- サッカー大国ドイツに勝った日本は、世界中のどの強豪国と対戦しても勝てると断言できる!!
- 当然のことだが、日本サッカーがここまで強くなったのは外国人選手とスタッフのアドバイスと助けもあった。特に「プロサッカーリーグを作るように」と言ったのは、東京五輪で日本代表の監督だったドイツ人のクラマー氏である。
- 今までに多くのドイツ人がJリーグで選手と監督として活躍して、一方で多くの日本人がドイツのブンデスリーガで活躍している。日本とドイツのサッカーは深い絆で結ばれてる。
サッカー大国ドイツに勝った日本は、世界中のどの強豪国と対戦しても勝てると断言できる!!
Geschafft! Geschafft! Geschafft! Geschafftr! Geschafft! やった!やった!やった!やった!やった! 日本代表が本気モードのワールドカップの試合で、優勝4回のドイツに勝った!!これでもう日本代表がサッカーの試合で勝てない国は、世界中のどこにもなくなった!!スペイン、ブラジル、イングランド、フランス、アルゼンチン、どこと対戦しても日本は勝てると断言できる!!
当然のことだが、日本サッカーがここまで強くなったのは外国人選手とスタッフのアドバイスと助けもあった。特に「プロサッカーリーグを作るように」と言ったのは、東京五輪で日本代表の監督だったドイツ人のクラマー氏である。
もちろん、日本人選手とサッカー関係者はよくがんばったのだが、日本サッカーがここまで強くなったのは外国人選手とスタッフの助けもあったことを忘れてはならない。そもそも、「日本サッカー強化のためにプロリーグを必ず作ること。芝生の練習場を1万か所日本国内に作ること」と言ったのは、1964年の東京五輪の時に日本代表の監督だったドイツ人のデットマール・クラマー氏である。
そして、日本人プロサッカー選手第1号を誕生させたのもドイツ人である。1977年の古河電工の夏合宿でブンデスリーガ所属の1FCケルンの練習に参加していた奥寺康彦に、「ぜひ、ケルンでプレイしてほしい」と交渉したのは、当時ケルンの監督だったヘーネス・ヴァイスヴァイラーである。奥寺は当時世界最高レベルといわれたブンデスリーガで通用する自信がなく、ケルンのスタッフも「日本人を取るよりも若手を育成した方がいいのでは?」と言って反対した人もいたが、ヴァイルヴァイラーは奥寺の才能を見抜いていた。そして、奥寺はチームに合流するとケルンのブンデスリーガ優勝に貢献した。
こういう「ドイツサッカーは日本サッカーの父」ということについては、僕は過去に「はてなブログ」の記事に書いたことがある。
deutschland-lab.hatenablog.com
今までに多くのドイツ人がJリーグで選手と監督として活躍して、一方で多くの日本人がドイツのブンデスリーガで活躍している。日本とドイツのサッカーは深い絆で結ばれてる。
それ以外にも元ドイツ代表のリトバルスキー、ブッフヴァルト、ウーヴェ・バイン、オルデネヴィッツなどがJリーグでプレイをして、日本人にサッカーを教えた。監督でもオジェック、エンゲルス、フィンクなどがJリーグのチームで監督を務めている。それに、今は日本人選手が一番多いヨーロッパのトップリーグはドイツのブンデスリーガである。これは、ブンデスリーガは借金禁止で黒字経営が義務付けられているために、移籍金が高い外国人の選手を大金を払って買うことができないことが理由である。だから、ブンデスリーガのバイエルンのような金持ちチームは別として、あまり資金がないチームは比較的に移籍金の安いJリーグで活躍している日本人選手を買って、それでその選手をブンデスで育成して、イングランドのプレミアリーグ、スペインのリーガエスパニョーラなどに売るという経営方法をしているのである。
とにかく、昨日(11月23日)は息子(日本)が父(ドイツ)を越えた日だったが、本当に嬉しくて感動した。