2008年にブッシュ米大統領がアウシュヴィッツを訪れた時に「収容所を爆撃して、ホロコーストを妨害する作戦を行うべきだった」と述べた。
第二次大戦の旧連合国は「我々がユダヤ人をナチスドイツの手から解放した」という映画、ドキュメント番組を作っているが、本当に連合国はユダヤ人を助けようと全力の努力をしたのだろうか?この点についてあるドキュメント番組(恐らくアメリカのテレビ局が制作)を見て、大いに疑問に思ったことがある。
2008年に、当時アメリカの大統領だったブッシュがアウシュヴィッツ収容所を訪れた時に、
「アウシュヴィッツ収容所の焼却炉、親衛隊の監視兵の兵舎、アウシュヴィッツに通じる鉄道の線路、駅などを爆撃して、ユダヤ人虐殺(ホロコースト)の妨害をするべきだった。連合国はホロコーストを止めるか遅らせる作戦を何か実行するべきだった」
と公的に述べた。このように公的に述べたアメリカ大統領はブッシュが初めてだった。
アメリカのTV局制作のドキュメント番組があり、その番組では「連合軍空軍はアウシュヴィッツ収容所のガス室、遺体焼却炉をピンポイントで爆撃する能力があったが、それを実行しなかった」と説明していた。
僕はこのブッシュ元大統領のコメントを聞く前の2005年頃に、「誰も助けに来なかった」という(アメリカ?)のTV局の作ったドキュメントを見たことがある。内容はアウシュヴィッツ収容所をピンポイント爆撃できる能力が1944年初め頃の連合国空軍にはあったのに、なぜかこの作戦が実行に移させることはなかったという内容だった。このドキュメントを見始めた時は僕も恐らく他の視聴者と同じように、
「アウシュヴィッツ収容所を爆撃すれば、収容されているユダヤ人の囚人も死んでしまうじゃないか。そんなバカげた空襲はやるわけがないだろう。何を言っているんだ?」
という気持ちで見ていた。
だが、ドキュメントが進んでいくとその気持ちは吹き飛んだ。なぜなら、1944年初期には、アメリカ、イギリス軍空軍の爆撃機隊はルーマニアのプロエシュチ油田、他のドイツ軍基地、工場を周りの民家を破壊することなく、ほぼピンポイントでの爆撃に成功していたからだ。一つの例としてドキュメントでは、ドイツ国内のブーヘンヴァルト強制収容所のすぐ隣にあった工場類を、隣の収容所に一発の爆弾も落とすことなく、ほぼピンポイント爆撃で工場だけを破壊できた例を挙げた。また、イタリア北部にあったユダヤ人強制収容所の隣にあった軍需工場を破壊した時も、
「低空から侵入したアメリカ軍の中距離爆撃機は、ピンポイントで軍需工場だけを爆撃して破壊することに成功して、ドイツ空軍の迎撃を受けて撃墜された連合機は5%未満でした。ほぼ完全に成功したミッションでした」
とリポートしていた。
そして、アウシュヴィッツ強制収容所への爆撃については、ドキュメントの中ではこのように述べていた。
「1944年初頭に連合軍情報部は、ナチスドイツがアウシュヴィッツなどの絶滅、強制収容所で、どれほど残酷なことを行っているかはレジスタンスなどの情報からすでに把握しており、連合軍空軍の幹部はアウシュヴィッツなどの絶滅収容所のユダヤ人収容棟に爆弾を落とすことなく、ほぼピンポイントで収容所の焼却炉、親衛隊の監視塔などを爆撃できる技術と自信がありました。ヨーロッパほぼ全土の制空権を連合軍が握っていたので、ドイツ空軍の迎撃はそれほど大した障害ではありませんでした」。
アウシュヴィッツ収容所の爆撃が無理でも、収容所付近の駅と鉄道を破壊すればホロコーストを遅らせられたが、連合軍はそれらの作戦も実行しなかった。
ドキュメント番組の説明はさらに続いた。
「また、強制収容所爆撃が無理としても、アウシュヴィッツの鉄道駅、アウシュヴィッツへ通じる線路、鉄道橋を爆破するだけでも、ホロコーストを邪魔するか遅らせることは出来たハズです。アメリカとイギリス空軍の幹部たちは、『アウシュヴィッツ、マウントハウゼン、トレブリンカなどの絶滅収容所の焼却炉、監視塔などを爆撃させてほしい』と連合軍首脳たちに直訴していました。イギリスのチャーチル首相はこの作戦に乗り気でしたが、なぜか、ルーズベルト、アイゼンハワーなどのアメリカ軍幹部は乗り気ではありませんでした。そのためホロコーストは、結局、アメリカ、イギリス、ソ連軍という連合軍の地上軍が収容所を解放するまで続いてしまい、多くのユダヤ人を始めとする尊い人命が失われました」
最後はアウシュヴィッツの収容所を生き延びた年輩のユダヤ人女性がドキュメントに出てきて、次のように言っていた。
「私は当時、20才の娘でしたが、アウシュヴィッツの付近を連合軍の爆撃機が爆撃する度に年下の子供たちに、『よく聞きなさい、あの爆撃機が数発ここ(アウシュヴィッツ)に爆弾を落とせば忌々しいナチスの監視兵どもは死んで、我々はすぐに自由になれるのよ!もうすぐで自由になれるのよ!』と言って子供たちを励ましました。でも、遂にソ連軍によって1945年1月末にアウシュヴィッツが解放されるまで、アウシュヴィッツには一発の爆弾も落ちませんでした」
というふうに、当時のアウシュヴィッツ収容所内部での様子を語っていた。そして、彼女は最後に手を広げて肩をすくめて、
「誰も助けに来てくれませんでした」
と言った。
このドキュメントを見終わった後に、初めに抱いていた「ユダヤ人の収容者も死んでしまう」という疑惑は完全に吹っ飛んだ。そして、
「なんで、連合軍の空軍はユダヤ人を助ける作戦を実行しなかったのだ?なんで、絶滅収容所に通じる鉄道、道路などを破壊して、ホロコーストを妨害するための作戦を何も実行しなかったのだ?連合軍はナチスドイツのホロコーストを知っていながらそれを妨害する作戦を実行しなかったから、ある意味、共犯者ではないのか?ユダヤ人は、連合国からも嫌われていたのか」
と本当に疑問に思った。
「米国とホロコースト:アウシュビッツ収容所が爆撃されなかった理由れなかった理由」という説明のサイト。
ヨーロッパ各地にホロコーストの追悼記念碑が建っているが、連合軍がホロコーストを妨害する作戦を実施していれば犠牲者はもっと少なかったかもしれない。
写真上はポーランドのワルシャワゲットー跡地に建つ記念碑。ワルシャワゲットーがあった土地はポーランドが共産主義国時代に住宅地などに整備されたが、記念碑と博物館が建っている。写真下はドイツのベルリン中心部に建つホロコースト記念碑。東京でいうと霞が関のような街の中心部に広大な記念碑が建っている。しかし、このようなホロコースト記念碑がヨーロッパの各地に建っている一方で、ナチスドイツと戦った連合国側もホロコーストを知っていながら積極的にユダヤ人を救出する作戦を行わなかった。
最後に僕のブログを訪れてくれてありがとうございます。子供の頃からティガー戦車、メッサーシュミット戦闘機などの模型を作っているドイツ軍マニアなので、ナチスドイツ軍に関するブログ記事を他にも書いてます。さらに、ドイツで10試合ほどブンデスリーガの試合を観戦していて、ドイツサッカーが好きな方に対して色々と興味深いブログ記事を書いているので、できれば他の記事も読んでみてください。ブログ記事の感想のコメントを書いてもらうと嬉しいです。ドイツ語の勉強方法、ホームステイした時の体験談も書いてます。