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生まれ故郷の松山に帰った時のこと

 

 

 

相変わらずに参議院選挙、ウクライナ戦争などで世間は騒がしいですが、今日のブログ記事は僕が生まれ故郷である愛媛県松山市に帰った時のことについて書こうと思います。

 

2011年11月に生まれ故郷の松山市に帰ったけど、僕の父が大手銀行員で転勤族だったから父が銀行の松山支店勤務していて生まれただけで、松山には親戚も知り合いもいない。

 

 

2011年11月初めに僕の生まれた街である愛媛県松山市に帰った。生まれ故郷といっても僕の両親は2人共宮城県出身で、父が東北大学法学部を卒業して農林中央金庫という政府系銀行に入った時に、「全国どこでも勤務します。特に東北、東京しか知らないので、西日本で勤務してみたいです」などと言ったので、父の希望通りに西日本である愛媛県松山市で勤務することになったので、親戚も知り合いも誰もいないけど、父の仕事の都合でたまたま松山市で生まれただけだった。

 

 

父が勤務していた銀行の松山支店に行って家族が住んでいた社宅アパートがどこにあるのか聞いたけど、「社宅アパートは合理化のせいでなくなりました」という答えだった。だから、道後温泉南部の社宅アパートがかつて建っていた地区を歩き回った。

 

 

上の写真は松山市にある道後温泉であり、僕の家族は道後温泉の近くに住んでいたという。それで、松山に着いたらまず農林中央金庫の松山支店に行って、僕が住んでいた銀行の社宅はどこにあったのかを聞いてみようと思った。銀行の松山支店を探したが、合理化で松山支店はなくなっていて、松山推進室という小さな事務所があるだけだった。それで、そこに行って職員の方々に社宅がどこにあるか聞いてみたら、「10年以上前に松山支店の社宅アパートはなくなりました。今は職員はみんな住宅手当てをもらって、近くのアパートに住んでます」とのことだった。とても残念だった。それでも、だいたいどの辺に社宅アパートがあったのかを教えてもらった。

 

 

上の写真は道後温泉の休憩室だが、道後温泉でお風呂に入ってゆっくりとくつろいでから、僕が生まれた時に住んでいた社宅アパートがあった場所を探してみた。道後温泉から南にある道後公園の横を通って、さらにその南に広がる住宅街に銀行の社宅アパートはあったらしい。母にも携帯で聞いてみたがやはりよく覚えてないということだった。だから、道後公園南部の住宅街を歩き回って、「だいたい、この辺に住んでいたんだな」と思って納得することにした。

 

 

松山市内には城跡が2つあり、松山城以外にも今は道後公園になってる所にはかつては湯築城があった。湯築城の職員のおじさんに、「僕は仙台在住ですが、道後公園の近くで生まれて赤ん坊の時はここでよく遊んでいた」と言ったら、おじさんは驚いていた。

 

 

上の写真は、道後公園内にあるかつての湯築城内の様子を再現した展示。松山というと松山城を思い浮かぶ人が多いだろうけど、実は言うと松山には城跡が2つあり、今中心部に建っている松山城関ヶ原合戦後に加藤嘉明が建てたものであり、それまでは河野氏が今は道後公園になっている所に湯築城というお城を建てて、松山を統治していた。

 

道後公園内の旧湯築城の展示を見ていると係員のおじさんが近づいてきて、色々と説明をしてくれた。それで僕が、両親共に東北の宮城県出身だけど松山で生まれたので、今は生まれ故郷の松山に里帰りしていること、道後公園の近くに住んでいたから赤ん坊の頃はよくここに遊びにきたこと、昭和43年9月生まれだから、その翌年の夏の全国高校野球勝戦松山商業対三沢の延長18回の試合があって松山商業が優勝した時は、松山市民はみんな大喜びだったが、宮城県出身の両親だけは青森県の三沢が惜敗したのでガッカリしていたことなどを教えると、おじさんは何度もうなずいて「へえ~、そうなんですか。東北の方なのに松山生まれというのは本当に珍しいですね。でも、松山のような遠くで生まれると滅多に里帰りできないから、転勤族の方はかわいそうですね」などと言った。全くおじさんの言う通りで、転勤族の人は中には外国生まれという人もいるから、滅多に生まれ故郷には帰ることができない。その点では生まれも育ちも同じ場所という人に比べると損をしている。

 

 

松山市の観光の目玉は道後温泉松山城であるが、松山城に登るリフト乗り場の近くには「坂の上の雲ミュージアム」がある。このミュージアムには司馬遼太郎が書いた歴史小説の「坂の上の雲」を説明する展示があり、特に松山出身の秋山好古真之兄弟のものが多い。

 

 

上の写真は松山市のどこからも見える松山城の写真と、その下は「坂の上の雲ミュージアム」に展示されているNHKドラマ「坂の上の雲」のパネル。このドラマは10年ほど前の年末に数回に区切ってNHKで放送された。敬礼しているのが僕。


やはり、松山というと道後温泉松山城をイメージする人が多いだろう。当然ながら僕も子供の頃は両親に手を引かれて松山城に何度か来たことがあるのだろう。松山城は山城なので山の上にあるが、リフトか徒歩で山に登る。それで、山に登るリフトの近くには「坂の上の雲博物館」がある。「坂の上の雲」は司馬遼太郎が松山出身の秋山好古、真之兄弟を主人公として書いた歴史小説である。歴史小説坂の上の雲」はとても良い歴史小説ではあって日露戦争をよく描いているが、秋山兄弟をヒーローとして描いてる一方で、乃木大将と乃木第三軍を異常なほどに無能と描いてると批判されている。僕も「坂の上の雲」は好きで日露戦争の部分はよく読んだが、司馬遼太郎が乃木大将を無能と描いてることには納得できない。

 

生まれ故郷の松山観光のことについては、またブログに書こうと思う。