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まとめ(6)ドイツのサッカーについて

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今までにこのブログでドイツサッカーについて書いた記事を紹介する。「ドイツでブンデスリーガを観戦するためのポイント」、「『ベルンの奇跡』から始まった戦後ドイツの復興」、「ドイツサッカーは日本サッカーの父」を紹介する。

 

 

 昨日の夜(日本時間では今日の早朝)にサッカーヨーロッパ選手権(ユーロ)の決勝がロンドンであって、イタリアがイングランドを破って2回目の優勝を果たした。イングランドのホームゲームだったのに負けてしまったので、ロンドン市民は悲しんでるだろう。それで、僕もこの決勝戦を見ていたので、今日は今までにこのブログで書いたサッカーに関する記事をまとめてみようと思う。当然、どの記事もドイツサッカーに関する記事である。

 

 

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この記事は、日本在住の日本人がどうしたらドイツのブンデスリーガ観戦用のチケットを手に入れることができるかについて書いた記事である。ブンデスリーガのチケットは、インターネット販売とチームのファンショップで主に売られている。ファンショップというのは、例えばバイエルンミュンヘンだったらミュンヘン市内とドイツ国内にあって、そこでチケットが売られているので、日本国内には存在しない。もちろん、ドイツ在住の知り合いがいればその人に頼むことができる。

 

だから、日本国内でブンデスリーガ観戦のチケットを買うにはネットが唯一の手段と言えるが、ネットはドイツ語と英語の表記しかなくて、バイエルン対ドルトムントのような人気カードのティケットは1週間前には売り切れてしまうので、個人で観戦チケットを購入するのはかなり難しい。だから、一番確実なのはブンデスリーガなどの海外サッカーゲームのチケット購入を行っている業者に手数料を払って、購入してもらう方法である。

 

だが、一方で日本人の長谷部、鎌田が所属するフランクフルトの試合は、バイエルンなどの人気チーム以外との対戦だったら当日券でも空きがあるので現地で買うことができる。僕も実際に高原がいた頃のハンブルクのホームでの開幕戦のチケットを、試合開催の当日に買うことができた。

 

 

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この記事では、戦後のドイツ史とドイツサッカーは常に一緒にあったことを書いている。ドイツ人にとって、ン戦後のドイツ史では忘れてはいけない出来事が3つある。それは、1961年にベルリンの壁ができて東西ドイツ分裂が決定的になった時と、1990年にドイツが再統一された時、そして、1954年にスイスで行われたサッカーワールドカップで、西ドイツ代表が初めて優勝して世界王者になった時である。この偉業はワールドカップの決勝戦が行われたスイスの都市にちなんで、「ベルンの奇跡」と呼ばれている。

 

1954年に行われたワールドカップスイス大会は、第二次大戦で敗戦国となった西ドイツが初めて参加を許された大会で、監督のゼップ・ヘルベルガーも「非ナチ化」の審査を経てから西ドイツ監督に就任しており、まだナチスドイツの悪い面影と影響が残っており、「西ドイツは参加できただけで十分だ」などとドイツ国民も思っていた。

 

ところが、大会前の予想を裏切って勝ち上がり、決勝では「マジャールマジック」と呼ばれたフィレンツェ・プスカシュが率いるハンガリーを3-2で破って初優勝を果たした。初めてサッカーワールドカップの王者になったことはドイツ人に勇気を与えて、「戦後の西ドイツの復興は『ベルンの奇跡』から始まった」とドイツ人の間では言われている。この「ベルンの奇跡」は2003年にドイツで映画化されており、僕が訪れたどこの家にも必ずこの映画のDVDがあった。「私と私の家族はあまりはサッカーには興味がない」という家庭にも、この映画のDVDはあった。

 

 

日本にプロサッカーリーグを作るように提言したのは、前回の東京五輪でサッカー日本代表の監督だったドイツ人のクラマーである。クラマーの提言から29年後の1993年に日本に「Jリーグ」が誕生した。

 

 

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この記事は、いかに日本のJFA(日本サッカー協会)とドイツサッカーが深い関係にあるかについて書いた。1964年に東京オリンピックが開かれると決まった時に、JFAは日本代表の監督としてドイツ人のクラマー氏を西ドイツから呼んだ。クラマーの指導のおかげで日本は強くなって、東京五輪ではアルゼンチンを破って準々決勝まで進むことができた。そして、次のメキシコ五輪では3位決定戦で開催国メキシコを破って3位に入賞して銅メダルを獲得して、ストライカーの釜本は得点王に輝いたのである。

 

クラマーは東京五輪が終わった後に日本を去ったが、その時に「日本サッカーを強化するために、必ずプロリーグを作ること、日本国内に1万の芝生のサッカー場を作ること」などの提言を言い残した。

 

また、クラマーによる指導だけではなく、日本初のプロサッカー選手が誕生したのも、西ドイツのブンデスリーガである。1977年に古河電工の選手として1FCケルンの練習に参加した奥寺康彦は、当時のケルン監督のヴァイスヴァイラーからその才能を認められて、ケルンとプロ契約するように説得されて、日本人初めてのプロサッカー選手になった。そのシーズンに奥寺は大活躍をして、ケルンの優勝に貢献した。その後、奥寺はケルン、ヘルタ・ベルリン、ヴェルダー・ブレーメンに所属して、1986年までブンデスリーガでプレイした。今でも70年代と80年代にブンデスリーガで活躍した奥寺を覚えてるドイツ人は、けっこういるらしい。

 

 

以上、このブログ記事では過去にドイツサッカーについてこのブログに書いた記事を紹介しました。サッカーが好きな方にとってはとても興味深い記事になっているので、読んでみてください。