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追悼・皇帝ベッケンバウアー氏

皇帝」ベッケンバウアーさん死去、78歳…選手でも監督でもワールドカップ優勝 : 読売新聞

 

ドイツサッカー界の「皇帝」ベッケンバウアーが亡くなったので、追悼記事を書きます。僕は西ドイツ時代からドイツサッカーのファンなので、彼の逝去は1時代の終わりという感じがするけど、90年代からバイエルンミュンヘンとドイツサッカー界を支配していた彼には敵も多かった。

 

 

「皇帝」というあだ名で呼ばれて西ドイツと統一ドイツサッカーに君臨してきたベッケンバウアー氏が亡くなった。心からお悔やみを申し上げます。

 

ベッケンバウアーの現役時代と西ドイツ代表監督時代の偉大なる功績については、こちらのウィキペディアに書いてある。

 

ja.wikipedia.org

僕はドイツサッカーの大ファンだから、ベッケンバウアー氏が亡くなって僕がすごく悲しんでいると思っているブログの読者さんも多いかもしれないけど、実は言うと僕はベッケンバウアーはあまり好きではなかった。ベッケンバウアーが1990年までに西ドイツ代表のサッカー選手として、そして、西ドイツ代表監督として、選手と監督の両方でW杯王者になったという偉大さは純粋に讃えようと思う。

 

 

ベッケンバウアーはバイエルン会長として、ブンデスリーガ内でバイエルンのライバルチームが強くなるとそのチームの監督、主力選手を引き抜くという方法で常にバイエルンを強化して、ライバルチームを弱体化させた。もちろん、こういう移籍の全てがベッケンバウアー個人が決めたわけではないが、会長であるからそう思われても仕方がなかった。

 

 

しかし、問題はその後の彼のやったことである。1994年にバイエルンミュンヘンの会長に就任して、さらに、1998年にドイツサッカー連盟副会長に就任をすると、まさしく、バイエルンミュンヘンもサッカードイツ代表も両方共に彼のチームのようになた。1997年にボルシア・ドルトムントがヨーロッパ王者になるとドルトムントの監督だったヒッツフェルト監督をバイエルンに引き抜き、2002年にバイヤー・レバークーゼンがチャンピオンズリーグで準優勝をすると、レバークーゼンの主要選手3人をバイエルンに引き抜いてバイエルンを強化した。このように、ブンデスリーガのライバルチームから選手、監督を引き抜くという方法でバイエルン会長のベッケンバウアーはバイエルンを強化することに成功した。もちろん、この強化というのがベッケンバウアーの独断で行われたというわけではないが、ベッケンバウアーが会長であった以上は、彼の独断で行われたように思われても仕方がなかった。

 

そのため、バイエルンに主力選手を引き抜かれた中小クラブのサポーターたちは、絶対にベッケンバウアーを許さなかったので、バイエルン会長になった後は彼には敵がすごく多かった。だから、ドイツではベッケンバウアーのモノマネをする芸人までいて、ベッケンバウアーのことをコントでちょっとバカにしては笑いをとったりしていた。(笑)

 

また、ドイツサッカー協会に対する影響力も絶大で、2006年のドイツサッカーW杯組織委員長を務めるかたわらでドイツ代表監督人事にも積極的に介入をした。2004年にドイツ代表がヨーロッパ選手権(ユーロ)でグループリーグで敗退した一方で、ドイツ人監督にコーチというドイツ人スタッフを揃えたギリシアは見事にユーロで優勝をした。

 

当然、ユーロで敗退したドイツ代表は2年後の地元開催のW杯に向けて、ギリシア代表スタッフのドイツ人たちを呼び戻すのだろうと思われていたが、ベッケンバウアーがギリシア代表監督のオットー・レーハーゲルとあまり仲が良くないという理由から、レーハーゲルのドイツ代表監督就任はなくなり、代わりにまだどこの代表チームの監督もしたことがない、40歳のクリンスマンをドイツ代表監督に大抜擢をした。これは、クリンスマンはベッケンバウアーが西ドイツ代表監督時代に西ドイツ代表でプレイしていて、さらに、ベッケンバウアーがバイエルン会長時代にクリンスマンがバイエルンでプレイしていたから、ベッケンバウアーと仲が良い人物を選んだと、当時は報道されていた。それで、2006年ドイツW杯でのドイツ代表の結果は3位であり、まあまあ成功したといえる。

 

 

プライベートも日本人から見るとかなり波乱に満ちていて、3人の女性と結婚をしていて17歳と60歳の時に子供を作っていて合計で5人の子供がいる。日本人の妊活から考えるとあり得ない話だが、結婚と妊活に誰も干渉しないヨーロッパではあり得る話だという。

 

 

それで、2006年ドイツサッカーW杯以後はあまり表に出ることはなくて、事実上の引退生活に入った。一方で私生活では3度結婚をして子供が5人いた。そして、なんと1人目の子供はベッケンバウアーが17歳の時に生まれていて、最後の子供は60歳の時に生まれている。ベッケンバウアーのこのプライベート騒動について書き始めると長くなるから割愛するが、ドイツの有名な男優だったハーディ・クリューガーも17歳の時から40歳の時までに3人の子供を作っており、子供の恋愛、妊活には一切親が干渉しないヨーロッパでは、ちょっと不自然な間隔で子供が生まれることはよくあるらしい。日本人にはちょっと理解できないメンタルではあるけれど。