- このブログ記事ではムンスター戦車博物館に展示されていた、ナチスドイツ軍の対戦車砲を紹介する。
- 第二次大戦初期、ドイツ軍の対戦車砲では英仏連合軍の戦車を破壊できなかったので、88ミリ高射砲を水平射撃で使用することによって連合軍戦車を破壊した。
- 1941年6月にバルバロッサ作戦が始まると、37ミリと50ミリの対戦車砲ではソ連軍戦車を撃破できないことを知ったドイツ軍は、翌年から75ミリ対戦車砲の配備を始めた。
このブログ記事ではムンスター戦車博物館に展示されていた、ナチスドイツ軍の対戦車砲を紹介する。
今日のブログ記事ではドイツ北部のムンスター戦車博物館に展示されていた、ナチスドイツ軍の対戦車砲の写真を紹介します。
第二次大戦初期、ドイツ軍の対戦車砲では英仏連合軍の戦車を破壊できなかったので、88ミリ高射砲を水平射撃で使用することによって連合軍戦車を破壊した。
上の写真はムンスター戦車博物館に展示されていた、有名なナチスドイツ軍の88ミリ高射砲(8.8cm FLAK37)である。ドイツ軍の電撃戦初期に、ドイツ軍のⅡ号Ⅲ号戦車と短砲身75ミリ砲のⅣ号戦車では、分厚い装甲のイギリス軍、フランス軍、ソ連軍戦車には歯が立たなかったので、対空部隊が持っていた88ミリ高射砲を水平射撃で使用して、敵戦車を撃破したのはあまりにも有名な話である。
88ミリ高射砲を初めて水平射撃で使用して敵戦車撃破に使用するように命令したのは、有名なロンメル将軍であったと言われてる。その後、ロンメルは北アフリカ戦線でも88ミリ高射砲を水平射撃で使用して、多くの英軍戦車を破壊した。トブルクを巡る戦いでは、たった1個中隊の88ミリ砲によって、90両近い英軍戦車が撃破された。88ミリ高射砲の水平射撃は、初期から中期のドイツ軍勝利の立役者の一つだった。
写真下は88ミリ砲を後ろから撮影した写真である。砲弾を砲身に装填する部分、空の薬莢を排出する部分など、88ミリ砲高射砲の構造がよくわかると思う。
1941年6月にバルバロッサ作戦が始まると、37ミリと50ミリの対戦車砲ではソ連軍戦車を撃破できないことを知ったドイツ軍は、翌年から75ミリ対戦車砲の配備を始めた。
この写真は同じくムンスター戦車博物館に展示されてる、75ミリ対戦車砲(7.5cm PAK40)を撮影した写真である。先に書いたように、イギリス軍とソ連軍の重装甲な戦車にはドイツ軍の37ミリと50ミリの対戦車砲では歯が立たないことがわかったドイツ軍では、早急に強力な対戦車砲の開発に迫られて、1942年初めから75ミリの対戦車砲の生産を開始した。その後、75ミリ対戦車砲はドイツ軍対戦車砲部隊の主力となった。映画「遠すぎた橋」でも75ミリ対戦車砲が主力のドイツ軍対戦車砲部隊が、進撃を開始したイギリス軍機甲部隊に対して待ち伏せ攻撃を行い、数台のM4シャーマン戦車を撃破するシーンがある。
この写真は75ミリ対戦車砲を後部から撮影した写真である。これも上の88ミリ砲と同じように、砲の構造がよくわかると思う。
この写真は左から37ミリ対戦車砲(3.7cm PAK36)、50ミリ対戦車砲(5cm PAK38)、75ミリ対戦車砲の写真である。37ミリと50ミリの対戦車砲ではイギリス軍とソ連軍の戦車の装甲を貫通できないことがわかったので、75ミリ対戦車砲が配備されるようになると、これらの対戦車砲は戦場から姿を消した。
以上、今日はムンスター戦車博物館に展示されている、ナチスドイツ軍の対戦車砲の写真を紹介しました。ドイツ軍の対戦車砲は電撃作戦でドイツ軍が快進撃を続けていた頃は実はいうとあまり強力ではなくて、88ミリ高射砲の水平射撃でなんとか連合軍戦車を撃破していたという事実は、ドイツ軍マニアの間ではけっこう有名な話です。それでもドイツ軍が電撃戦で快進撃ができた理由というのは、制空権をドイツ空軍が握っていたので、急降下爆撃機(スツーカ)などの支援によって、連合軍が混乱しているうちに機甲部隊が快進撃して、その後を歩兵部隊が確実に敵陣地を潰していったのです。