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さんまが好きなサッカーチームはボルシア・メンヒェングラートバッハ

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明石家さんまは、「三菱ダイヤモンドサッカー」しかヨーロッパサッカーを放送していなかった1970年代からヨーロッパサッカーを見ている。当時、奥寺がブンデスリーガでプレイしていたので、ブンデスリーガを放送することが多く、ボルシア・メンヒェングラートバッハ(BMG)のファンだったさんまはこの番組を見ていた。

 

 

みなさんは、いつからヨーロッパのサッカーを見始めただろうか?だいたいの日本人は中田英寿がセリエAのペルージャに移籍した頃か、その前でも三浦知良がセリエAのジェノバに移籍した頃だろう。僕もヨーロッパサッカーを見るようになったのは、日本でJリーグが始まった1993年からである。それ以前はサッカーのワールドカップがある時期はヨーロッパサッカーに注目したが、それ以外の時は全くヨーロッパのサッカーは見なかった。

 

でも、実はいうと1977年に奥寺がドイツの1FCケルンで日本人初のプロサッカー選手になった頃に、三菱ダイヤモンドサッカーというテレビ東京の番組で、週に1度ヨーロッパのサッカーを放送していた時があった。奥寺がケルンの選手になった後は、当然ながらドイツのブンデスリーガの放送が多くなった。この時からヨーロッパサッカーを見ていた人は少ないが、その内の1人が明石家さんまである。写真上は1FCケルンでプロデビューした頃の奥寺。



それで、ボルシア・ドルトムントが1997年にヨーロッパ王者になってトヨタカップで来日した時に、奥寺は解説者でさんまはゲストでトヨタカップの放送にコメントしていて、こういう会話をしたことがあった。
さんま「僕が若かった頃はボルシアというとメンヒェングラートバッハだったんですよ。僕は小さなDFのベルティ・フォクツとネッツアーが大好きで、グラートバッハを応援していたんですよ。それで、奥寺さんのいたケルンと凄い優勝争いをしてましたけど、今ではボルシアというとドルトムントに変わりましたね」
奥寺「そうですね、ボルシア・メンヒェングラートバッハ(BMG)がドルトムントに12-0で大勝した次の日の試合で、僕のゴールもあってケルンが辛くも得失点差でBMGを上回って優勝したんですよ」
「そうでした、奥寺さんには悪いけどBMGを応援してました。でも、あの頃、奥寺さんの活躍を言っても聞いてくれる日本人はあまりいなかった。ブンデスリーガの話をしても、聞いてくれる日本人はあまりいなかった。サッカーはあまり人気がなかったから。1985年にユベントスのプラチニが『笑っていいとも!』に来た時も、会場のお客さんは知らなかったですから」(笑)

最近は日本でも海外サッカーファンが増えてるが、上に書いた会話を見ればわかるように、さんまは「三菱ダイヤモンドサッカー」しかヨーロッパのサッカーを放送していなかった時代から、ヨーロッパサッカーをずーっと見ており、さんまはBMGのファンだからバイエルンとBMGが優勝争いをしていた時代から海外サッカーを見ている。ブンデスリーガというとバイエルン1強というイメージがあるけど、長い歴史を見れば必ずしもそうではないことがわかると思う。1978年はバイエルンミュンヘンは、なんと12位だった。

 

リトバルスキーが1993年にJリーグが始まった時にジェフ市原に来たのは奥寺が頼んだからであり、リトバルスキーと奥寺とさんまはすぐに友達になった。

 

 

それで、Jリーグ開幕直前にはジェフ市原(今は千葉)の重役になった奥寺の頼みで、ケルン時代からの友達だったリトバルスキーがパートナーのオルデネヴィッツを連れて市原にやって来た。リティもさんまと同じようにバツ1だったので「さんまさん、私も離婚したんだよ」と言って、さんま、奥寺、リティは親友になった。リティは日本人女性と再婚をしたので日本語が喋れるようになり、今でも友情は続いている。

下の動画はブンデスリーガの1960年以来の最高のヘディングゴール。なんと1位はケルン時代の奥寺が優勝を決めた試合でのヘディングゴール。この奥寺のヘディングゴールでケルンは2位のメンヒェングラドバッハを得失点差で上回って、1977~78年シーズンの優勝が決まった。

翌年のシーズンには奥寺は今のチャンピオンズリーグの前身のチャンピオンズカップにも出て準決勝でゴールを決めた。つまり、今の日本人が奥寺を上回るにはCLの準決勝以上に出てゴールを決めないといけない。

 

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日本人はブンデスリーガのチームというとバイエルンかドルトムントのファンが多いが、今50歳以上のドイツ人はBMGの黄金時代に少年時代だった人が多いので、BMGのファンがけっこう多い。

 

 

それ以外にも、僕がドイツで会ったサッカーファンの中にはBMGのサポーターという人がかなりいた。2006年7月にドイツのムンスター戦車博物館で、4号戦車の中を見せてもらったことは既に過去の日記に書いたが、その時に4号戦車の掃除をしていたドイツ連邦軍の予備役兵隊の男はBMGのファンだったし、その翌年にポーランドからドイツまで寝台特急に乗った時に、同じコンパートメントに乗っていたギリシア系ドイツ人もBMGのファンだった。

 

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それで、やはり、BMGのファンというのは1970年代から80年代のBMGの黄金時代を知っている世代が多い。今ならだいたい年齢が50歳以上のドイツ人である。ポーランドからドイツまで寝台特急で一緒になったギリシア系ドイツ人は、ハノーファーに住んでいたのだが、彼は地元のハノーファー96のことを、「田舎臭いチームで、BMGのようにブンデスリーガで優勝をした黄金期が一度もないから興味がない」と言って、切り捨てていた。写真上はBMGのホームスタジアムであるボルシアパーク。2016年にドイツを旅行した時に僕が撮影をした。

 

多くの日本人は最近20年くらいしかヨーロッパサッカーを見てないようだが、昔のサッカーについて調べてみるとけっこう興味深い事実がわかることが多い。