Deutschland-Lab

Deutschland-Lab

歴史や文化、スポーツなどドイツに関する情報まとめサイト

初詣の思い出

f:id:novaluewriter:20220104134151j:plain



f:id:novaluewriter:20220104134311j:plain

 

f:id:novaluewriter:20220104134349j:plain

 

f:id:novaluewriter:20220104134419j:plain

 

 

新年、明けましておめでとうございます。子供時代に初詣に行った神社を紹介します。父が銀行員で転勤が多かったので、全国各地の有名な神社にお参りしました。

 

 

僕のブログの読者の皆様と、ブログを訪れてくれた皆様、遅れましたが新年あけましておめでとうございます。今年も興味深いブログ記事を書いていこうと思いますので、宜しくお願いします。まず、新年初めのブログ記事では、僕の子供の頃の初詣の思い出について書こうと思います。

 

 

このブログでは、いきなり、神社の写真を4枚アップしたけど、この4つの神社は僕が幼稚園から小学校卒業までにお参りした全国の有名な神社。僕のブログ記事には既に何回も書いたけど、僕の両親は東北地方の宮城県出身なのだが、父が東北大学卒業で大手銀行に勤務していたので、僕が中学校に入学するまでは父の転勤に伴って家族は全国各地を引っ越して生活していた。だから、全国各地の神社にお参りすることになった。

 

 

名古屋の熱田神宮、東京の明治神宮、広島の厳島神社、神戸の湊川神社に子供時代に初詣でお参りした。

 

 

写真一番上は、僕が幼稚園の時にお参りした名古屋の熱田神宮。その下は、小学1年生の時にお参りした明治神宮。その下は、小学3年生の時にお参りした広島の厳島神社。その下は、小学6年生の時にお参りした神戸の湊川神社。僕は愛媛県の松山市で生まれて、その後、名古屋、東京、広島、西宮と引っ越して、中学校入学の時に両親が故郷である宮城県の仙台にマイホームを建てて永住することになったので、それまでは父の転勤に伴って全国を引っ越していた。だから、初詣は全国の有名な神社にお参りすることができた。転勤族の子供の生活は学校生活が不安定で勉強と友人関係が難しいなどのデメリットが多いが、数少ないメリットは全国各地の観光名所を訪れることができることである。ここに挙げた神社は名古屋、東京、広島、神戸の有名な神社だから、こういう有名な神社に小学校卒業までにお参りできたというのは、すごくラッキーだったといえるだろう。

 

 

一番よく覚えているのは明治神宮にお参りした時。この時、叔父さんと一緒に行ったのだが人混みの中で迷子になってしまい、電車にただ乗りをして一人で目黒の家まで帰ってきた。

 

 

これらの神社の中で一番よく思い出に残っているのは、なんといっても東京の明治神宮に行った時である。実はいうと、明治神宮には小学1年生の正月に叔父さんと兄と一緒に初詣で行ったのだが、僕は落ちている1円玉を拾おうと下を見ながら歩いているうちに、すごい人込みの中で迷子になってしまい、どうしようかと途方に暮れたのだった。当時は昭和51年の新年で山手線の初乗りは30円だったから、子供の僕は15円あったら電車に乗って家がある目黒まで1人で帰れることはわかったのだが、自動券売機は1円玉は使えないと書いてあったので、もうタダ乗りをするしかないと決心した。それで、改札を通る時に家族連れの後を家族の1人のふりをして、ばれずに通過することができた。

 

ところが、僕が改札を通って入ったホームは目黒方面とは逆の新宿、池袋方面行きのホームだったので、結局、そこから山手線をほぼ一周して目黒駅まで着くことができた。家に着いたのは迷子になってから約2時間ほど後だったと思うが、子供たちを連れて行った叔父さんと両親が家ですごく心配をしていて、警察に電話することを話し合っていたようだった。そんな時に僕は普通に平然として帰ってきたので、両親も叔父さんも僕の顔を見て笑っていた。

 

「どうやって、1人で帰ってきたの?」

「僕は電車に詳しいから、原宿駅から山手線とバスにタダ乗りをして帰ってきた。僕は身長が小さいから、タダ乗りがバレずに乗ることができた」

両親と叔父さんは恐らく安心と面白さからゲラゲラと爆笑した。それで父から、

「今日からお前のあだ名は薩摩守(さつまのかみ)だ」

と言われた。意味を聞いてみると、薩摩守というのは、平薩摩守忠度(たいらの さつまのかみ ただのり)という武将が源平合戦の時にいたので、電車にタダ乗りをする人のことを「さつまのかみ」と隠語でいうのだそうだ。こういう時にすぐに「さつまのかみ」という歴史上の武将の名前が出てきたので、「お父さんは本当に物知りだな」と思ったのだった。(苦笑)