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生まれ故郷の松山に帰った時のこと(2)

 

 

 

 

僕は実は言うと、今までに生まれ故郷の愛媛県松山市には3回行ったことがある。僕の今までのブログに何度も書いたけど、僕の家族は父が仙台にある東北大学法学部を卒業した後に全国に転勤がある大手銀行に入ったので、両親共に仙台市のある宮城県出身なのだが、僕が小学校を卒業するまでは全国を転勤したのだった。それで僕が中学生になった時に父が故郷の仙台にマイホームを建てて、家族は落ち着いて住むことができた。でも、父はその後も単身赴任を続けて家族とは離れて住んだ。

 

 

小学校4年生になる前の春休みに、僕の家族と隣に住むKさんの家族で広島から松山に水中翼船で行った。当時は父が銀行の広島支店勤務で、僕が生まれた松山に日帰りで旅行できたから行ったのだった。

 

 

それで、小学校3年生が終わって4年生になる前の春休みの時に、当時は広島に住んでいたのだが、家族で僕と兄が生まれた松山に行ってみようということになって広島の宇品港から松山に行くことになった。これは、当然、広島から松山までは日帰りで行けたからである。僕と兄が生まれたというのは、僕と兄は両親が松山に住んでいた時に生まれたのだが、末っ子の妹は松山の次に住んだ名古屋に住んでいた時に生まれたのだった。父が全国に転勤がある転勤族だと、このように兄妹でも生まれた街が違うということはよくある。

 

広島の宇品港から松山観光港に水中翼船(今はスーパージェット船という)で行ったのは、春休み終盤の4月のよく晴れた日だった。たしか、選抜高校野球の決勝戦をしていた日だった。当時、社宅アパートの隣に住んでいたKさん一家と一緒に行ったのだが、両家族ともに父親は仕事があるということで来なかった。昭和時代の頃は、家族旅行に行っても父親は仕事で来れないことが多かった。

 

写真上が2011年11月に松山に行った時に撮影した「スーパージェット船」である。僕が小学4年生だった当時は水中翼船と呼ばれていた。この船は広島の宇品港と松山観光港を1時間半ほどで結ぶ高速船だが、かなり揺れがきついので船酔いになる人が多い。広島と松山を結ぶフェリー船もあるが、こちらは船酔いはしないがゆっくり航行するので3時間くらい時間がかかる。

 

 

水中翼船がすごく揺れたので僕は30分くらいで船酔いをして、松山港に着く頃にはのどにまで嘔吐物が上がってきていた。でも、帰ることもできないので、とりあえずバスに乗って松山市内観光に向かった。

 

 

僕の家族とKさん家族は水中翼船で行ったのだが、まだ小学校4年生になったばかりの僕は身長が小さくて船の窓から景色がよく見えなかった。それとも、ちょっと覚えてないが船の中が混んでいたので窓際に座れなかったのかもしれない。それで、他の子供たちは窓際に座るとか居眠りするとかして船の中で過ごしていたけど、僕は船が出航した30分くらいですぐに船酔い状態になった。これは、やはり船の窓から外の景色がほとんど見えなかったので、段々と気持ち悪くなったのだと思う。それに、中学生の頃に気付いたのだが、僕は水泳が苦手なので荒れてる海で船に乗っていると船酔いしやすい体質なのだった。だから、松山観光港に着く頃にはすでに喉にまで嘔吐物が上がってきてる状態だった。

 

 

松山市内を路線バスで見て回って、終点の道後温泉前に着いた時に遂にバスの中で嘔吐してしまった。母は謝罪をして運転手さんにお金を渡そうとしたが、運転手さんは「バスの中でお客さんが嘔吐することはよくありますから大丈夫です」と言って、お金を受け取らなかった。

 

 

 

母には「気分が悪い」と言ったけど、既に松山に着いてしまったので今から広島に帰るわけにもいかないから、我慢して松山市内を観光することにした。松山観光港からはバスで家族がかつて住んでいた道後地区まで移動した。途中で松山城とか松山の繁華街とか見たけど、喉まで嘔吐物が上がってきていて気持ちが悪い僕にとっては何かどうでもよかった。それで、バスの終点の道後温泉のバス停に着いた時に安心して気持ちが緩んだせいか、一気に全部バスの床に嘔吐してしまった。母は伊予交通バスの運転手さんに謝罪をして洗濯代金として数万円を渡そうとしたが、運転手さんは「バスの中で子供さんが嘔吐するのはよくあることですから、ちゃんと対応できますので気にしなくていいです」と言って、お金は受け取らなかった。上の写真が僕が嘔吐してしまった道後温泉近くにある伊予電鉄の道後温泉駅である。ここにバス停もあった。写真は夏目漱石の小説「坊ちゃん」に出てくる「坊ちゃん機関車」の展示だが、僕たちが松山に旅行した昭和時代にもこの展示があったかは覚えてない。

 

 

僕は嘔吐した後にみんなと松山市内を観光したが、広島に帰る船でまた船酔いするのかだけが心配だった。それに気分もすごく悪かったので、自分の生まれ故郷の松山観光は嫌な思い出になってしまった。

 

 


上の写真は夜の道後温泉道後公園内に建つ湯月城を再現した館である。昭和時代は道後温泉にば動物園があり、ここでは象などを見ることができた。僕が生まれた時も広島から松山に旅行をした時も動物園があった。道後温泉と動物園を見ながら、母は僕と兄に「あなたたちがまだ赤ん坊だった時は、この辺をよくお散歩してた」と教えてくれたが、既に嘔吐をした僕はその後も気分が悪くてちょっと熱もあったので、ほとんど頭に入ってこなかった。僕が気になったのは「帰りは水中翼船で帰りたくない。ゆっくりとフェリーで帰りたい。でも、フェリーでも船酔いするかもしれない」ということで、「気分が悪いから早く広島に帰るフェリーに乗りたい」などと言っていたと記憶してる。つまり、広島から松山に行く時に水中翼船の中で船酔いしてしまったので、なんかその後のことはどうでもよくなってしまった。(苦笑)

 

 

帰りは船酔いのことを考慮して、ゆっくりと航行するフェリーで3時間ほどかけて松山から広島に帰った。でも、他の人たちも疲れていたからゆっくりとフェリーで帰ったのは正解だったと思う。

 

 

それで、松山から広島に帰る時は船酔いをしやすい僕のことを考えて3時間ほどかけてフェリーで帰った。ゆっくりと航行するフェリーでは船酔いをしなかった。僕とKさんの家族も「やはり、帰りはみんな疲れていたからフェリーでゆっくりと帰るのがいいな。帰りも水中翼船だと、みんな船酔いしたかもしれない」と言っていたと記憶してる。問題なのは広島に帰れたのが午後7時頃になってしまったことで、僕の父もKさんの父もすごく心配していた。写真上は音戸の瀬戸で広島湾に浮かぶ江田島と呉の間にあり、広島と松山間を航行するフェリーは全部がここを通る。(苦笑)