の方も何か言い返そうと思ったが、ホームステイの最初からケンカになるのも嫌だったし、言い返せるだけのドイツ語力もなかったの苦笑いして頷いた。(苦笑)
ホスト家族のH家の主人はベンツ社の部長だが、ノンキャリア出身なので大学は出てなかった。H家は家族みんなで話し合って、「大学には行かない」ということを決めていた。
H家の家族の学歴についてだが、主人のRさんと奥さんのIさんはハンブルクの近くの小さな町の出身で2人とも大学を出ておらず、Rさんはノンキャリアでベンツの部長にまで出世していて、奥さんは将来は専業主婦になることが夢だったので、学校で英語の勉強は1年しかしてなかったので英語はほとんどしゃべれなかった。長男のJと長女のWは共に大学進学を前提に勉強をするギムナジウムに通っていたが、父が叩き上げで出世したので家族で話しあった結果、大学には進学せずに父のように働きながらキャリアを積むというコースを選んだのだった。でも、僕が話をした限りでは2人ともまあまあ頭が良いと思った。Wは他の家に夫と住んでいたから詳しいことは知らないけど、Jはコンピューター会社でソフトを使って表計算をする仕事をしていた。Jの恋人のCは、シュツットガルト市内にある職業訓練学校に通っていた。1999年の頃のドイツではまだ大学に進学せずに、職業訓練学校を卒業してから何社かで実習を行って、それから就職する人がけっこういた。今は大学に進学する人がかなり増えてるようだが。
長男のJと恋人のCは侍について質問をしてきて、僕はナチスドイツについての2人の意見を質問した。
その後、H家で夕食を食べた後に、長男のJと彼の恋人のCと会話をする機会があった。
J「俺たちは、日本の侍の歴史にとても興味があるんだ。君のような日本人の若者にとっては、侍はどういう存在なんだ?」
若者といっても僕は当時はもう30歳だったが、逆に彼に聞き返した。
「日本の侍の名前を知ってるのか?織田信長、豊臣秀吉、徳川家康とか知ってるのか?日本製の侍の映画とか見たことがあるのか?『7人の侍』『影武者』とか見たことがあるのか?」
「それらの映画はいつかは見ようと思っているけど、まだ見たことがないんだ。日本の歴史についてはドイツでは大学の日本学部でしか詳しく教えてないよ。日本の歴史については日本が19世紀後半に開国をして、その後、清とロシアと戦争をして勝ったこと。第一次、第二次大戦を経て今日は先進国になったことまでの歴史をギムナジウムでは習う。でも、それ以前の鎖国をしていた時代については全く習わない」
「徳川家康も知らないのでは、侍の歴史について教えようがないよ。それに、俺のドイツ語力はまだ十分でないから、侍の複雑な歴史について教えるのは難しいね。ホームステイをしている内に、機会があったら教えるよ」
この答でJは納得したようだった。
恋人のCからはこういう質問をされた。
「ドイツの女性については、日本ではどういうイメージがあるの?」
「これは日本人全員が持っているイメージではなくて、ナチスドイツに詳しい僕の個人的なイメージだけど、ハリウッドの戦争映画、ホロコースト映画を見ていると、金髪でとても美しくてセクシーなのに、スワチカのマークを付けた制服を着て、『ハイル・ヒトラー』と叫んでいるドイツ人女性がたくさん出てくるんだ。ドキュメントフィルムにも出てくるね。それで、まだ子供だった頃に『なんで、あんなに美しいドイツ女性たちがヒトラーの演説に熱狂して、ナチス党に協力してるんだろう?』と疑問に思ったんだ」
Cは大声を張り上げてこう叫んだ。
「そうね!そうね!確かに、そういう女性はナチスドイツの時代にたくさんいたけど、それが今の私のようなドイツの若者と何の関係があるというの!?」
「いや、関係はないと思うよ。でも、子供の頃はそれが疑問だったんだ。でも、今はナチスドイツについて勉強をしたから、その理由もわかったけどね。一方で、僕の父方のおじいさんは死ぬまで『日本とドイツは悪くない。連合国側が日本を追い詰めたんだ』と言っていたし、母方のおばあさんはまだ生きてるけど、おじいさんと同じようなことを言ってる。戦争当時の日本の批判とかしたら、おじいさんもおばあさんも怒るんだ。それは、ドイツのおじいさんもおばあさんも同じではないのか?」
僕がこういうことを言うと、Cは頷いていた。でも、やはり、Cも若い女性だから第二次世界大戦の話は嫌っていた。これは、日本の若い女性と同じだろう。
今日はここで終わりにするけど、また、H家でどういう話をしたかを書こうと思います。
写真下はファイヒンゲン・アン・デア・エンツ市の中心部に立つ教会。H家の人たちは[Evangelisch](エヴァンゲリッシュ 福音派・プロテスタント)の信者だったが、あまり教会には行ってないと言っていた。この教会は[Katholisch](カトリッシュ 旧教派・カトリック)の教会らしい。
最後に、僕のブログを訪れてくれてありがとうございます。この記事のようなドイツ人家庭にホームステイして滞在した時の体験談以外にも、ドイツで10試合ほどブンデスリーガの試合を観戦していて、ドイツサッカーが好きな方に対して色々と興味深いブログ記事を書いているので、できれば他の記事も読んでみてください。コメントを書いてもらうと嬉しいです。ドイツ語の勉強の方法、ナチスドイツ軍に関する記事も書いてますし、これからもそういう記事を書いていきます。