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追悼・ドイツ男優ハーディ・クリューガー死去

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今日はドイツの偉大な男優のハーディ・クリューガーが1月20日に亡くなっていたという、ドイツマニアにとっては重大ニュースが入ってきたので、ハーディ・クリューガーの追悼記事を書こうと思います。でも、もう30年ほど前から映画ドラマには出演してないので、若い人は誰だかわからないと思います。

 

 

ハーディ・クリューガーは戦後の西ドイツ映画界で最も有名な男優だが、ナチスドイツ軍人を演じるには顔がイケメンで優しいイメージなので、ドイツ軍人を演じることは少なかった。

 

 

ハーディ・クリューガーは恐らく戦後の西ドイツ映画界で、もっともイケメンの男優だったと思う。そのためか西ドイツ人の男優なのに、あまり戦争映画でドイツ軍人を演ずることはなかった。「遠すぎた橋」「ネレトバの戦い」「戦争と追憶」などでドイツ軍人を演じたくらいだった。恐らく、悪役ドイツ軍人としてはイケメンで優しそうな顔をしていたからだろう。

 

一方で、「シベールの日曜日」「飛べ!フェニックス」「ハタリ!」「ワイルドギース」などの映画で、英米仏のスター俳優と共演して主役か準主役級のカッコいいドイツ人役を演じている。特にインドシナ紛争で負傷して記憶喪失した30歳のフランス空軍パイロットが、12歳の孤児の少女と恋愛するという「シベールの日曜日」のイメージが強いと思う。この映画はアカデミー外国語作品賞を受賞しているが、この映画でクリューガーは流暢なフランス語をしゃべって主人公のフランス空軍パイロットを演じており、優しい紳士のイメージが強くなった。1960年代には「史上最大の作戦」「バルジ大作戦」「レマゲン鉄橋」などのドイツ軍が悪役の戦争映画がたくさん作られているが、クリューガーが悪役ドイツ軍人をあまり演じなかったのは、恐らく「シベールの日曜日」のイメージが強かったからだろう。

 

ハーディ・クリューガーのウィキペディアの説明。日本語版よりも、英語版の方が説明が充実している。

 

en.wikipedia.org

 

 

クリューガーが主演してドイツで大ヒットした映画に、「脱走4万キロ」という映画がある。この映画は戦争中にドイツ空軍将校が連合軍捕虜となるが、カナダの収容所を脱走してドイツまで帰る話であり、「大脱走」の連合軍とドイツ軍を入れ替えたような設定である。

 

 

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上の映画はドイツで大ヒットした[Einer kam durch](邦題「脱走4万キロ」。直訳すると「1人が通り抜けた」)という1957年のイギリス映画だが、ある程度年をとったドイツ人(だいたい60歳以上)の間では、この映画はすごく人気がある。この映画はちょうどハリウッド映画の「大脱走」の連合軍とドイツ軍を入れ替えた話で、ドイツ空軍将校であるフランツ・フォン・ヴェラ大尉がイギリス連邦の国であるカナダの捕虜収容所を脱走して、まだ1941年初めの頃は中立国だったアメリカへと逃げて、その後、メキシコ、ブラジルを経てドイツへと帰還する話である。戦後、ハリウッド制作のナチスドイツ軍を悪役とした戦争映画ばかりでうんざりしていた西ドイツ人にとっては、やはり、ドイツ軍人が連合軍捕虜収容所から脱走するという話は痛快なのだろう。しかし、脱走してドイツへと帰ったフォン・ヴェラ大尉は、別に狂信的なナチス将校ではなかったらしい。

 

フランツ・フォン・ヴェラ大尉のウィキペディアの説明。彼以外にも連合軍捕虜収容所を脱走して、ドイツへ帰ろうとしたドイツ軍人はかなりいたことが書かれている。

 

ja.wikipedia.org

 

クリューガーはドイツ敗戦直後の17歳の時に1人目の子供(娘)を作っている。そして、最期の息子のハーディ・クリューガー・Jr.も俳優として活躍しているが、長女とは23歳も歳が離れている。海外のセレブも私生活は変わってるようだ。(苦笑)

 

クリューガーが亡くなったというニュースを聞いて調べていてびっくりしたのだが、彼は第二次大戦中はヒトラーユーゲントの学校の中でもエリート学校である「アドルフ・ヒトラー学校」に通っており、ナチスドイツ敗戦の少し前に最前線に送られてる。しかし、その頃に知り合った同世代の女性との間に子供を作っており、子供(娘)はドイツ敗戦から数か月後に生まれている。クリューガーは娘が生まれた時にはまだ17歳であり、その女性とは5年後に結婚という早熟な青年時代を送っている。そして、クリューガーの最期の息子のハーディ・クリューガー・Jr.は父と同じように俳優業をしているが、1968年に生まれていて僕と同い年である。つまり、初めの娘と末の息子の年齢差は23歳もあるのだ。欧米の芸能、スポーツ関係の人は金持ちなので私生活がかなり変わってるというが、ハーディ・クリューガーもかなり変わった私生活だったようだ。でも、三船敏郎もお妾さんがいたというから、昔の男優はどこでもかなり無茶な私生活を送っていたんだな。(苦笑)