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ムンスター戦車博物館に展示されている突撃砲など(1)

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今までにドイツのムンスター戦車博物館に展示されている戦車を紹介してきたが、このブログでは戦車博物館に展示されているドイツ軍の突撃砲などを紹介する。タミヤ模型で模型化されてる車両の多くが展示されてる。

 

ドイツ北部にあるムンスター戦車博物館には多くの戦車、突撃砲、自走砲、その他の火砲が展示されているが、今までは主にナチスドイツ軍の戦車を紹介してきた。このブログではドイツ軍の突撃砲などを紹介する。

 

上の写真は博物館に展示されているシュトルムティガー臼砲戦車である。スターリングラード攻防戦の教訓から、市街戦では街の建物が要塞となって邪魔になると学んだドイツ軍は、建物を一発で破壊する大口自走砲の必要性を実感した。それで完成したのはティガーⅠ型の車体に38センチ臼砲を装備した自走砲であり、戦艦「ビスマルク」の主砲と同じ口径の臼砲を装備したこの自走砲は終戦までに18台が完成した。

 

しかし、ティガー戦車に38センチ砲という大口径の主砲を搭載したことで運用が難しくなり、1944年8月に起こった「ワルシャワ蜂起」の鎮圧などに投入されたぐらいで実戦参加は終わった。シュトゥルムティガーの写真で残っているものは、燃料切れ、エンジンの故障なでで放棄されて連合軍に捕獲されたものの写真が多く、この自走砲の運用がいかに難しかったかがわかる。終戦間際に試作車が完成した超重戦車「マウス」などに似た、ナチスドイツ軍の「トンデモ兵器」の一つといえるだろう。

 

僕が一応の説明文を書きましたが、もっと詳しいことはウィキペディアの説明を読んでください。他の突撃砲と自走砲についても、もっと詳しいことを知りたいのなら、ウィキペディアを参照してください。(苦笑)

 

ja.wikipedia.org

 

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上の写真はⅣ号駆逐戦車「ラング」である。4号戦車の車体に48口径の75mm砲を搭載した駆逐戦車で、1944年1月から本格的な生産が始まった。この車体はツィンメリットコーティングがされているのが特徴である。僕が1997年9月にこの博物館に行った時に会話をした元ドイツ戦車兵のおじいさんは機甲教導師団に所属していて、ノルマンディ戦線でこの駆逐戦車の運転手をしていたと言っていた。そして、米軍のP51ムスタング戦闘機に執拗に空から攻撃されたと言っていた。

 

 

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上の写真はⅣ号戦車の車体に15センチ榴弾砲を装備した「ブルムベア」である。Ⅲ号突撃砲の火力では歩兵の支援が不十分であったことから、この自走榴弾砲の生産が決まった。1943年7月に始まったクルスクの戦いから実戦に投入されている。

 

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上の写真は、Ⅱ号戦車の車体に48口径75ミリ砲を搭載したヘッツアー駆逐戦車である。1944年1月から大量生産が始まり、終戦までに約3000両が完成した。しかし、Ⅱ号戦車の弱体の車体に75ミリ砲を搭載したということから、動く対戦車砲というのが本車の実態であり損耗は多くて居住性も悪く、搭乗員からの評判は最悪だった。ヘッツアーはかなり多くの数が残っており、世界中の軍事博物館に展示されている。

 

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上の写真は、Ⅱ号戦車の車体に105mm榴弾砲を積んだ「ヴェスペ」自走砲である。Ⅱ号戦車は1940年5月から始まったフランス作戦で、主力戦車としては弱すぎることがわかり、その余った車体に榴弾砲を載せる構想が当然ながら始まった。1943年から「ヴェスぺ」は東部戦線で使用されるようになった。

 

 

写真の数が増えて重くなったのでパート(2)に続く。